自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

道志の寒さを楽しむと 帰り道

2025年01月10日 | なかま道志ベース

二日に女房と道志に入り、四日に帰宅しました。今回の目的は二人でゆっくりすることでなく、片付けや掃除などで終始しました。

私は早朝より残材を燃やしています。乾燥していますので見守りながらの作業ですが、何故か見とれてしまいます。

やっと、あたりは明るくなってきましたが、もう8時近くになってです。

それまでの時間はネット障害(ブログ)で、翌日にいつも伺っている方々への訪問です。

みなさん、冒頭に接続障害(NTTへのウイルス攻撃被害)のことを話題にしていました。

そして、朝9時ちょっと前になりました。

冷え込むことを予想して「氷中花」を作る準備をしていたのです。

こうして、洗面器に水を張り自宅から持って来た草花などを浮かべました。

山の向こうから陽が射して来ました。

洗面器を裏返して見ると、氷中花が出来ていました。

青い空に掲げて見ると、こんな感じにです。

これも道志での冬の風物詩になりました。

しかし、水と草花を入れ過ぎたので、完全氷結していませんでした。

直ぐに崩れるように、見るも無残な崩壊です。

これも経験だと思います。

道志の朝はマイナス5度でしたので、ホースからの水も凍って出てきます。

ブログで知り合ったの地域(旭川)は、零下14度とお聞きしました。

日本は広いなぁ~と思う一瞬です。

帰宅の準備をしていますので、簡単な朝食です。

これといつもの白菜サラダでした。

女房は掃除機をかけて、私は持ち帰るものを車に積んでです。

普段は上げて置くフロントワイパーもそのままでした。エンジンをかけて解凍します。

道志街道を通って山道に入り、相模湖インターから中央道のコースでの帰宅です。

これらの内容は前回ご説明したとおりです・・・・。

渋滞の原因である車は、カーブの手前からブレーキランプが点いたり消えたりしてかなり低速運転です。後ろの車もイラついているのか?あおっているようにも感じます。特にバイクは追い越すチャンスを狙っているようです。その先頭車両がのんびりゆっくり運転だったのです。

この車とは途中で相模原方面に行きました。ここでお別れで、あとはスムーズな運転になりました。結局、普段より少し遅くなった到着時間でした。

いつものカップで、コーヒーを飲んで、ちょっと遅い昼食です。

それから、ちょっと出かけました。「さかな屋さん」に刺身を買い求めに行ったのですが、魚河岸がまだ開いていませんね。店は閉じられていました。

そして、コンビニへ向かいます。レジで買い物をすまし、袋に入れてバイクに戻りました。

あれ?無い!

ちょっと高価な片方の補聴器がありません。ポケットを探ってもありません。

急いでコンビニのレジへ向かいました。

店員さんもモノを退けて探してくれましたが・・・。

結局、袋を出す時に絡まって落ちてレジの反対側に落ちているのを店員さんが見つけてくれました。(私には欠かせない必需品で高価なものですから、安堵しましたよ!)

今年初の落とし物です。これから増えるのでしょうね。

さて、今日から私はジムへ。

女房は友だちとダンスパーティーに行って来ると言っていました。

それぞの趣味(楽しむのも)も良いのでしょう!

 

Hiro


コーヒー一杯から始まる道志

2025年01月09日 | なかま道志ベース
この内容は1月4日のことでした。道志に入って2日目の朝・・・。

かなり早朝に目が覚めました。その時は覚えていた初夢も直ぐに忘れています。

先ずは洗面後にコーヒーを飲むのが習慣になっていす。

道志に通い生活して、10数年が経過しました。それまでは作る・育てる楽しみでしたが、今や作ったモノの改修や大きくなった木の剪定になって来ました。

自然相手ですので、朽ちたり育ったりします。

やはり、お正月なのか?切り落とした枝も紅白になっています。赤い枝は梅かも知れません。

女房が起きる前から(6時半ごろの日の出前)から防寒対策して動き始めました。

切り落とした枝木などを処分です。これを終えるまでに、3000歩になっています。

歩いたのではなく、手を動かしていたからなのでしょう。

やっと、朝食にありつけました。普段は一人暮らしですので、お茶漬けやトーストなどあるのもで済ませています。

その後は、こちらの枝木の処分です。

蔦のかっらまった枝もオブジェになりそうです。自宅近くの園芸店に差し上げたら喜ばれました。

山のようにあった、枝木や落ち葉も片付けました。落ち葉は堆肥にします。

落ち葉やおが屑を花畑や畑に撒きました。やがては腐葉土と霜よけになるのでしょう。

その時期になれば、耕うん機(プチな)で耕します。

落ち葉は女房が履いてくれたり手伝ってくれて、思ったよりきれいに片付きました。

私は農機具小屋の剪定に入りました・・・。

女房は近くの温泉に行きたいと言っています。

近くの道志川温泉「紅椿の湯」に送り届けました。結構混んでいたようですが、温かいお湯に浸かってゆっくりとしたようで何よりです。

 

小屋に絡まる蔦も剪定しました。ガラス窓には家や山の景色が映っています。

このようにハシゴをかけて、覆っていたバラなども剪定しました。

この小屋も一人で作るには大変でした。家の全景と広いデッキが見えます。

屋根に登ると、景色も変わります。

女房から迎えに来てくれと連絡がありました。温泉も気持ち良かったと・・・。

湧き水も勢い良く出ています。この1か月以上雨が降らないので、水源も心配です。

せせらぎの渡り木ですが、だいぶ朽ちて来ました。あれもこれも作ったと思い出します。

このせせらぎも、掘ってはシートを張り砂利を入れて作りましたね。

ワサビの茎がシカに食べられた痕跡があります。

水草に隠れているワサビです。

水面に青い空が映っています。空気は美味しいし、清々しい気分になります。

この辺りは次回入った時に片付けます。体力的にも限度ですね。

簡単な夕食(温泉で買い求めた食材)で済ませました。

翌日は帰宅しましたが、いつも湧き水をポリタンに積んでいます。

この朝5時の外気音はマイナス5℃でした。

翌日の昼ごろの道志を出ましたが、道志みちは安全運転?(ノロノロ運転で渋滞しています)

みなさんイライラしている様子が分かります。これは安全運転とは言えません。約2時間で帰宅できました。この内容は次回ご紹介いたします。

 

Hiro


二日 珍しく女房と道志に入りました

2025年01月08日 | なかま道志ベース

そう、元旦のまで使えていたブログ機能でしたが、2日にアップしようとしたら、うんともすんとも開けませんでした。他のネット回線は使えたのですが・・・。

正月早々でしたので、なんで?どうして?と言う感じでいました。

(結局は、2025年1月2日(木曜)午前5時27分頃から、gooにはアクセスできない状況で、外部から、、サイバー攻撃?があったようです)

これだけパソコン(ブログ)生活に入り込んでいたのが分かりました。

*******

久し振りに、女房と道志に向かいました。

普段なら1時間30分はかからないところ、2時間以上かかりました。

中央道に入って直ぐに渋滞に巻き込まれました。

この富士山方向を目指します。

荷物を降ろし、早速動き始めました。風もなく日向ぼっこ出来るような感じです。

デッキで遅いランチです。やはり一緒にいると心強く感じます。

やはり、自然の中で外で日向ぼっこしながらのランチは更に美味しく感じさせます。

室内の窓越しから、ゆっくりしている女房が見えます。こんな姿を見ていると51年間も一緒にいただなぁ~と思ってしまします。

冬の道志とは思えないような、気温で青い空と澄んだ空気が時を一寸止めたような感じです。

私は前回やり残した屋根に被る枝木の切り落としです。梯子を固定して落ちないように(ケガしないように)細心の注意を払ってです。

見ずづらいかと思いますが、かなり切り落としました。

切り落とした大量の枝です。いかに処分するかです。

陽も落ちてきました。やはり寒くなって来ましたね。普段なら、ここから一人飯づくりですが、今回は女房が夕食づくりしてくれました。

食べながら、飲みながらいろいろな話になりました。たとえば、今後の生活やダンスをどうするの?とかです。

やはり、コロナ禍と退職後のハシゴを外されたような生活(気持ち)、その間にも諸々のことがありました。ここ最近になってジムにも通い出し、前向きになって来たところです。

お互いにそれなりに元気ですが、10日の健康診断の結果でなんと言われるかです。

道志の家も、作ることから補修することが多くなって来ました。

手放すこともそろそろかと考えています。まぁ~10数年たくさん楽しませてくれましたからね。

今朝の気温はマイナス2度でした。

冬の時期は7時半過ぎてもお日さまは上がって来ません。

今日も天気は良さそうですね。

霜も降りて、白い道志になっています。

朝のうちに(8時前)には枝木も半分処分して、すでに3500歩になっています。

正月も平日も変わりない作業があります。

永住していれば、ゆっくりといろいろなことが出来るのでしょうね。

 

Hiro

 


初夢は何を見ましたか?(書道は面白い)

2025年01月07日 | なかま道志ベース
元旦から二日にかけてみる夢が「初夢」です。私はこれが初夢だと思っていたのですが、目が覚めたら忘れていました。残念!

自宅には内田藍亭先生が揮毫された、母の「幸」の字を入れた『幸慶』の額装が飾られれています。

友人の書道家 内田藍亭さんとはどちらかと言えば酒飲み仲間で、いろいろな場面でお付き合いさせていただいています。

以前、「夢」と言う字を揮毫(書いて)いただきましたので、夢に絡んで無理言って「初夢」を揮毫してくれないかとお願いしました。

すると「漢字5書体」もお送りいただいたのです。篆書体(金文)・隷書体・草書体・行書体・楷書体で揮毫されたものでした。

各書体については、後日詳しくご紹介いたします。

金文で「初夢」と揮毫(書かれて)されています。そこで漢字の原点のような金文で「初夢」と言う書体の成り立ちなどお教えいただきたいので、昼飲み会をしたのも一つの理由です。

ある日のこと、お互いの中間点である駅前で待ち合わせしました。私はよく行く店です。

いやぁ~混んでいますね。まだ昼の1時過ぎですよ。8割方が女性客です。

我々も負けじと乾杯です。

先生が編集なさった「古典に見る臨書研究(中国編)」の図書をいただきました。

次に熱燗を注文しました。美味いですねぇ~  特に昼飲みは・・・

藍亭先生からいただいた「加工紙・大色紙サイズ」の「初夢」です。

金文でのご説明です。

そして、書体の成り立ち?をお教えいただきました。

指さしているのが「初」と言う字です。これが「初」に読めますかね?

初」は「衣があって+刀」と言う字になっています。

意味は、刀で衣を裁ち産着を初めてつくる。ことから「初」と言う字(金文?)が出来たそうです。

続いて「夢」と言う字です。時代背景が異なると仰っていましたが、なんか上の部分が角のように見えますが、太い眉毛と目で寬(うかんむりの無い字)カン*パソコンでは出て来ません。で「巫女」を表し+下の(夜)で、巫女が操る霊が夜にあらわれる。と言う形が「夢」と言う字を表していると言っていました。

へぇ~です。夢は巫女さん操る霊なんですね。私はよく夢を見ますが、巫女さんが操っているとは・・・。女難の相があるのかなぁ~?そんな相があっても、今ではその気にもなりません。

いやぁ~簡単な考えで、「初夢」を書いてくれないかと無理なお願いをしちゃいました。

初夢とは、年明け後の元日~1月2日にかけて初めて見る夢のことで、近年に使われた言葉だったんですね。

一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)」の夢を見ると縁起が良いといわれています。富士は「無事」、鷹は「高い」、茄子は「成す」という言葉にかけられています。

一富士二鷹三茄子の由来には諸説あるようですが、徳川家康が好んだ「富士山」「鷹狩り」「茄子」を順番に並べたという説が有力のようです。

いづれにしても時代背景のない合わせ文字なので、先生もご苦労なさって書いてくれたのでしょう。

このような話(説明)を聞きながら、書の奥深さと面白さを知りました。

字を上手く書きたいと思う時は、冠婚葬祭で袋や記帳する名を書く時や年賀状、またはサインする場面ですよね。また、かな文字がきれいに書けると良いなと!と思うこともあります。

私も今は筆を休めています。各書体が上手く書けるには日々の勉強(筆を持つこと)が必要なのでしょう。準師範までになりましたが、都合で筆を止めています。日記だけは小筆で書いていますけどね。

親しくさせていただいている内田藍亭(うちだらんてい)先生は、今の天皇陛下がご幼少(皇太子)のころ、書を習っていた先生が桑原翆邦先生で藍亭先生は門下になります。私は強いて言えばその門流ですがず~っと下流になるのでしょう。

お隣にいた女性にその鍋美味しそうですねと声をかけたら、一緒にどうですか?と誘われましたが、会計も済ませていますのでサヨナラしました。

ポーズしている時の若い女性の笑顔が印象的でしたね。

女性も自分のスマホでパチリしてくれないかと言われましたので、撮って差し上げました。

また、いただいた「初夢」の各書体の歴史や説明などは、後日ご紹介いたします。

 

Hiro

 

参考

内田藍亭(らんてい)uchida rantei

1971年生まれ。富山県出身。 静藍社 主宰

武蔵野美術大学大学院特別指導講師

二松學舎大学文学部講師

三越カルチャーサロン講師

書宗院参与理事

全日本書芸文化院運営総務

墨華書道研究会同人


75歳が健康(気持ちも含めて)の分かれ道

2025年01月06日 | なかま道志ベース
 

正月2日から4日まで、静養と言うより片付けに女房と道志に入りました。

何故か、道志に入ると元気に動き回ってしまいます。

暮ですが女房を駅まで送り、その後スタンドに寄り給油と洗車、そして道志用の石油も買い求めました。

道志のスタンドはそんなに利用者も多くは無いのか?そこまでの運搬賃なのか、各種燃料が割高になっているからです。

機械洗車での水洗いだけしてもらい、自宅で拭き取ります。(600円だったかな?)

それから大型電気店にカメラのレンズにホコリが入り、修理をお願いしました。

また、修理のために3万円近い出費です。

材木屋さんでいつも、おが屑(カンナ屑など)をいただきますが霜よけや通路に撒いています。これもなかなか手に入らないものなんです。

普段は、大学の馬術部が貰いに来るそうです。

正直、ダンスも嫌いじゃないけど、退職後は気も抜けそれほど(夢中になるほど)好きじゃ無くなったような気もいたします。働いていた頃は試合に出場したり、それなりに頑張ってはいたのですが・・・。

やはり、自由時間も少なくバリバリ忙しく行動している時の方が、多趣味でなんでも熟せるのですね。「忙しい方が、何でもこなせた時期もあった」

60歳で定年。65歳まである団体の役員で。ハンティングされて72歳まである企業のアドバイザーとして、羽田と品川まで約1時間半かけての通勤でした。

この時期ですと、まだ陽が昇っていない時間に家をでました。目的地近くまで座って行きたいので、この駅発の1本見送って次の電車に乗ります。

品川駅の港南口ですね。ここの本社にも出勤していました。

また、モノレールで羽田方向にも勤めました。

モノレールは浜離宮付近を通過します。

手前が自席です。窓際は役員クラスの席ですが、嘱託社員の私が窓際になっていました。

詳しくは申し上げられませんが、窓際が自席でした。

ここは羽田飛行場の近くで夜景がきれいな場所です。

上層階の社員ビュッフェからパチリです。

普段の仕事はアドバイザー(言いたいことを言う)立場でした。

時には、社員幹部を前にしてお話しする機会もあり、また全国を飛び回っていました。大した技量も無いのにです。

結構充実した仕事で、一年契約更新でのただの嘱託社員(アドバイザー)です。

まだ、もう少し手伝ってくれと言われていたのですが、コロナ禍となりまたテレワークとやらで週に数回の出社でしたので、72歳で仕事人間から完全退職したのです。

*退職して間もなく(コロナ禍が収まって)、本部長よりメールがあり会長と3人で送別会をしたいと連絡がありました。場所は神楽坂のお店です。

完全退職してからは、何もすることの無い誰とも話をすることもない生活がスタートしたのです。なんか、ハシゴを外された感じの日々です。

エブリーサンデーとはこのことを言うのでしょう。誰しも経験する大きなスランプ?が4年続きました。

"こんな筈じゃない!"一人観光バスに乗っても、バスの中はみなさんグループで話し相手もいなく、そんなに面白いものではありませんでした。近くの公園を散歩しても、万歩計のためでした。

追い打ちをかけたのは、昨年からの夏の猛暑です!暑すぎて動けるような状態ではないのです。

バイクでの交通事故(被害者)から、母の他界その後の手続きなどもありました。

救急車での搬送でした。

その間に、結婚50周年も迎えました。

今年になって自分の不注意から手のケガも3度もあり、探しものする日々は数えきれないくらいです。

誰が付けたのか「後期高齢者」と言う言葉です。運転免許書更新も認知機能検査も加わりました。いま思うと、高齢者の更年期状態だったと思います。

これじゃ~本当に年寄りになっちゃうと思い、9月からスポーツクラブに通い始めました。

運動習慣を身に着けるためと、年寄り体型(頭が突っ込んでいる。背中が丸い。歩幅が小さいなど)を改善するためにです。

パーソナル(個人指導)は週に3回でしたが、今では2回にしています。

全て私のメニューに合わせてです。段々体力と体幹も出来て体型も変わりました

以前は出来なかったことが出来るようになります。

ちょっと、火が付きましたね。

やはり、今の私にとっては運動習慣を身に着けることが、目的と発散につながっているのでしょう。

関西出身の孫のようなトレーナーですが、からかっているのも(会話も)面白いものです。

退職後の誰しも経験する大きなスランプ?(4年間)から、脱皮できそうな感じです。

同じ経験をしている仲間も、抜け出すのに苦労しているようです。

先日もご紹介しましたが、75歳が健康(気持ちも含めて)の分かれ道のような気もいたします。

私が思う「75歳の壁」です。

昨夜も美味しい鍋をいただきました。

すみません!これこそ個人的な状況をお話ししてしまいました。

「75歳の壁ある」と感じますが、同じような境遇の方がいれば何かの参考になるかと思います。

 

Hiro


片付けも終わったが まだ半分(道志)

2025年01月05日 | なかま道志ベース

二日に女房と道志に入り、昨日(四日)に帰宅しました。今回の目的は二人でゆっくりすることでなく、片付けや掃除などで終始しました。

私は早朝より残材を燃やしています。乾燥していますので見守りながらの作業ですが、何故か見とれてしまいます。

やっと、あたりは明るくなってきましたが、もう8時近くになってです。

それまでの時間は、一昨日のネット障害(ブログ)で、いつも伺っている方々への訪問です。

みなさん、冒頭に接続障害(NTTへのウイルス攻撃被害)のことを話題にしていました。

そして、9時ちょっと前になりました。

冷え込むことを予想して「氷中花」を作る準備をしていたのです。

こうして、洗面器に水を張り自宅から持って来た草花などを浮かべました。

山の向こうから陽が射して来ました。

洗面器を裏返して見ると、氷中花が出来ていました。

青い空に掲げて見ると、こんな感じにです。

これも道志での冬の風物詩になりました。

しかし、水と草花を入れ過ぎたので、完全氷結していませんでした。

直ぐに崩れるように、見るも無残な崩壊です。

これも経験だと思います。

道志の朝はマイナス5度でしたので、ホースからの水も凍って出てきます。

ブログで知り合った、北海道旭川方の地域は、零下14度とお聞きしました。

日本は広いなぁ~と思う一瞬です。

帰宅の準備をしていますので、簡単な朝食です。

これといつもの白菜サラダでした。

女房は掃除機をかけて、私は持ち帰るものを車に積んでです。

水道の元栓閉めて、不凍液を流しトイレは便座は保温して置きます。一昨年ウオシュレットが破裂してしまいましので・・・。

普段は上げて置くフロントワイパーもそのままでした。エンジンをかけて解凍します。

道志街道を通って山道に入り、相模湖インターから中央道のコースです。

あぁ~っ。道志街道で車が渋滞しています。先頭車両がのんびりゆっくり運転だったのです。

カーブの手前からブレーキランプが点いたり消えたりしてかなり低速運転です。後ろの車もイラついているのか?あおっているようにも感じます。特にバイクは追い越すチャンスを狙っているようです。

この車とは途中で相模原方面に行きました。ここでお別れで、あとはスムーズな運転になりました。結局、普段より少し遅くなった到着時間でした。

いつものカップで、コーヒーを飲んで、ちょっと遅い昼食です。

それから、ちょっと出かけました。「さかな屋さん」に刺身を買い求めに行ったのですが、魚河岸がまだ開いていませんね。店は閉じられていました。

そして、コンビニへ向かいます。レジで買い物をすまし、袋に入れてバイクに戻りました。

あれ?無い!

ちょっと高価な片方の補聴器がありません。ポケットを探ってもありません。

急いでコンビニのレジへ向かいました。

店員さんもモノを退けて探してくれましたが・・・。

結局、袋を出す時に絡まって落ちてレジの反対側に落ちているのを店員さんが見つけてくれました。(私には欠かせない必需品で高価なものですから、安堵しましたよ!)

今年初の落とし物です。これから増えるのでしょうね。

さて、今日から私はジムへ。

女房は友だちとダンスパーティーに行って来ると言っていました。

それぞの趣味(楽しむのも)も良いのでしょう!

 

Hiro


モノ作りから改修の時期に!

2025年01月04日 | なかま道志ベース

一昨日も良く動きました。

かなり早朝に目が覚めました。その時は覚えていた初夢も直ぐに忘れています。

先ずは洗面後にコーヒーを飲むのが習慣になっていす。

道志に通い生活して、10数年が経過しました。それまでは作る・育てる楽しみでしたが、今や作ったモノの改修や大きくなった木の剪定になって来ました。

自然相手ですので、朽ちたり育ったりします。

やはり、お正月なのか?切り落とした枝も紅白になっています。赤い枝は梅かも知れません。

女房が起きる前から(6時半ごろの日の出前)から防寒対策して動き始めました。

切り落とした枝木などを処分です。これを終えるまでに、3000歩になっています。

歩いたのではなく、手を動かしていたからなのでしょう。

やっと、朝食にありつけました。普段は一人暮らしですので、お茶漬けやトーストなどあるのもで済ませています。

その後は、こちらの枝木の処分です。

蔦のかっらまった枝もオブジェになりそうです。

山のようにあった、枝木や落ち葉も片付けました。落ち葉は堆肥にします。

落ち葉やおが屑を花畑や畑に撒きました。やがては腐葉土と霜よけになるのでしょう。

その時期になれば、耕うん機(プチな)で耕します。

落ち葉は女房が履いてくれたり手伝ってくれて、思ったよりきれいに片付きました。

私は農機具小屋の剪定に入りました・・・。

女房は近くの温泉に行きたいと言っています。

近くの道志川温泉「紅椿の湯」に送り届けました。結構混んでいたようですが、温かいお湯に浸かってゆっくりとしたようで何よりです。

 

小屋に絡まる蔦も剪定しました。ガラス窓には家や山の景色が映っています。

このようにハシゴをかけて、覆っていたバラなども剪定しました。

この小屋も一人で作るには大変でした。

家の全景と広いデッキが見えます。

屋根に登ると、景色も変わります。

女房から迎えに来てくれと連絡がありました。温泉も気持ち良かったと・・・。

湧き水も勢い良く出ています。この1か月以上雨が降らないので、水源も心配です。

せせらぎの渡り木ですが、だいぶ朽ちて来ました。あれもこれも作ったと思い出します。

このせせらぎも、掘ってはシートを張り砂利を入れて作りましたね。

ワサビの茎がシカに食べられた痕跡があります。

水草に隠れているワサビです。

水面に青い空が映っています。空気は美味しいし、清々しい気分になります。

この辺りは次回入った時に片付けます。体力的にも限度ですね。

簡単な夕食(温泉で買い求めた食材)で済ませました。

今日は帰宅しますが湧き水をポリタンに積んで、片付けとちょっとした作業をする予定です。

朝5時の外気音はマイナス5℃でした。

昼ごろの道志を出ますが、道路は混むのかなぁ~?

 

Hiro


システム障害と二日の道志

2025年01月03日 | なかま道志ベース

昨日、元旦のまで使えていたブログ機能でしたがアップしようとしたら、うんともすんとも開けませんでした。他のネット回線は使えたのですが・・・。

正月早々でしたので、なんで?どうして?と言う感じでいました。

(結局は、2025年1月2日木曜 午前5時27分頃から、goo docomoにはアクセスできない状況で、外部から、サイバー攻撃?があったようです)

これだけパソコン(ブログ)生活に入り込んでいたのが分かりました。

*******

久し振りに、女房と道志に向かいました。

普段なら1時間30分はかからないところ、2時間以上かかりました。

中央道に入って直ぐに渋滞に巻き込まれました。

この富士山方向を目指します。

荷物を降ろし、早速動き始めました。風もなく日向ぼっこ出来るような感じです。

デッキで遅いランチです。やはり一緒にいると心強く感じます。

やはり、自然の中で外で日向ぼっこしながらのランチは更に美味しく感じさせます。

室内の窓越しから、ゆっくりしている女房が見えます。こんな姿を見ていると51年間も一緒にいただなぁ~と思ってしまします。

冬の道志とは思えないような、気温で青い空と澄んだ空気が時を一寸止めたような感じです。

私は前回やり残した屋根に被る枝木の切り落としです。梯子を固定して落ちないように(ケガしないように)細心の注意を払ってです。

見ずづらいかと思いますが、かなり切り落としました。

切り落とした大量の枝です。あとは処分と片付けです。

陽も落ちてきました。やはり寒くなって来ましたね。普段なら、ここから一人飯づくりですが、今回は女房が夕食づくりしてくれました。

食べながら、飲みながらいろいろな話になりました。たとえば、今後の生活やダンスをどうするの?とかです。

やはり、コロナ禍と退職後のハシゴを外されたような生活(気持ち)、その間にも諸々のことがありました。ここ最近になってジムにも通い出し、前向きになって来たところです。

お互いにそれなりに元気ですが、10日の健康診断の結果でなんと言われるかです。

道志の家も、作ることから補修することが多くなって来ました。

手放すこともそろそろかと考えています。まぁ~10数年たくさん楽しませてくれましたからね。

今朝の気温はマイナス2度でした。

7時半過ぎてもお日さまは上がって来ません。

今日も天気は良さそうですね。

霜も降りて、白い道志になっています。

朝のうちに(8時前)には枝木も半分処分して、すでに3500歩になっています。

今日は残った枝木の片付け中心になるのでしょう。

 

Hiro

 


お休み(1月2日)

2025年01月02日 | なかま道志ベース

gooブログのシステム障害によりお休みいたします。

 

Hiro


我が家にもお正月が来ました!

2025年01月01日 | なかま道志ベース

お早うございます。時は平等に止まりませんね。

我が家にも正月(元旦)が来ました!

家主としては、先ずは仏壇に手を合わせます。(拝)

紅白も見ずに、知らないうちに元旦になっていました。良く寝ていて幸せなものです。

カタチだけですが、年越しそばをいただきました。(おいしゅうございました!)

願うは先ずは、己(おのれ)の健康です。

昨年は指をケガして、診療所で12針処置してもらいました。

今年は、道志でケガしないことを願うばかりです。

誰に申し上げて良いのか?今年もよろしくお願いいたします。

 

Hiro


感動的な文「団塊シニアのひとりごと」さんより

2024年12月31日 | なかま道志ベース
拙ブログをご笑覧いただいている「団塊シニアのひとりごと」さんは全くの同世代で、いつも意味深い内容をご紹介されています。

今回は特に感じるものがありましたので、ご本人の承諾を得ずにご紹介させていただいます

「夫婦の絆を感じるさせる一枚のはがき」  2024年12月24日 老後の生き方より

全文をご紹介いたします。

日本郵便のはがきの名文コンクールで入賞した71歳の男性が神様に宛てたはがき、奥様との闘病生活の日々が目に浮かび奥様の無念さ、御主人の悲しみが癒えない気持ち、そして今なお奥様に対する熱い想いが伝わってくる素晴らしい内容に心を打たれた、その一枚のはがきを紹介します。

神様に宛てたはがき

七年前の今日、三年間の苦しい闘病生活を終え、妻が旅立った、一段落して妻のベッドを片付けていると、「もし生まれ変わったら、また結婚してくれますか」と記されたメモを見つけた。

力のない震えた字が愛おしかった「もちろん」と生きている妻に応えたかった。伝えたい言葉がたくさんあったのに、見せたい絵も、聴かせたいジャズも、行きたい街も、神様お願いです、

「僕の方こそお願いします」と必ず妻に伝えてください。と・・・・。

*******

縁側に咲くシャコバサボテン

これは私の話しになりますが、義父が他界した時に長男が父が母に対する想いを綴った手紙を見つけ、葬儀の際に読み上げた内容でした。そこには義父が妻に対する感謝と愛情の想いがあったのです。

「まさ子・・・苦労かけたな。・・・ありがとう。苦しまずに他界してください・・・」全文は控えます。

戦争を経験し、国鉄の機関区で仕事し昇進するための異動があっても、家族とは離れないと断った父です。小さな田んぼを耕しながら暮らしていました。今でも長男が米を送ってくれます。

女房(娘)を東京に出した後(私との結婚)も、子を思う親の気持ちか相当心配したのでしょう。胃潰瘍になり胃を切る手術もしたくらいの父です。

実際に義母と言うより、私に取っては実の母のようでした。前日まで長男夫婦や孫に囲まれて世間話をしていたようです。

翌朝 母はトイレに行き、寝室に戻る途中で倒れて苦しまずに帰らぬ人になりました。突然の別れに、その時の家族の驚きは相当なものがあったかと思います。

しかし父の想いを知っていたのか、母は苦しまずに他界いたしました。その時代でも、愛する妻への手紙を残していた義父でした。

私たちも結婚52年目を迎えます。義父や義母にも申し上げたいですね。おかげさまで幸せに暮らしていますよと・・・。

*******

我儘な私です。団塊の世代ですので、それなりに苦楽ある生活をして来ました。

私自身はまるでお釈迦さまの手のひらにいる孫悟空の様に、自由気ままに飛び回り暮らしてきました。

これも女房のおかげかと思います。私も生まれ変わったら、また女房にめぐり合いたいと思いっていますが、女房は今度は違う人と言っていました。

残念ながら それも有りかな?と思えます。

今年の大みそかになりました。そうぞ!みなさま良い年をお迎えください。

2日は道志でゆっくりします。

 

Hiro


75歳の壁(分かれ道)

2024年12月30日 | なかま道志ベース

朝から動起き回っています。

女房を駅まで送り、その後スタンドに寄り給油と洗車、そして道志用の石油も買い求めました。

道志のスタンドはそんなに利用者も多くは無いのか?そこまでの運搬賃なのか、各種燃料が割高になっているからです。

機械洗車での水洗いだけしてもらい、自宅で拭き取ります。(600円だったかな?)

それから大型電気店にカメラのレンズにホコリが入り、修理をお願いしました。

また、修理のために3万円近い出費です。

そう、材木屋さんで木っ端(こっぱ)は道志で燃やすためと、おが屑をいただきに行きました。

ブログ画像をお見せして、こんな風に使っているとご紹介いたしました。

いつもいただいていますので、何に使うかスマホの画像をお見せしました。

"へぇ~ 敷地内に湧き水が流れているの?"と言っています。

木っ端はこの様に燃やしていると・・・。

材木屋さんも木っ端は産廃で出しているので、持ってってくれると助かると言っていました。

その分、おが屑(カンナ屑など)は、霜よけや通路に撒いています。これもなかなか手に入らないものなんです。

そして、おが屑はこんな風に利用していると、画像をお見せすると喜んでんいました。

普段は、大学の馬術部が貰いに来るそうです。

先日のことですが、ダンスのレッスン最終日でした。

正直、ダンスも嫌いじゃないけど、退職後は気も抜けそれほど(夢中になるほど)好きじゃ無くなったような気もいたします。働いていた頃は試合に出場したり、それなりに頑張ってはいたのですが・・・。

やはり、自由時間も少なくバリバリ忙しく行動している時の方が、多趣味でなんでも熟せるのですね。「忙しい方が、何でもこなせた時期もあった」

60歳で定年。65歳まである団体の役員で。ハンティングされて72歳まである企業のアドバイザーとして、羽田と品川まで約1時間半かけての通勤でした。

この時期ですと、まだ陽が昇っていない時間に家をでました。目的地近くまで座って行きたいので、この駅発の1本見送って次の電車に乗ります。

品川駅の港南口ですね。ここの本社にも出勤していました。

また、モノレールで羽田方向にも勤めました。

モノレールは浜離宮付近を通過します。

手前が自席です。窓際は役員クラスの席ですが、嘱託社員の私が窓際になっていました。

詳しくは申し上げられませんが、窓際が自席でした。

ここは羽田飛行場の近くで夜景がきれいな場所です。

上層階の社員ビュッフェからパチリです。

普段の仕事はアドバイザー(言いたいことを思ったこと言う?)立場でした。

時には、社員幹部を前にしてお話しする機会もあり、また全国を飛び回っていました。大した技量も無いのにです。

結構充実した仕事で、一年契約更新でのただの嘱託社員(アドバイザー)ですが7年間在席していました。

まだ、もう少し手伝ってくれと言われていたのですが、コロナ禍となりまたテレワークとやらで週に数回の出社でしたので、72歳で仕事人間から完全退職したのです。

*退職して間もなく(コロナ禍が収まって)、本部長よりメールがあり会長と3人で送別会をしたいと連絡がありました。場所は神楽坂のお店です。

完全退職してからは、何もすることの無い誰とも話をすることもない生活がスタートしたのです。なんか、ハシゴを外された感じの日々です。

エブリーサンデーとはこのことを言うのでしょう。誰しも経験する大きなスランプ?が4年続きました。

"こんな筈じゃない!"一人観光バスに乗って気分晴らしをしようとしても、バスの中はみなさんグループで話し相手もいなく、そんなに面白いものではありませんでした。近くの公園を散歩しても、万歩計のためでした。

追い打ちをかけたのは、昨年からの夏の猛暑です!暑すぎて動けるような状態ではないのです。

そしてバイクでの交通事故(被害者)から、母の他界その後の手続きなどもありました。

バイク事故では、救急車での搬送でした。

その間に、結婚50周年も迎えました。

今年になって自分の不注意から手のケガも3度もあり、探しものする日々は数えきれないくらいです。

誰が付けたのか「後期高齢者」と言う言葉です。運転免許書更新も認知機能検査も加わりました。いま思うと、高齢者の更年期状態だったと思います。

ダブって乗せています(回想録)

クリスマス前にもスタジオのパーティーがあり、女房と友だちで参加しましていました。

どうせ行かないだろうと私を誘いもしません。(こちらの気持ちも分かっているのでしょう)

私たちの前に、私より年配の方が踊っていました。週に3回レッスンでリハビリを兼ねてを教わっているようです。先生も町が無く効果が出ていると言っていました。

これじゃ~本当に年寄りになっちゃうと思い、9月からスポーツクラブに通い始めました。

運動習慣を身に着けるためと、年寄り体型(頭が突っ込んでいる。背中が丸い。歩幅が小さいなど)を改善するためにです。

パーソナル(個人指導)は週に3回でしたが、今では2回にしています。

全て私のメニューに合わせてです。段々体力と体幹も出来て体型も変わりました

以前は出来なかったことが出来るようになります。

ちょっと、火が付きましたね。

やはり、今の私にとっては運動習慣を身に着けることが、目的と発散につながっているのでしょう。

関西出身の孫のようなトレーナーですが、からかっているのも(会話も)面白いものです。

退職後の誰しも経験する大きなスランプ?(4年間)から、脱皮できそうな感じです。

同じ経験をしている仲間も、抜け出すのに苦労しているようです。

先日もご紹介しましたが、75歳が健康(気持ちも含めて)の分かれ道のような気もいたします。

私が思う「75歳の壁」です。

昨夜も美味しい鍋をいただきました。

すみません!これこそ個人的な状況をお話ししてしまいました。

「75歳の壁ある」と感じますが、同じような境遇の方がいれば何かの参考になるかと思います。

 

Hiro


新聞受けづくりと体幹づくり

2024年12月29日 | なかま道志ベース

毎日、投函してくれる新聞ですが、普通の郵便受けには入りづらいですね。

配達のする方のことも考えて、新聞受けを設置しています。(これで2台目です)

新聞を投函するのにちょうど良い場所にしました。

先ずは杉板を新聞の大きさを考えてイメージづくりです。

やはり、木目が好きですのでバーナーで焦がすように焼きました。この方が長持ちします。

このように、新聞が二つ折りにされて入る投函口です。

裏面は取り出し口をこんな風に作りました。屋根も大きくし雨も入りません。

小型郵便や宅急便の小さなものは、ここに入っています。

道志から持ち帰った杉皮を屋根に張り、庭の真竹を切って割って押さえにします。

風情がありますね。(自己満足の出来る作品?です)

元旦に投函される広告が入っている部厚新聞も入る大きさです。

いつもご苦労さまです」と元旦には新聞受けにメモを張っておきます。

屋根に張った杉皮が小鳥などが巣作りのために啄んでいくのでしょう、また張り替えようかと思っています。

配達される方の気持ちになって、作った新聞受けです。

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クリスマスも過ぎて、いよいよ年の瀬を感じてきました。

家の正月飾りを設置したり、室内の掃除もしていました。

先ずは換気扇の掃除です。

油で目が詰まるくらい放置していました。付け洗いしても落ちません。

庭で小形洗浄機で吹き飛ばすようにしてもダメです。最後はブラシを使って手作業でスッキリしました。

続いて、居間の照明器具です。ガラスを外して洗い流しました。こんなに埃が付くものか?と驚きです。

やはり、明るくなりますね。これら外仕事や高所そして油の付いたようなものは私の役割です。

朝食です。ほんと冷蔵庫の片付けで、女房は節約のためにあまり買い求めません。

きんぴらや、牛筋を大根やこんにゃくなどと煮込んだものも美味しい!

そして、11時半からジムに行って、体幹づくりです。歩いても5分のところです。

人によっては、「車で行って自転車こぎ」なんていう川柳もあります。

パーソナル(個人)トレーナーです。関西出身でまだ若いのですが、人柄も良く私に合ったトレーニング方法を教えてくれます。

このパーソナルトレーニングを受ける前に柔軟を30分かけて行い、ランニングマシンを上り坂(角度7~8度)のようにして、まるで登山のように1時間近く歩くのです。

計2時間半ジムにいたことになります。週に何回かこんなことの繰り返しです。

いつも口にしていることですが、コロナ禍とほぼ同時に退職して(72歳)生活環境が大きく変わりました。老いて来る体も実感していました。なんか前向きにならない月日が続きました。

自分に言い聞かせて、"こんな筈じゃない!"と・・・。

私は75歳が健康の分かれ道かと感じました。この分かれ道でいまの状態を脱皮しなければと思い76歳過ぎてジムに通い出したのです。それなりに費用もかかりますが、病で入院すれば1泊で2万円~3万円(粗食で)します。それを考えれば(そんな状態を先延ばし出来れば)なんとかなるかと思ったからです。

ジムに通って4カ月経ちました。今は心身共に元気中です!

こんなことを考えながら、今朝コーヒー(ガテマラ)を淹れました。

良い香りがしています。

お気に入りの岡山で買い求めた備前の器でいただいています。

 

Hiro


イカ刺しと塩辛づくり

2024年12月28日 | なかま道志ベース

我が家ではクリスマスはありませんでした。お節料理などもせずに、普通の粗食で済ませることにしました。

近所のさかな屋さんで良さそうなイカがありましたので、3杯買い求めました。

ヨシ!まずはイカ刺しと塩辛でも作ろうと・・・・。

先ずは、イカ刺しの出来上がりです。

次に塩辛です。生でもいただけますので、美味しいわけです。

ワタも量も多く、良いものかと思います。適度な塩や醤油と酒などをかきませぜて、指を入れて味を確かめる程度です。

瓶に詰めて保存したしましたが、2日間で無くなってしまうのでしょう。

女房が鶏肉のなんかを作っています。美味しくいただきました。

冬はやはりおでんですよね。出汁から作ってくれますので、本当に美味しいのです。

以前、いただいたことのある羅臼の昆布ですが、今では品が少ないようです。

たまたま、画像が残っていましたので、ご紹介いたしました。

ご進物用ですので、包装も立派です。

なんとまぁ~贅沢なお品(羅臼の昆布)です。

この紋所が目に入らぬかぁ~!です。

酒(麦焼酎)をこよなく愛する私です。拝むようにいただきます。

「百薬の長」この世に酒が無いのは、空気の無い地球のようなものです。

汚れた車も洗い流し、中も掃除機をかけました。

女房も都心へ出かけていますので、昼は具沢山のワンタンにしました。

ほんとこれで十分です。外食などは眼中にもありません。

夜は今年最後のダンスのレッスンです。

朝3時半に目が覚めていたものですから、夕刻6時からのレッスンも気乗りしません。

先に私より年配の方が週に3回レッスンを受けていると言っていました。

リハビリのためだと聞いています。かなり効果が上がって、だいぶ動けるようになったとのことです。

一昨日もこのスタジオでダンスパーティーがありましたが、私は参加しませんでした。

女房と友だちで行ったようです。私は最近(近年)、あまりダンスに興味がなくなって来ていますので、女房は誘いもしません。

レッスンを受ければそれなりのことは習得しますが、直ぐに忘れてしまいます。

帰宅して、メインディッシュ?は寄せ鍋でした。牡蠣やタラも入っていて美味しい鍋です。

検査も近いのでノンアルにしています。無駄な抵抗と言うのか、本来は現状を検査してもらえば良いのでしょう。

 

Hiro


今度は創作の門松づくり

2024年12月27日 | なかま道志ベース

 

もう、年末の27日ですので、今日か明日までに正月飾り29日は苦(9)日飾りと言われますので、早目がよろしいかと思います。

門松は歴史的にも、いろいろと種類があるようです。

門松に使われている竹の切り口は、大きく2種類あって、平に切られた切り口は「寸胴(ずんどう)」、斜めの切り口は「ソギ」と呼ばれるモノがあります。またソギでも上を横に切ったモノも見かけます。

「寸胴」は節がしっかり詰まっていることから、金融機関などがよく使っているようですが、逆にお金がたくさん入ってくるようにとソギを飾っているところもあるようです。

「ソギ」の切り口 は武家で使用されたものとしていますが、デパートなどは見栄えからなのか、ソギ(斜め切り)の上を横に切ったモノが置かれていますね。

諸説ありますので、私にはどれが正解なのか分かりません。

私は創作で諸説は別にして、自分流に作っていました。(過去形です!)

門の前に一か所飾りにしたこともありました。普通は1対ですが・・・。

自宅と母屋がありますので、2か所分作っていました。以前は豪華に作っていました。

 

邪道と言われそうですが、ご勘弁ください。

ただ、自分なりの正月を飾って迎えたかっただけです。

用意するものです。

ほとんどが庭から切り取ったものです。

真竹や荒縄の各種です。

難を転ずる「南天」もです。

さすが、柳?はありませんのでホームセンターで買い求めました。

縁起物の代々(橙だいだい)です。

そして、足元に植える草花です。

考えた大きさに合わせて竹を切ります。竹専用のノコギリはきれいに切れますね。

葉が付いた枝を残して、太さも同じにして準備します。

こんな感じで用意いたしました。切り口はゲソの頂部は横に切り落ちしています。

まぁ~遊びで作っているものですから、いい加減です。

庭に咲く山茶花も利用します。

中段で溝を作りました。この中に水を入れて差し花を生けるためです。

松は神さまが降りてくると言われています。

その松に荒縄で巻ます。

南天(難を転ずる)・橙(先祖代々)など縁起ものを飾りました。

これも母が施設のお世話になった時からは派手なことはやめました

また、コロナ禍もあり、その後はホームセンターで松とうらじろ、輪じめ 飾りなどで今では簡素なものにしています

元旦は国旗を玄関に掲げます。(本来、国旗などは左側に立てるのですが、新聞受けがあり右側にしています)

道志には2日に女房と入ろうかと思っています。

 

Hiro