続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

上三原田の歌舞伎舞台(教育的配慮で移転)

2022-08-22 14:38:05 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

まだカンカン照りではないので、高齢犬のタバサねーちゃんも、少し遠くまで歩けそうです

久しぶりに山上の薬師の道でも行こうか

 

諏訪神社の向こうの高台中央で、北に進路をとります。

お久しぶりの薬師の道です。

草に埋もれているけど、みなさんご無事です。

合掌

 

この道の先には、正泉寺(しょうせんじ)です。

今は山門を残すだけで農耕されています。

でも、常広寺が兼務と言う形で、寺としては存続しているそうです。

右折して帰ります。

 

少し行くと、姿は見えねど、川を渡ります。

胡桃の木の下を、水音を立てて流れる川があります。

この川は、山上の元蓮田の脇を流れ、膳八幡神社の脇を流れ、やがて八幡(やはた)橋で蕨沢川(天神川)に合流します。

地図を眺めると、ここが始点です。

でも、振り返ると、もっと先から流れてきているようです。

そのうちに探検してみましょう

 

 

 

8月9日、吾妻から大正橋で利根川を渡って、国道353号線で帰ります。

 

おや、妙にクラシックで気になる建物があります。

上三原田(かみみはらだ)の歌舞伎舞台です。

噂は聞いていましたけど、そして何度も前を通っていたけれど、初めて気がつきました

 

一応駐車場もあります。

これは是非見学です

 

懐かしい心安らぐ景色です

 

説明板を確認です。

この地、赤城町上三原田に生まれた大工、永井長治郎翁が各地を巡遊した後、大阪で技術を修行し、工夫考案して文政二年(1819)に赤城山天竜寺境内に建立した。

それを明治十五年(1882)に現在の地に移設した。

 

そんなに凝った建造物を、何故わざわざ移転したんだろう?

 

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)に、赤城山天龍寺(勢多郡赤城村大字上三原田)があります。

舞台移設の経緯もありました。

文政二年(1819)、名工永井長治郎が、龍龍寺境内へ歌舞伎回り舞台を建築した。しかし、龍龍寺が三原田学校の校舎に使用された(明治七年)ので、教育上差し支えがあることから、明治十五年(1882)に、現在地に移転された。(角田恵重『名工永井長治郎伝』)

 

現在とは価値観が違うのでしょう。

教育的に差し支えがあったんですか

むしろ教育的な事のように思えますけど

 

 

上演の写真です。

客席のアーチは、地元の人々が竹を組みあわせて、作るんだそうですね。

 

由来がありそうだけど、分かりません。

 

左から見学です。

 

舞台正面です。

赤城山が見えます

ここは勢多郡赤城村でした。

 

振り返って客席です。

ここに巨大なアーチのドームが作られるんですね。

地域の人々の協力って素晴らしい

 

駐車場の側に、バス停「舞台上」です。

赤城山の中央に聳える地蔵岳が見えます

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