今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内の北の方を元気に歩いてきました。
でも、帰り道、草むらが好きなひめちゃんは、何ものかに右前足をかまれました
動物病院で、痛み止めと解毒剤の注射をして、お薬をもらってきました。
蝮(まむし)にかまれたかも知れません
動物病院が休診でなくて、本当に良かったです
獅子丸家(獅子丸が七年間養子にいっていた家)のご先祖は、常広寺(じょうこうじ)の開基・本橋院殿寶輪廣誉大居士(ほんきょういんでんほうりんこうよだいこじ)です。
そして、彼の俗名は山上郷右衛門顕将(やまかみごうえもんあきまさ)だといいます。
小田原からやって来たと伝わり、家紋の裏紋は三つ鱗です。
そして、北条から嫁が来たともいいます。
ええッ
伝承しかありませんけど、獅子丸家はこのあたりでは一番古い家です。
それはほとんどの人が認めているところです
ひめちゃんや獅子丸が住んでいる葛塚の要害の地は、関東管領と古河公方が衝突する紛争地域でした
その後もさまざまな勢力に蹂躙されて、こかんの郷(荒れ果てた土地)になってしまったのです
世の中が収まって最初にやって来たのは、獅子丸家の人々でした
戦乱で無くなった人々の霊を弔うため、山上城の鬼門に常広寺を建てました
自家は葛塚城の鬼門に長安寺を建てました
(山上城から北東に数百mで葛塚城です。)
ここには以前にも寺があったようなので、再興というべきかもしれません。
戦国武将・小田原北条家家臣山上郷右衛門は、上野国、特に東上州を動き回りました。
郷右衛門は、小田原城開城後北条氏直に従って高野山に行っています。
その後、徳川家康に使番(伝令将校)として使えたと言います。
なぜ、晩年、山上の地にやって来たのか?
山上は、いまだに全国の山上さんが、ルーツの地としてやって来ます
もしかしたら、郷右衛門さんもご先祖の地と勘違いして、この地に執着を持っていたのかもしれません
小田原からやってきて帰農した山上さんは、ご先祖様の戒名にちなみ改姓しました。
山上の山上さんであることが、何か煩わしさをもたらしたのでしょう。
父祖の地と勘違いして、こかんの郷にやって来た獅子丸家もあれから400年、誇りと伝承をのみ残して、最後の一人になっています。
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