続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・多賀城南門と壺のいしぶみ

2023-11-22 19:08:57 | みちのく紀行

ハイシニアのタバサねーちゃんは、まだ寝ています。

ひめちゃんは1人散歩で、久しぶりに岩神沼まで行きました

沼にはカモさんの姿がありました

ひめちゃん、ちょっと物思いにふけってるかな?

獅子くんとよく来たね

 

まだ赤いサルビアの残る道を歩いて帰ります。

サルビアって、案外花期の長い花なんだ

 

 

 

(10月25日)

多賀城南門そばの、壺のいしぶみに到着です

覆屋の中に、壺のいしぶみがあります。

説明板を確認です。

多賀城は、奈良の都から1500里、蝦夷の国境から120里、常陸の国境から412里、下野の国境から274里、靺鞨(まっかつ)まで3000里です。

当時の1里は535mと言うことなので、奈良の都から802、5km、蝦夷の国境から64、2km、常陸国境から224、7km、下野国境から146、59km、靺鞨まで1605kmとなります。

 

蝦夷は近いですね。

都から上野を通って下野を通って、多賀城に行っていたのでしょう。

 

靺鞨は、当時朝鮮半島の付け根にあった国です。

明治の頃まで、会津を通って阿賀野川沿いに、日本海に出る道があったとか。

たぶん、日本海を越えて交流していたのでしょう。

 

お久しぶりに、壺のいしぶみにご対面です

西の文字ははっきり見えます。

他はよく見えません。

 

横からの壺のいしぶみです。

平らな面を出すことも大変だったでしょう。

この壺のいしぶみ(多賀城碑)とともに、上野国の多胡の古碑も、日本三古碑なのですね。

そして、上野国山上(こうずけのくにやまがみ)の多重塔は、上野三古碑に次ぐ第四の古碑と言われています

 

 

壺のいしぶみの後ろは、多賀城政庁跡です。

整備が進んでいるようです。

前回は、ボランティアガイドさんに案内してもらいました

又の機会に行ってみましょう

百名城スタンプもこの先ですね。

お天気も心配だから、又の機会にしましょう。

 

 

壺のいしぶみの向こうに、多賀城南門です。

 

多賀城南門を眺めながら、駅に戻ります。

奈良時代にタイムスリップしたような風景です

 

雲行きが怪しくなって、パラパラと降り出しました

また来まーす

 

国府多賀城の駅に戻ります。

ボランティアガイド案内所に、「行ってきました お世話様でした

駅の自販機にも、多賀城創建1300年です。

確かに大切な歴史です。

でも、多賀城創建以前も、東北には歴史がありました。

それも忘れて欲しくないけど、ともかく来年を期待しましょう

 

線路上の連絡通路も、多賀城の回廊のイメージです。

 

 

 

(つづく)

 

 

コメント
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