今日は19歳で亡くなった、旧柳町の遊女雪友の紫陽花忌でしたので、お墓のある福岡市博多区の選擇寺(せんちゃくじ)にお参りしました。雨が降っていてお寺の外観は撮れませんでしたが、こじんまりしたお寺でした。このお寺は亡くなった遊女の投げ込み寺で、江戸時代から明治初期にかけて亡くなった遊女580体が無縁仏としてまつられているそうです。
雪友の紫陽花忌の祭壇 雪友は母親が亡くなった時、この寺に10両の寄進をします。それから4年後の文久元年(1861年)6月27日に彼女も19歳で病死します。ということは10両を寄進した時は15歳! 一体彼女は幾つから遊女だったのだろう。愕然! 一気に気分が落ち込みました。
雪友像 左側の人形。どの本にもこの像が雪友として載っています。毎年、博多人形師有志の方が人形を数体奉納されているそうです。
雪友の仏壇? 或は遊女の無縁仏がまつられているのでしょうか? お寺の方に確認していませんので分かりません。
短冊 仏壇の横に下がっていました。
紫陽花忌のお参りに行かれたのですね。
優しいお方ですね~おつかれさまでした。
雪友は選擇寺にお墓があって母親といっしょに眠っているそうです。
当時寄付した10両は現在で換算すると70万円位だそうです。
お気の毒に苦しい時代でしたね~。
今の世は一体どうなってしまったのでしょう。
子供や親を平気で殺して埋めたりと恐ろしいことです。
こんばんは。
貧しくて売られた女たちは、
死んでも手厚く祀られることなく無縁仏だなんて。
雨はしとしと降っているし、私の心もじめっとしそうでした。
雪友さんの墓石は小さなものでしたが、墓があるだけいいのかもしれませんね。
男が支配する社会体制では人類史の初期から存在していたことが記録されていますが、悲しい存在ですね。
初期の状況がどのようなものであったかは存じませんが日本における遊女の物語は悲しいものばかりのようにも思えます。腹立たしいことですが
「人の道は己に依らず、歩む人は自らその歩みを定むることあたわざるなり」という言葉もあるように、社会の体制を完全なものに変えることは、人間には不可能なことなのでしょうかね。
紫陽花の季節の法要、なにかしっとり落ち着きます。
博多人形から雪友を偲んでいます。
nampooさんがきっかけとなり、いくつかの廓物を読みました。
最近は「輪違屋糸里」を読み終えました。
おかげで廓を少しだけ知り得ました。
昔はいかに女性の地位が低かったか
わかりますね。
遊女として売られたのか15歳で10両の
寄進ですか..。19歳の短い生涯~今の世でしたら
きっと賢い女性としてもっと違う人生が
あったでしょうね~
こんにちは。
おっしゃる通り日本に限らず、ギリシャ、ローマ時代から売春婦がいましたね。
私が調べるのは日本の遊女ですが、調べれば調べるほど過酷な人生だったろうと、
胸の痛くなる話ばかりです。
こんにちは。
廓で暮らした女たちのことに興味を持っていただいてうれしいです。
今は歴史の中に埋もれていますが、
当時、殆んどの遊女が20代で亡くなっているのを見ても、
いかに過酷な人生だったろうと胸が痛くなります。、
こんにちは。
15歳の時すでに10両貯めていたのですから、
何歳の時から遊女をしていたのでしょうか。
それを考えたときまさしく驚愕しました。
雪友は生きるってことをどういう風に考えていたのか聞いてみたいと思いました。