私と宗教との出会い
私はどんな時においてもその時々のインスピレーションを大切にする人間である。
と同時にそのインスピレーションの正しさの検証においても怠らない。
人間だから誤った判断はする。そういう立場に立って私は常に理詰めで物事を判断するべく研鑽してきた。
私が数学が好きで、大学で数学を専攻したのも、そのインスピレーションを研鑽する心積もりがあったからだ。
大学では徹底的に数学理論を厳密に定義すべく、多くの数学者が苦心していることを知った。
集合の公理から全ての数学理論を再構成しようとしたブルバギ集団など、様々な理論を厳密に定義するために
色々な手法や技術、アイデアが用いられていたが、厳密には言葉の定義を暗黙に仮定する必要があった。
例えば自然数が存在する。素数が存在する。と言った"存在"という言葉とは一体何を指すのか?
"全て"のと言った言葉の裏には一体何が隠されているのか、そういったものが記号化されて暗黙裡に仮定され
論理学が形成されるのを見るに、私はその裏に隠された真実が知りたくなった。
それは認知科学に始まり、脳が如何様に物事を認識するかと言った大脳生理学や、自分と言う存在から見て
世界はどう構成されるかの精神科学、哲学にも私の興味は波及した。
そしてどうしても解かれぬ重たき門の扉を開いたのが、宗教との出会いだった。
私は聖書やキリストの教え、はたまた仏典などにも手を出して、ありとあらゆる宗教にのめり込んだ。
私のインスピレーションの研鑽、それが大学時代の全てだった。
そして私は当時、AIの冬第2期と呼ばれた1992年に某企業のコンピュータソフトウェア事業部に新卒で入った。
人工知能に興味を持った私だったが、思いの他、当時としては陳腐なことしかやっていないと感じた私は
コンパイラに興味を持ち、サーバ向け及びスーパーコンピュータ向けのC/C++コンパイラの開発に10年間携わった。
その後、OS(AIX/HP-UX/RedHat Linux)のサポート部隊に入り、10年間、他社コンパイラ(C/C++/Fortran)の
サポートと共にOSのサポートおよびJavaVMのサポートにも幅広く携わった。
その後の5年は他社製のスーパーコンピュータのOS/通信ソフト(MPI)/JOB管理ソフトとクラスタソフトウェアを
やって、ドロップアウトした。
27年間、コンピュータの基本ソフトにどっぷり浸かった私は、コンピュータの髄までしゃぶれる人間になっていた。
その後、プログラミングのインストラクタを務めるにあたって、色々と勉強しDBやWebまで操れるようになった。
そして晴れて機械学習やAIが華やかさを持って世間にもてはやされ、量子コンピュータまで実現できる時代になって
私も50歳を過ぎた。
数学も圏論を中心とした数学に塗り替えられるべく新しい動きが出ているし、コンピュータも日進月歩の歩みを見せて
なお年老いた私はエネルギッシュにも果敢にこれらの最先端技術に挑戦しようとしている。
新しいものは常に私のインスピレーションを掻き立ててくれる。そう信じているから。
一方で、これらの技術が先行する中、いつかまた私の中で哲学や宗教があの大学生時代のように蘇ってくるだろう日を
楽しみにしている。
まるで輪廻転生のようにもう一度、私を哲学に誘い、宗教の門を叩く日がやってくることを疑わない。
そして死ぬまで、私のインスピレーションの研鑽は続くだろう。
何のために。そう、それは全ては真実を知るためだ❣☺
私はどんな時においてもその時々のインスピレーションを大切にする人間である。
と同時にそのインスピレーションの正しさの検証においても怠らない。
人間だから誤った判断はする。そういう立場に立って私は常に理詰めで物事を判断するべく研鑽してきた。
私が数学が好きで、大学で数学を専攻したのも、そのインスピレーションを研鑽する心積もりがあったからだ。
大学では徹底的に数学理論を厳密に定義すべく、多くの数学者が苦心していることを知った。
集合の公理から全ての数学理論を再構成しようとしたブルバギ集団など、様々な理論を厳密に定義するために
色々な手法や技術、アイデアが用いられていたが、厳密には言葉の定義を暗黙に仮定する必要があった。
例えば自然数が存在する。素数が存在する。と言った"存在"という言葉とは一体何を指すのか?
"全て"のと言った言葉の裏には一体何が隠されているのか、そういったものが記号化されて暗黙裡に仮定され
論理学が形成されるのを見るに、私はその裏に隠された真実が知りたくなった。
それは認知科学に始まり、脳が如何様に物事を認識するかと言った大脳生理学や、自分と言う存在から見て
世界はどう構成されるかの精神科学、哲学にも私の興味は波及した。
そしてどうしても解かれぬ重たき門の扉を開いたのが、宗教との出会いだった。
私は聖書やキリストの教え、はたまた仏典などにも手を出して、ありとあらゆる宗教にのめり込んだ。
私のインスピレーションの研鑽、それが大学時代の全てだった。
そして私は当時、AIの冬第2期と呼ばれた1992年に某企業のコンピュータソフトウェア事業部に新卒で入った。
人工知能に興味を持った私だったが、思いの他、当時としては陳腐なことしかやっていないと感じた私は
コンパイラに興味を持ち、サーバ向け及びスーパーコンピュータ向けのC/C++コンパイラの開発に10年間携わった。
その後、OS(AIX/HP-UX/RedHat Linux)のサポート部隊に入り、10年間、他社コンパイラ(C/C++/Fortran)の
サポートと共にOSのサポートおよびJavaVMのサポートにも幅広く携わった。
その後の5年は他社製のスーパーコンピュータのOS/通信ソフト(MPI)/JOB管理ソフトとクラスタソフトウェアを
やって、ドロップアウトした。
27年間、コンピュータの基本ソフトにどっぷり浸かった私は、コンピュータの髄までしゃぶれる人間になっていた。
その後、プログラミングのインストラクタを務めるにあたって、色々と勉強しDBやWebまで操れるようになった。
そして晴れて機械学習やAIが華やかさを持って世間にもてはやされ、量子コンピュータまで実現できる時代になって
私も50歳を過ぎた。
数学も圏論を中心とした数学に塗り替えられるべく新しい動きが出ているし、コンピュータも日進月歩の歩みを見せて
なお年老いた私はエネルギッシュにも果敢にこれらの最先端技術に挑戦しようとしている。
新しいものは常に私のインスピレーションを掻き立ててくれる。そう信じているから。
一方で、これらの技術が先行する中、いつかまた私の中で哲学や宗教があの大学生時代のように蘇ってくるだろう日を
楽しみにしている。
まるで輪廻転生のようにもう一度、私を哲学に誘い、宗教の門を叩く日がやってくることを疑わない。
そして死ぬまで、私のインスピレーションの研鑽は続くだろう。
何のために。そう、それは全ては真実を知るためだ❣☺