続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・松島の地名発祥の地雄島探訪

2024-10-13 15:33:15 | みちのく紀行

しっかり晴れました

ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いて来ました。

ちょっと強くなりそうな日射しでふよ

赤城山は、きれいにその姿を見せています。

今日は、ライダーさんが赤城山にいっぱい登っていくかも

早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

(9月25日)雄島探訪続けます。

短いながらもトンネルです。

手で掘ったのでしょうね

須花(栃木県佐野市田沼町)の手で掘った明治のトンネルを思い出します。

須花・手掘りの明治トンネル

 

トンネルを抜けると、さらに霊場の雰囲気が増します

 

この先は海です。

妙覚庵跡の文字が見えます。

遊覧船のある松島の風景です。

若い日に高校の同級生とやって来た時には、強引に遊覧ボートに誘われて、松島の霊場としての面など感じずに帰りました

マイナーなイメージの松島が、去年のまで続いていました

 

 

海岸縁を進みます。

句碑群?

 

 

高台にあがると、薬師堂跡です。

薬師様がおいでです。

合掌

雄島最古の板碑ですって

こんな形の板碑があるんだ

大日如来?

弘安8年(1285)て、鎌倉時代ですね。

この薬師堂跡は、去年の瑞巌寺企画展のチラシにも、入り口の案内図にもありません

 

 

隣は松吟庵跡です。

松の向こうに、松島の海です

 

 

海沿いの道を辿ります。

「奥の細道」の文字が見えます

ここには芭蕉の句碑と曽良の句碑が仲良く並んでいると言う事です。

階段を登ってみます。

うーむ、これは違いますね。

曽良の句、「松島や鶴に身をかれほととぎす」です。

仲良く並んでいると、雄島入り口の案内版にありましたけど。

ありません

奥の細道出立前に詠まれた「朝よさを誰まつしまぞ片心」の芭蕉の句碑がありません。

「松島が呼んでいる、なんとしても松島に行きたい」みたいな、奥の細道を歩く原動力の一つになった句なのに

どうしたのかな?

震災で崩れ落ちてしまったのかな?

 

 

雄島探訪、半分近く来たようです。

まだまだ続きます

 

 

(つづく)

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