「あ、アータ、長友がインテルにって、こりゃすごいことなんスョ!」
携帯のモバイルニュースでその記事を読んだとき、行き交う人の誰かれ構わず胸ぐらをつかんで教えてあげたい気分になった。
…アブナイ、危ない。折しも渋谷駅の東急東横店から井の頭線のホームへ至る、長いコンコースを渡っていた。通路は雑踏であふれ返り、いつもながらの人、また人。
凄い、スゴイよ、すごいよ!!マサルさん…と、私の頭の中では、10年以上前に流行ったシュール漫画のタイトルが、すごい勢いでぐるぐると回っていた。
私が一生懸命、イタリアはセリエAのリーグ戦を観ていたのは2003年から2008年ごろまでの数シーズンだった。
当時インテルは、同じミラノを本拠地とするミランに競り勝ちたくて、大富豪のオーナーがほうぼうから名選手を移籍させ(そのさまは、ウィリアム・ワイラー監督の映画『コレクター』を彷彿とさせるド迫力だった)、かといってあまりにもスター選手ばかりだったのでチームとしてのまとまりを欠き、いつも優勝を、涙を呑んで見送っていたチームだった。
その時分、モレッティというイタリアのビールを飲むたび、これはインテルの会長・モラッティさんがつくっているのではないだろうな…と眉間にしわを寄せて考え込んだりしていたが、「レ」と「ラ」じゃ一字違いでも「レモンのレ」と「ラッパのラ」というように5度分、大いに違うから、やっぱり無関係なのでしょう。
監督はしょっちゅう変わり、油でリッチになったアブラモビッチ会長のもとで何かと話題を提供した元チェルシーのモウリーニョ監督を招聘し、悲願がかなったシーズンには、すでにわが楽園の夢は、ユヴェントスの八百長事件騒動で終焉を告げていたのだった。
だから、私の記憶の中の、青と黒のストライプのユニを着ている選手は、レコバだったり、重戦車ヴィエリだったりする。
さて、皆さんそれぞれご贔屓もありましょうが、私が昨夏のワールドカップで印象に残った選手は、なんといっても長友だった。
長友は、苦しいときによく仕事を回してくれた私の大恩人に顔立ちがよく似ていて、その人は若いとき、アリスの谷村新司によく間違われたそうだ。年長けてから、松山に旅行して、正岡子規の横顔の写真が目印の、ご当地ビールのラベルを見たとき、「あ、これ、オレじゃん…」と、衝撃を受けたそうである。
その長友が移籍したあと、FC東京がJ1から陥落したのは、何とも言えず残念なめぐり合わせだった。勝負の世界の明暗は、こんなところにもある。
1月の最終週に演奏会が重なって調達にも行けず、我が家の食糧庫も存亡の危機に瀕していた。
それでも冷蔵庫のなかに、大根、白菜、生姜、長ネギ、油揚げ、酒粕……そして幾日か前にスーパーで、珍しいことに金時ニンジン(しかも「香川」県産!)というのを入手していたのだった。
京ニンジンに似て、茹でると鮮やかな紅色になる。まるで舞妓はんが差す、べにのように。普通のニンジンの青臭さがなくて、まっこと甘いのだ。これは坂田金時のお顔の色に似ているからなのか、それとも金時芋に似た味わいから来たネーミングなのか。
以前、サッカー王国の虜になっていた私は、相手チームを折伏するために、マクベスの魔女のようにお鍋をぐつぐつ煮てみたりもしたのだが、2011年の私は、もはやそれらの呪縛から解き放たれていた。
日の丸に見立てて、金時ニンジンを輪切りにするという手もあったが、あまり美味しそうじゃない。4ミリほどの厚さの短冊に切ることにした。
鍋に人参を入れるという取り合わせは、決勝の延長戦でのザック監督の采配にも似て、初の試みだったが、絶妙な酒粕鍋が出来上がった。
戦勝鍋…そういえば、もうずっと昔、私が最初に嫁いだ家では、毎年8月15日の献立は、水団と決まっていた。昭和ひとケタ世代の義理の両親が、戦争中の苦しさを忘れないために…と、次世代の私たちに強要するでもなく、自らに課して実行していたことだった。敗戦鍋。
…紅白の彩りも美しい鍋を前に、そんな遠い日の出来事を想い出す。
代表チームが艱難辛苦の末、手に入れた祝杯のご相伴にあずかる私にも、むしろ、あり合わせの鍋がふさわしいのかもしれない。
音楽家にとっては、本番前…演奏会のカウントダウン期間中も臨戦態勢、と、言えなくもないから、これまた戦時下の糧食である。
携帯のモバイルニュースでその記事を読んだとき、行き交う人の誰かれ構わず胸ぐらをつかんで教えてあげたい気分になった。
…アブナイ、危ない。折しも渋谷駅の東急東横店から井の頭線のホームへ至る、長いコンコースを渡っていた。通路は雑踏であふれ返り、いつもながらの人、また人。
凄い、スゴイよ、すごいよ!!マサルさん…と、私の頭の中では、10年以上前に流行ったシュール漫画のタイトルが、すごい勢いでぐるぐると回っていた。
私が一生懸命、イタリアはセリエAのリーグ戦を観ていたのは2003年から2008年ごろまでの数シーズンだった。
当時インテルは、同じミラノを本拠地とするミランに競り勝ちたくて、大富豪のオーナーがほうぼうから名選手を移籍させ(そのさまは、ウィリアム・ワイラー監督の映画『コレクター』を彷彿とさせるド迫力だった)、かといってあまりにもスター選手ばかりだったのでチームとしてのまとまりを欠き、いつも優勝を、涙を呑んで見送っていたチームだった。
その時分、モレッティというイタリアのビールを飲むたび、これはインテルの会長・モラッティさんがつくっているのではないだろうな…と眉間にしわを寄せて考え込んだりしていたが、「レ」と「ラ」じゃ一字違いでも「レモンのレ」と「ラッパのラ」というように5度分、大いに違うから、やっぱり無関係なのでしょう。
監督はしょっちゅう変わり、油でリッチになったアブラモビッチ会長のもとで何かと話題を提供した元チェルシーのモウリーニョ監督を招聘し、悲願がかなったシーズンには、すでにわが楽園の夢は、ユヴェントスの八百長事件騒動で終焉を告げていたのだった。
だから、私の記憶の中の、青と黒のストライプのユニを着ている選手は、レコバだったり、重戦車ヴィエリだったりする。
さて、皆さんそれぞれご贔屓もありましょうが、私が昨夏のワールドカップで印象に残った選手は、なんといっても長友だった。
長友は、苦しいときによく仕事を回してくれた私の大恩人に顔立ちがよく似ていて、その人は若いとき、アリスの谷村新司によく間違われたそうだ。年長けてから、松山に旅行して、正岡子規の横顔の写真が目印の、ご当地ビールのラベルを見たとき、「あ、これ、オレじゃん…」と、衝撃を受けたそうである。
その長友が移籍したあと、FC東京がJ1から陥落したのは、何とも言えず残念なめぐり合わせだった。勝負の世界の明暗は、こんなところにもある。
1月の最終週に演奏会が重なって調達にも行けず、我が家の食糧庫も存亡の危機に瀕していた。
それでも冷蔵庫のなかに、大根、白菜、生姜、長ネギ、油揚げ、酒粕……そして幾日か前にスーパーで、珍しいことに金時ニンジン(しかも「香川」県産!)というのを入手していたのだった。
京ニンジンに似て、茹でると鮮やかな紅色になる。まるで舞妓はんが差す、べにのように。普通のニンジンの青臭さがなくて、まっこと甘いのだ。これは坂田金時のお顔の色に似ているからなのか、それとも金時芋に似た味わいから来たネーミングなのか。
以前、サッカー王国の虜になっていた私は、相手チームを折伏するために、マクベスの魔女のようにお鍋をぐつぐつ煮てみたりもしたのだが、2011年の私は、もはやそれらの呪縛から解き放たれていた。
日の丸に見立てて、金時ニンジンを輪切りにするという手もあったが、あまり美味しそうじゃない。4ミリほどの厚さの短冊に切ることにした。
鍋に人参を入れるという取り合わせは、決勝の延長戦でのザック監督の采配にも似て、初の試みだったが、絶妙な酒粕鍋が出来上がった。
戦勝鍋…そういえば、もうずっと昔、私が最初に嫁いだ家では、毎年8月15日の献立は、水団と決まっていた。昭和ひとケタ世代の義理の両親が、戦争中の苦しさを忘れないために…と、次世代の私たちに強要するでもなく、自らに課して実行していたことだった。敗戦鍋。
…紅白の彩りも美しい鍋を前に、そんな遠い日の出来事を想い出す。
代表チームが艱難辛苦の末、手に入れた祝杯のご相伴にあずかる私にも、むしろ、あり合わせの鍋がふさわしいのかもしれない。
音楽家にとっては、本番前…演奏会のカウントダウン期間中も臨戦態勢、と、言えなくもないから、これまた戦時下の糧食である。