長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

紅、ふたたび。

2024年12月14日 21時31分07秒 | 近況
 13日の金曜日なので、懸案のスイカを割ることにした。
 雪下の筍…にも等しい珍なる12月の西瓜をどうしたものか…と新たな懊悩の種におびえつつも、甘みが増すかも…と収穫したままの西瓜を天日に干していたらもののはずみで、スイカがころりんすってんてん…と転がって、ベランダの床に落ち、ひびが入ってしまった。
 こんなに可愛らしいものに包丁を入れるなんて…勿体なくて切れない…しかしこのまま西瓜のミイラにするのもしのびなく勿体ない…と無限のモッタイナイの応酬が、有難いことに決着したのである。
 これは天意であろう。

 ずいぶん遠い昔…小学生の頃とっていた学研の科学と学習誌の別冊読み物特集号で読んだのだったか…子どもが海岸で拾ってきた卵ぐらいの丸い石を大切に持っていたが、ある時、屋根に上って「この石は割られたがっているんだ!」と地面に放り投げたら、見事真っ二つに割れて、断面に化石が出現した…という、とある学者先生の短編のエピソードが、ふと、脳裡に蘇った。

 そうなのだ。スイカは割られたがっているのである。
 塩冶判官に遠慮して、やはりここは前日のうちに済ますべきであろう…と躊躇なく包丁で真っ二つ。



 驚いたことに、こんなに小さいのに普通の西瓜と遜色ない大きさの黒い種が出来ていた。
 もっとうらなりの瓜のように白々とした果肉を想定していたのだが、アニハカランヤ。



 まごうことなき西瓜の匂いがして、あの遠くもない灼熱地獄で仏…今夏の甘露のひと時がよみがえる。
 まな板にこぼれた露が甘い。



 国貞だったろうか…西瓜を賽の目に切って供した浮世絵がよぎったが、それほど果肉も無く、ごく普通に櫛切りに。



 手前のギンナンは半田稲荷へ参詣の折頂戴したもの。



 立派な種が八つ、穫れました。
 ふふふふふふ。

 さて、「割れた西瓜に紅を見た…」木枯し紋次郎のサブタイトルになりそうな、まだ暮れないでほしい…片づけに着手する間もなくお正月の支度も出来ないのに…という庵主の気持ちを酌んでか、最後の紅だと思っていた百日草が、またもや、赤い花を咲かせました。



 ちなみにこちらは、先日記事にいたしましたその後の最後の紅↓



 暮れてもなお咲き誇る(単に花柄を摘んでいない…園芸の先生に怒られそうなmy花園…)ジニアなのか、はたまた百八十日草なのか…手摺り際の百日草たち。



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