調べたいことがあって伝説の遊女「明月」が歩いたであろう道を実際に歩いて見ました。
博多柳町の妓楼薩摩屋に売られたお秋は、源氏名を「明月」と称して遊女としての暮らしが始めりますが、信仰心が厚く両親、許婚を弔うために、毎朝、旧柳町から万行寺(現・博多区祇園町)までお参りを欠かしませんでした。1578年(天正6年)に病を得て22歳で亡くなります。49日が過ぎたとき墓から蓮の花が咲き出したそうです。墓を掘り返してみると「明月」の口から蓮の茎が伸びていたという伝説があります。旧柳町から万行寺のあるところまで、どのくらいかかったのだろうと、今日、実際に歩いてみました。信号機などで止まらないといけませんが、約30分でした。往復1時間ならできないことはなかったでしょうね。
明月がまつられいる万行寺
万行寺本堂 本堂も承諾していただいてお参りさせていただきました。「明月」の口から咲いたという蓮の花は5年に一度見ることができるそうです。
明月の墓 隣の墓もやはり遊女が十数人まつられている墓です。