私は、つましい年金生活者です。ですから、高価なサーバーを借りれませんので通常は無料サーバーを使わせて頂いております。ですから、時々アクセスが遅くていらいらするときもあります。しかし、最近では、そういう不満はあまり感じません。というのは、気持ちの持ち方を少し変えたからです。つまり、「元来無料なんだから繋がらなくても仕方が無い、駄目もとで繋がれば万々歳だ」と考えるようになったのであります。
そうすると、不思議にイライラしなくなりました。むしろ、不通になってWEBサイトが見れないとか、保存できないとか・・・そういう難儀なことになっても、むしろ却って喜ぶようになりました。だって、不通といっても大抵はデータベースMYSQLが停止するだけで、普通のWEBサイトづくりならば、ローカルでホームページビルダーで作ったのファイル群をFTP転送すれば、WEBサイトは支障なく閲覧出来るので、単に出来合いのアメブロなどのブログを使って投稿しているよりは、幾分でもそういったWEBサイト作りのスキルアップにつながるからです。
また、CMSの場合は、なるほどWordpressなどのいわゆる動的なCMS=全てデータベースで文書処理するタイプのCMSは全面的にアウトですが、データベースを使わないタイプのCMSは十分使えて常時快適に操作できます。たとえ全面的にサーバーが動かなくなっても、そう1時間も半日も不通ということはなくて、大抵は10分も立てば何とか動きますから、その間にメモ帳で投稿原稿を打ち込めば、そのうち稼動するようになります。動いたとたんにコピペして貼り付けて投稿すればいいのです。回線混雑で処理が重い場合に、投稿の失敗を避けるためには、ひとつの方法として写真もタグ命令で<IMG src="http://abc.def.hogehoge.ne.jp/images/hogehoge.jpg"と打ち込んで文書保存をしておいて、あとから写真本体をFFFTPで転送すればいいと思います。
WEBサイトの運営がライフワークというか生きがいである人は、もし、天下りや再雇用の運のよい立場になれた場合は、何も無料サーバーや格安サーバーを借りる必要はなくて、当然、それなりの性能の充実した月額5000円以上のサーバーを借りたらいいと思います。その程度は支払わないと、時々回線が切れるとか不安定だからです。それに、comとかinfo、netなどの格安ではなくて、co.jpなどの属性付きのドメインを取得した方が信用度が増しますし、できればメンテナンスのためにWEB専門の業者と契約してアクセス向上に努めた方がアフィリエイトで稼げるし、またやりがいにもなるでしょう。これには、年間50万円程度は最低でも必要でしょう。
まあ、個人の趣味程度のWEBサイト運営ではなくて、NPO法人や公的な機関のWEBサイトづくりを念頭に置くとなれば、それなりの予算と専門的な知識と経験が要りますので、当然、そういうことになるわけであります。
でも、私の場合はそういうわけにも参りませんので、専門的なことは知人の専門家に無料で相談やアドバイスをいただいて、何とか公的なWEBサイトの運営については、無難に現在こなしております。
無料サーバーにCMSであるMovabletypeやjoomlaをインストールする場合に、その容量が気になります。つまり、サーバー上でのファイルサイズです。wordpressならば15MB程度なので、2個~3個入れても全然大丈夫ですが、Movabletypeの場合はVer.5.22が66.3MBであり、ver.4は46Mbです。joomlaにいたってはVer.1.7.5が86.2MBもあります。だから、限界が100MBのサーバーでは1個入れるだけで、もう残りのデータを入れる領域が圧迫されて、写真やPDF、動画なんて160×120ピクセル程度に圧縮しない限りはとても入りません。
ですから、100MBの無料サーバーではこの2つのCMSは入れるべきではないのです。こんな100MBしかないミニ無料サーバーでは、入れるソフトが限られてきます。すなわち、Wordpress、MODX、Nucleus、pukiwikiなどです。そして、一旦その点を見誤ってインストールしてしまって、100MBに達してしまったら、もうそれ以上投稿が出来ませんからペナルティーが課されて以後、FFFTPやFilezillaなどで一切のファイルが転送できなくなります。しかし、だからといって容量を減らせばそのペナルティーは解除されるのか?というと、即解除はされなくて、2~3日後にやっと解除される場合もあるようです。
こうなってくると、やはり容量の少ないサーバーを借りる場合は、容量制限や転送量の原則を守ってエラーの出ない範囲で気をつけて使う必要があると痛感しました。私の場合は、2つの無料サーバーが転送できなくなってから復旧するのに3日かかりました。1度違反をすると、サーバーに入れてある写真等の合計の容量を100MB未満にまで落として再度使おうとしても、すぐにはいうことを聞いてくれないで3日間ぐらいはフリーズしたままになります。こうなると、もう強制解約というか除名というか、そういうブラックリストに載る一歩手前みたいな立場になるのですから、肩身の狭い思いや居場所のない人物になってしまうのです。
ですから、無料サーバーを借りる場合は、100MB程度の狭い容量のものならばなおさら、現在の使用量を常に監視して使わないことには、事実上、使用停止処分を食らうことになるのです。
さあ、今日は娘のクライミングの日だ! 眠い目をこすって、車でJR富田駅前のジムまで直行!
でも、今朝は非常に寒かったです・・・
自宅マンションの遠景です。田んぼも凍り付いています。
8時30分ごろジムに到着。準備体操はからだほぐしを十分にしてから、ほんの4メートル程度の高さの壁上りに挑戦するのですが、いくつかのコースがあって、長女は最初、1番上りやすい初心者コースに挑戦しました。しかし、手がかじかんで2回失敗しました。やはり、明け方からの寒さで、まだまだ体が温まっていなかったのです。それで、電気ストーブで手を温めました。
十分に手が温まってから、再度挑戦すると、今度は簡単に2回ほど上れました。ほかの常連のメンバーの大人の男性Aも、女性Bも、初めは手こずっていましたが、体が温まってくると簡単に2~3回上れて、そのあと小学校6年生の男子Cも手馴れた様子で3回ほど上れたのです。あと、中1の女子Dも同様に上れました。このあと、第2コースのやや難しいコースを挑戦もしたのは、長女とBですが、Bはもう少しでクリアできるほど確実に上達していました。娘はまだまだ不慣れでしたが、3回ぐらいは挑戦していました。
A、C、Dは、専ら第一コースのクリアを目指してがんばっていました。つまり、A君は降り方に少し課題があり、いつも飛び降りていたので、そこをなんとか完璧におりることを目指していたのです。また、Cは第一コースを余裕でクリアして、下り方も完璧だったので、みんなに拍手されてうれしくなって、それでもう満足して感激に浸っていたからです。そこでもう今日の目的達成ということでピリオドを打ったのでしょう。そこで終わっておくのは切りが良くて、案外今日一日気分が良くていいのかもしれません。また、Dは付き添いの人が来られていたのですが、丁度そのとき、ほかのメンバーとおしゃべりに夢中になっていて、第一コースをクリアしたとき拍手やほめてやるようなこともなくて、次に、第二コースもやろうとしてはいましたが、上り方がよく分からなくて挑戦しなかったのかな?と思われました。もうちょっと見守ってあげて、できたら具体の手足の置き方まで指導してやればよかったのに・・・と人ごとながら強く思いました。
今後の課題としては、娘も含めて、第二コースの足の置き方の第3歩目、手の置き方の3回目をどの位置にするのかを指導しないといけないな・・・と思いました。
元祖、超有名ブロガーの元祖 鴨長明さんの方丈記の冒頭の数節は次のとおりです。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは 、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、また かくのごとし。
ブロガー 鴨長明さんの生きた時代は、平安末期から鎌倉時代初期の61年間です。この間、都では地震や火事・政変が相次いで、無常観に満ちた世の中でありましたが、同時に自分自身の立身出世=河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)になれなかったことが、強くこの厭世観に裏打ちされていると思います。
①安元3年(1177)4/28:安元の大火
②治承4年(1180)4/29:治承の辻風
③治承4年(1180)6月:福原遷都(神戸市中央区)冬に平安京
④養和元年(1181):養和の飢饉
⑤元暦2年(1185)7月:元暦大地震。(3月壇ノ浦の戦
これだけ多くの災難があれば、ブログの中身には事欠かなかったでしょう。たくさんのブログを発信されています。