ひめちゃんは、堀之内を北に出ました。
赤柴ラッキー君ちの近く、蕨沢川に架かる最初の橋・久留美田橋からUターンです。
先日、蕨沢川の始点・童沢貯水池には水がありませんでした。
でも、川は水音を立てて流れています。
川沿いにあった、三基の石宮は全くその存在を感じません。
雑草と竹に覆われて、完全に忘れ去られてしまったようです
寒い寒い冬で、椿は凍みてしまって、なかなかきれいに咲いてくれません。
でも、クリスマスローズは、次々と開花しています。
防寒に古葉を付けておいた方がいいのか、それとも古葉切りをして花をスッキリ見せた方がいいのか
2月7日、首塚八幡宮からの帰り、於菊稲荷神社(おきくいなりじんじゃ)に寄ります。
(街道を行く・中山道 群馬県歴史の道2 群馬県教育委員会)
①が首塚八幡宮、②が胴塚稲荷古墳です。
胴塚稲荷神社前の道を右に、岩倉橋を渡って帰ります。
⑨が於菊稲荷神社、烏川を渡ってすぐ右手の⛩は、角淵八幡宮です。
どちらも寄って行きましょう
迷うことなく、於菊稲荷神社の駐車場です
於菊稲荷神社は、ウィキペディアによれば、
創建年代は不明である。1582年(天正10年)の神流川の戦いで、後北条氏に勝利をもたらしたことから、社殿が整備された
当社は中山道の新町宿の中にあり、遊女や飯盛女が多くいた。彼女らが奉納した絵馬が現在も残っている。
とあります。
また、於菊伝説として
宝暦年間(1751年 – 1764年)、新町宿に「於菊」という美しい娘がいた。ところが重病に罹り療養生活を送っていた。於菊が当社に病気平癒を祈ったところ、病気が治り元気になった。その際に「人のために尽くせ」という霊夢を見、後の半生を当社の巫女として生きることになった。於菊は予知能力を授かり、様々な物事を言い当てるようになった。そのことが評判を呼び、いつしか「於菊稲荷神社」と称されることになった。
とあります。
別の説もあります。
大黒屋の娼妓於菊は大変な美貌と気立ての良さで新町随一の売れっ子。ところが病に倒れると大黒屋からはのけ者に。 村人が稲荷神社の小屋で看病したが、ある日、お菊の枕元に稲荷の霊が現れ奇跡的に全快。 感謝した於菊は稲荷神社の巫女となったのだとか。以来 於菊稲荷神社 と呼ばれるようになり神社はますます隆盛を極めたそうだ。
後者の方が、お菊さんの霊能力が強そう
⇒で行くと社殿に出るようです。
でも、鳥居から入ります
鳥居を目指していくと、脇にもたくさんの鳥居です
やっと本来の鳥居です
双体道祖神と境内の説明板もあります。
ちょっと不思議な二人です
遊女参詣図ですって
遊女も大勢参詣してたようですね。
右下の出入口から、直進です。
振り返ると、あれ、野州足利の文字が
ここは、中山道新町(しんまち)宿です。
下野の国・足利の商人も、さかんに行き来したのでしょう
そうすると、遊女参詣図も納得です
雷電神社です。
上州だから、雷が多いかな?
道祖神です。
撫でられてるかな?
鳥居の途切れた所を、曲がります。
まだまだ、鳥居が続きます。
狛犬です。
こんにちは
どうも新しそうです。
まだまだ、鳥居は続きます。
やっと、社殿が見えてきました
まだ、鳥居が増える余地ありですね。
手水舎と狛犬(狐)が、見えてきました
狐さん、こんにちは
(つづく)