二十一世紀になってから、日本文化への回帰というものが実践されてきて、前世紀の遺物になりつつある生業の者としては、大変に嬉しい。
NHKの日曜美術館でも、日本の絵画、特に浮世絵の特集を頻繁にやるようになってきた。うれしいですねぇ。昭和の終わりから平成の最初ごろにかけての浮世絵というものは、オヤジがこっそり通販で買うというような代物にイメージが限定されていて、なんだか肩身が狭かったものだ。広重の花鳥画(そのころは安藤だった)の複製など、横浜は元町のインテリア屋さんで、外国人向けの土産物として売っていたような感じだった。
安藤広重を歌川広重、と、はっきり教科書で訂正するようになってから、曖昧だった日本の歴史や伝統文化に対するスタンスが、教育界で変革の時代を迎えた。
平成の初めごろ。芳年の絵画展があるというので喜び勇んで出かけた。のちに、三越美術館(新宿の三越南館にあった。今は大塚家具になっています)で、月岡芳年・大浮世絵展が行われるようになったが、そのころは一部の好事家のもので、その美術展も、上野松坂屋の特設会場のさらに一角に、こぢんまりと設けられたスペースで行われていた。
それが、ビックリしたことに、解説文が、体裁を整えて頑張って説明してはいたのだが、あまりにも的外れ、適当だったのだ。
今はそんなことはなく、皆、本当によく勉強・研究しているが、その頃の学芸員というものは、たぶん、西洋美術史には詳しいが、日本文化とくに江戸風俗文化の知識がなく、タテ割り的に日本の美術史だけ勉強したので、総体的な絵の解題ができなかったのではないだろうか。
とくに江戸文化は、芝居の…歌舞伎など、当時の社会全体の在りようとか、風俗をよく知らないと、説明できない。今ではそれは基礎知識として当たり前だが、そのころの教育界と江戸文化好きの間は、はっきり乖離していた。
今でも、江戸期に誕生した日本文化に対する一部の教育者の認識は、明治・大正と発達してきた歴史を顧みることなく、あまり変わらなくて、何年か以前、学校巡回で「いつもはお座敷で演奏してるんですか?」とか訊かれて、いささか衝撃だった。
十数年前、邦楽の授業を学校で行う方針転換が出されたとき、江戸文化は遊郭の文化でそんなものは恥だ、とかいう有識者もいたぐらいだ。外国人が、日本人の女の子はゲイシャ・ガールで、男子は忍者だと思っているのと、同じじゃないですか、ねえ。
……アカデミズムとエンターテインメントの間って、広くて深い河がある。
ええと、話が逸れました。その芳年の解説文がどんなふうに見当違いだったかというと、今でもよく覚えているのは、次の二点だ。
ひとつは、あきらかに、芝居『鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の錦絵であろうと思われる、登場人物の「婢初女」というところに、「ひしょじょ」とルビが振ってあった。…?? はいィ???
それじゃ意味がわかるまい。
これは「はしため・はつじょ」と読むべきだろう。『鏡山』は、大奥でイジメに遭って自害してしまう主人のかたき討ちを、仕えていた女中のお初が見事晴らすというストーリー。その登場人物の単なる名前と役柄を言っているだけなのだ。
…あんなに面白いお芝居を知らないなんて、モッタイナイ。鏡山の敵役である怖いお局・岩藤の、その憎々しげなキャラクターの、なんとまあ、カッコいいこと。
このキャラクターは人気があるあまり、彼女を主役にした『骨寄せの岩藤』という芝居も派生したぐらいだ。お初に討たれて、野ざらしになっているバラバラの骸骨が、だんだん寄せ集まってきて復活! メアリー・ポピンズのように傘差して宙乗りで登場する。オモダカヤの岩藤、面白かったなぁ。
岩藤は、胆の据わった凄みのある女優さんが演ってもよくはまる。昔、フィルムセンターで観たものだったかしら、建て替える前の文芸坐だったかしら…映画『鏡山競艶録』の鈴木澄子の迫力、堂々たる悪っぷりがあまりにもかっこよく、本当に惚れ惚れした。毒婦ものの主役を張れる鈴木澄子だからこそ、演じきれた役でもあるだろう。
…話がどんどん逸れました。
もう一つは、「女弁慶艶姿十種」というような画題の連作(記憶が定かでないので間違っていたらごめんなさい)の解説。「関東の女性の気風を、威勢のよい弁慶に見立てた姿絵」と、もっともらしく説明してあったので驚いた。
だってその絵は、単に、弁慶縞の着物をきた、美人の姿絵だったのだもの。
弁慶縞というのは、お芝居の弁慶の衣装から来た、大きい格子縞のシマ柄のこと。弁慶が着ていたから「弁慶縞」。実に分かりやすいネーミングだ。
今風にいえば、うーん、そうだなぁ、たとえがちょっと古いですが、「近ごろ流行りのタータンチェック10選美女勢揃い…いや、キルトは男のものだから、イケメン10傑」みたいな感じでしょうか。
これに「スコットランド・キルト・ブリティシュトラッド・コレクション(これまた英文法が滅茶苦茶のゴタマゼでスミマセン)」とかいう意味で外題をつけたのに、無理やり「イギリス北部・スコットランド人の我慢強い気性を表した姿絵」とか説明されてもねぇ。…違うでしょうョ。
ところで、これとはまたちょっと逆の話になるのだが、中学校の体験学習の教材として「さくらさくら」を採り上げていたときの話。
知らない曲は弾けませんから、なるべく知ってる曲を、未体験の楽器で弾かせたいなということで、誰もが知っている「さくら さくら」を弾いてもらおうと思ったら、なんと、今の学校では「さくらさくら」を習わないのだという。習ったとしても、歌詞が、分かりやすい現代語に書き換えられているのだそうな。
…ひええええ。そりゃー古語、文語体は難しいけれど、難しいものを避けて行ったら、何も、新しい世界は拓けない。文語体の文章を難しいというだけで排除するのって、なんか貧しい。文語体の文章の美しさ、言葉の豊かさったら、ないからだ。
これこそ、モッタイナイの極み。…それに、分からないところを知るのが勉強なんじゃないのかしら。
たしかに、いまの学校の音楽の授業では、アニメ・ソングや流行歌であるJポップなどが教材として採り上げられるようになっている。それは身近に感じられて、とっつきやすく興味もわいていいのかもしれないが、社会全体、年代を越えた社会通念で、みんなが知っている曲、とかが、日本には全然なくなってしまうョ。
学校で、サブ・カルチャーばかりを教えるようになったら、スタンダードなものは、いつどこで身につくようになるわけさ??
それに、サブカルがスタンダードになったら、サブカルとしての面白み、存在意義がなくなるンじゃ…。社会の正道を外れたところの、ちょっとシャドーで曲折した世界に面白味・魅力を見出していた趣味人としては、つまらないよね。直球ではないカーブ、スライダー、ナックル、フォーク…変化球的サブカルのレーゾン・デートルが失われるゾ。
さらに、そして、なんでも分かり易いものばかり教わっていたんじゃ、新しいものを知る愉しみ、向学心が無くなっていくンじゃなかろうか。
物事って、分からないから興味がわく。そこが面白いんじゃあないのかなぁ。
こうしてみると、教育の指針を決める作業って本当に難しいなあ、と思う。
だって、歌舞伎だってもともとサブカルだ。子供の人生のお手本になるようなものではなくて、娯楽なんですから…。
NHKの日曜美術館でも、日本の絵画、特に浮世絵の特集を頻繁にやるようになってきた。うれしいですねぇ。昭和の終わりから平成の最初ごろにかけての浮世絵というものは、オヤジがこっそり通販で買うというような代物にイメージが限定されていて、なんだか肩身が狭かったものだ。広重の花鳥画(そのころは安藤だった)の複製など、横浜は元町のインテリア屋さんで、外国人向けの土産物として売っていたような感じだった。
安藤広重を歌川広重、と、はっきり教科書で訂正するようになってから、曖昧だった日本の歴史や伝統文化に対するスタンスが、教育界で変革の時代を迎えた。
平成の初めごろ。芳年の絵画展があるというので喜び勇んで出かけた。のちに、三越美術館(新宿の三越南館にあった。今は大塚家具になっています)で、月岡芳年・大浮世絵展が行われるようになったが、そのころは一部の好事家のもので、その美術展も、上野松坂屋の特設会場のさらに一角に、こぢんまりと設けられたスペースで行われていた。
それが、ビックリしたことに、解説文が、体裁を整えて頑張って説明してはいたのだが、あまりにも的外れ、適当だったのだ。
今はそんなことはなく、皆、本当によく勉強・研究しているが、その頃の学芸員というものは、たぶん、西洋美術史には詳しいが、日本文化とくに江戸風俗文化の知識がなく、タテ割り的に日本の美術史だけ勉強したので、総体的な絵の解題ができなかったのではないだろうか。
とくに江戸文化は、芝居の…歌舞伎など、当時の社会全体の在りようとか、風俗をよく知らないと、説明できない。今ではそれは基礎知識として当たり前だが、そのころの教育界と江戸文化好きの間は、はっきり乖離していた。
今でも、江戸期に誕生した日本文化に対する一部の教育者の認識は、明治・大正と発達してきた歴史を顧みることなく、あまり変わらなくて、何年か以前、学校巡回で「いつもはお座敷で演奏してるんですか?」とか訊かれて、いささか衝撃だった。
十数年前、邦楽の授業を学校で行う方針転換が出されたとき、江戸文化は遊郭の文化でそんなものは恥だ、とかいう有識者もいたぐらいだ。外国人が、日本人の女の子はゲイシャ・ガールで、男子は忍者だと思っているのと、同じじゃないですか、ねえ。
……アカデミズムとエンターテインメントの間って、広くて深い河がある。
ええと、話が逸れました。その芳年の解説文がどんなふうに見当違いだったかというと、今でもよく覚えているのは、次の二点だ。
ひとつは、あきらかに、芝居『鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の錦絵であろうと思われる、登場人物の「婢初女」というところに、「ひしょじょ」とルビが振ってあった。…?? はいィ???
それじゃ意味がわかるまい。
これは「はしため・はつじょ」と読むべきだろう。『鏡山』は、大奥でイジメに遭って自害してしまう主人のかたき討ちを、仕えていた女中のお初が見事晴らすというストーリー。その登場人物の単なる名前と役柄を言っているだけなのだ。
…あんなに面白いお芝居を知らないなんて、モッタイナイ。鏡山の敵役である怖いお局・岩藤の、その憎々しげなキャラクターの、なんとまあ、カッコいいこと。
このキャラクターは人気があるあまり、彼女を主役にした『骨寄せの岩藤』という芝居も派生したぐらいだ。お初に討たれて、野ざらしになっているバラバラの骸骨が、だんだん寄せ集まってきて復活! メアリー・ポピンズのように傘差して宙乗りで登場する。オモダカヤの岩藤、面白かったなぁ。
岩藤は、胆の据わった凄みのある女優さんが演ってもよくはまる。昔、フィルムセンターで観たものだったかしら、建て替える前の文芸坐だったかしら…映画『鏡山競艶録』の鈴木澄子の迫力、堂々たる悪っぷりがあまりにもかっこよく、本当に惚れ惚れした。毒婦ものの主役を張れる鈴木澄子だからこそ、演じきれた役でもあるだろう。
…話がどんどん逸れました。
もう一つは、「女弁慶艶姿十種」というような画題の連作(記憶が定かでないので間違っていたらごめんなさい)の解説。「関東の女性の気風を、威勢のよい弁慶に見立てた姿絵」と、もっともらしく説明してあったので驚いた。
だってその絵は、単に、弁慶縞の着物をきた、美人の姿絵だったのだもの。
弁慶縞というのは、お芝居の弁慶の衣装から来た、大きい格子縞のシマ柄のこと。弁慶が着ていたから「弁慶縞」。実に分かりやすいネーミングだ。
今風にいえば、うーん、そうだなぁ、たとえがちょっと古いですが、「近ごろ流行りのタータンチェック10選美女勢揃い…いや、キルトは男のものだから、イケメン10傑」みたいな感じでしょうか。
これに「スコットランド・キルト・ブリティシュトラッド・コレクション(これまた英文法が滅茶苦茶のゴタマゼでスミマセン)」とかいう意味で外題をつけたのに、無理やり「イギリス北部・スコットランド人の我慢強い気性を表した姿絵」とか説明されてもねぇ。…違うでしょうョ。
ところで、これとはまたちょっと逆の話になるのだが、中学校の体験学習の教材として「さくらさくら」を採り上げていたときの話。
知らない曲は弾けませんから、なるべく知ってる曲を、未体験の楽器で弾かせたいなということで、誰もが知っている「さくら さくら」を弾いてもらおうと思ったら、なんと、今の学校では「さくらさくら」を習わないのだという。習ったとしても、歌詞が、分かりやすい現代語に書き換えられているのだそうな。
…ひええええ。そりゃー古語、文語体は難しいけれど、難しいものを避けて行ったら、何も、新しい世界は拓けない。文語体の文章を難しいというだけで排除するのって、なんか貧しい。文語体の文章の美しさ、言葉の豊かさったら、ないからだ。
これこそ、モッタイナイの極み。…それに、分からないところを知るのが勉強なんじゃないのかしら。
たしかに、いまの学校の音楽の授業では、アニメ・ソングや流行歌であるJポップなどが教材として採り上げられるようになっている。それは身近に感じられて、とっつきやすく興味もわいていいのかもしれないが、社会全体、年代を越えた社会通念で、みんなが知っている曲、とかが、日本には全然なくなってしまうョ。
学校で、サブ・カルチャーばかりを教えるようになったら、スタンダードなものは、いつどこで身につくようになるわけさ??
それに、サブカルがスタンダードになったら、サブカルとしての面白み、存在意義がなくなるンじゃ…。社会の正道を外れたところの、ちょっとシャドーで曲折した世界に面白味・魅力を見出していた趣味人としては、つまらないよね。直球ではないカーブ、スライダー、ナックル、フォーク…変化球的サブカルのレーゾン・デートルが失われるゾ。
さらに、そして、なんでも分かり易いものばかり教わっていたんじゃ、新しいものを知る愉しみ、向学心が無くなっていくンじゃなかろうか。
物事って、分からないから興味がわく。そこが面白いんじゃあないのかなぁ。
こうしてみると、教育の指針を決める作業って本当に難しいなあ、と思う。
だって、歌舞伎だってもともとサブカルだ。子供の人生のお手本になるようなものではなくて、娯楽なんですから…。