続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

再びの法身窟(法身禅師と無住道暁と行仙上人は同時代を生きた)

2024-10-21 18:32:43 | みちのく紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

早々と用を足したタバサねーちゃんは、Uターンして帰ります。

いつも一人散歩、ちょっと寂しいでふね

うっすらと浅間山が見えます

左折して、天神田を歩きます。

赤城山はきれいに見えます

酪農王国を夢見た残骸が見えます

けっこう多くの農家が夢見たようです

 

先日、小鳥の訪問を受けた椿、開花です

ピンク系の花が、早めに咲いているようです

 

 

 

(9月25日)

瑞巌寺の本来の参道に出ます。

人力車がいます。

ロマンがありそうだけど

 

自販機で拝観券を買って受付を済まし、御朱印もお願いします

去年は瑞巌寺の後五大堂に行ったので、御朱印をいただき損ねました。

今年は、一年遅れてだけど、一緒にお願いします。

 

 

さて、左手に法身窟です

合掌

去年はさほどの感動もなかったけれど、今回は大感動です

去年何気なく購入して帰った「まつしま法身禅師ものがたり」、とても感動の物語でした

法身禅師の略年譜に、寛元3年(1245)

この頃、「円相に丁字」の公案によって悟り、証明を受けて日本に帰る。

この頃、『妙法蓮華経玄義』を講義し、無住道暁、それを聞く。

とあります。    

 

無住道暁(むじゅうどうぎょう)は、『沙石集』で「上野国山上の行仙上人の事」を書きました。

そして、その数人あとに、「法心房の上人の事」を書きました。

奥州松島の長老、法心房は、晩出家の人にて、一文不通なりけれども、渡宋して、径山の無準の下にて、仏法の心地ある上人と聞こえき。公案を得て、座禅する事多年、居敷に瘡出て、膿むみ腐り、虫出来るほどなりけれども、退せざりけり。 

 

無住道暁は、行仙上人と法身禅師と同時代を生きて、接点があったのです。

感動

 

改めて、合掌

 

御利益ありそうなマニ車です。     

廻したつもりで合掌

 

 

さて、本堂に向かいましょう。

崖沿いの道を行きます。

 

 

格式の高そうな門です。

向こうに本堂が見えるけれども、ここからは観光客は入れません。

 

 

右にある庫裏から入ります。

庫裏は国宝だったんだ

庫裏及び本堂はカメラ禁止です。

 

庫裏を出て宝物館に向かいます。

振り返って庫裏です。

さすが国宝の庫裏です。

5本の幟で山上多重塔を再び国宝にと目指す、新里文化財保護協会のみなさん、国宝ですよ

是非、おいで下さいね

 

 

宝物館も撮影禁止です。

大きな円空仏、今年も逢えました。

合掌

釈迦如来かな

 

 

受付に戻って、御朱印をいただきます。

ありがとうございます

 

 

ブロンズの延命地蔵の前を左折します。

この先にも、確認したいところがあります

 

 

(つづく)

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瑞巌寺・洞窟群と西国三十三観音

2024-10-19 16:18:58 | みちのく紀行

ひめちゃんは赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

小屋からプーちゃんの白い手が出てます。

おはよう

 

堀之内の西を歩いて帰ります。

去年実っても刈り取られることなかった田んぼ、稲がだいぶ頭を垂れてきました。

大丈夫かな

マリーゴールドがまだ咲いてます

ムーハウスガーデンのマリーゴールド、来年は草に負けないように祈りますでふ

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、お外のお部屋で朝ご飯です。

ふと見ると、椿の枝が揺れてます。

何だろう

小鳥さんの訪問です

 

 

 

 

(9月25日)海岸沿いの県道を歩いて、瑞巌寺門柱に到着です。

 

門柱とコラボして、記念写真を撮っているおばさん達がいます。

門柱にカメラを向けにくい

日本人はこういう行動をするかな

 

 

総門をくぐります。

直進すると、拝観受付ですけど、右折します

右手の洞窟群と西国三十三観音を再拝したいのです。

門の額には「桑海禅林」、「扶桑(日本)の海辺の禅寺」という意味で瑞巌寺のことと瑞巌寺HPにはあります。

去年は帰りに総門から出たので、洞窟群の前の西国三十三観音、33番から逆に参拝でした。

今年は1番から参拝しまーす

 

瑞巌寺についての説明板も確認です。

瑞巌寺前身・臨済宗円福寺の開山・法身禅師と北条時賴が出会ったという、法身窟も再訪したいのです。

 

 

西国三十三観音、始まります

昭和9年に安置されたのですか。

劣化はまだウチバですね

どうも、多面多肢多眼の方が多いような

 

洞窟群の説明です。

元来納骨や供養の為の施設で、造営は鎌倉時代に遡り、江戸時代まで続いた。松島は古来「奥州の高野」と呼ばれ、浄土往生を記念する神聖な場所であった

 

昨年の訪問で、松島の洞窟群に衝撃を受けました。

若きのイヤな松島のイメージが吹っ飛びました

霊地・松島を知りました

 

崩落の危険でもあるのかな?

少し離れての巡拝です。

皆さんに合掌

 

それにしても、多面多手多眼の方が多かったような

 

さて、拝観受付前です。

あれ、人力車がいる

去年は、「瑞巌寺近道⇒」の表示に誘われて、この左手から来ました。

 

 

(つづく)

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金色の地蔵菩薩坐像(水族館建設で移転)

2024-10-17 16:44:49 | みちのく紀行

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひっつき草が咲き実をつけ始まってます

この草の実が付くと痛いし離れない、いやでふね

 

なるべく近づかないように通りましょう

蕨沢川を渡らずに、天神田を歩いて帰りました。

赤城山の地蔵岳、頂上の建造物が霞みながらも、見えるようになりました

 

 

 

(9月25日)雄島探訪、最後は真珠稲荷を参拝です。

 

 

鳥居を出て、渡月橋に戻ります。

振り返ると、あれ、あんな所にも仏がおいでです

なんとなく釈迦如来?

合掌

ここにも一円玉がいっぱいあがっています。

雄島では5円玉を見ませんでした。

どうしてかな?

 

 

渡月橋を渡って、雄島にさようならです。

振り返って真珠稲荷です。

今度来たら、階段を登って、最初に参拝します

 

 

橋の上からの雄島の景色です。

 

 

橋の上から、対岸の景色です。

今度来る事があれば、この右側の道から来ましょう

今回は、左から帰ってみます。

 

 

元来た道を戻ります。

松島離宮という大きな建物があります。

何屋さんかな?

大きな大きなアミューズメントパークのように見えます。

今回は、瑞巌寺にも寄りたいのでパスです。

 

 

道の反対側に、ひっそりと御堂があります。

ちょっと、寄ってみましょう

かなりというか消える寸前ですけど、説明板があります。

解脱院・地蔵菩薩坐像ですって

よく見えないけれど、

?から水族館の場所に移され、昭和12年水族館建設によって現在の地に移されました。

 

松島水族館を検索すると、なんと水族館の跡地には松島離宮が出来たと言うことです。

昔初めて松島に来たときは、強引な勧誘でモーターボートで湾内を廻って、水族館なんて寄りませんでした。

それ以来、松島は嫌いでした

去年たまたまやって来て、はじめて霊地・松島を知りました

水族館も寄りたかったな

 

 

さて、お地蔵様に鈴を鳴らして参拝です。

合掌

 

ちょっとお姿拝見

金色(こんじき)のお地蔵様です

もう、一度合掌

 

 

松島海岸駅方面に戻ります。

今回は、瑞巌寺近道の表示に誘われず、瑞巌寺山門を目指します

 

 

(つづく)

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続・続・松島地名発祥の地雄島探訪

2024-10-15 14:55:19 | みちのく紀行

ひめちゃんは堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

 

いますでふよ

 

向こう岸にアオサギさんがいます。

視線に気づいたのか、彼は弾丸のように飛び去っていきました

ここのところ、サギさんの姿がなくなりました。

逢えて良かったね

 

サルビアの小径を帰ります。

サルビアって、案外花の時期が長いんだね。

来年は、植えようか

 

 

 

(9月25日)雄島探訪続きます。

 

 

島の真ん中辺だと思いますけど、奥の細道の記憶を確認しました

向こうに建物が見えます。

松島というイメージの海が見えます

 

 

坂道を登ります。

「把不住」とあります。

先の案内図によれば、座禅堂との事です。

島の中央の建物になりそうです

今でも座禅をするのかな

 

 

さらに進みます。

ここが、この島のメインとも言うべき、頼賢碑です。

 

松島の海もよく見えます

対岸も見えます

今回は、あそこから来たのです。

 

覆屋の中の頼賢碑です。

なんとなく文字がありそうだけど、ほぼ読めません

説明板を確認です。

この石碑は、鎌倉時代末期の徳治2年(1307)、松島妙覚庵の主であった頼賢の徳行を後世に伝えるため、頼賢の弟子達が雄島の南端に造立したものです。頼賢は22年間島で修行したことから、同じくこの地で長きにわたって修行を積んだ平安時代の高僧見仏の再来と讃えられました。

 

ともかく、合掌

 

 

海沿いの道を下ります。

奥の細道の記憶を横目に、渡月橋を目指します。

 

 

橋の手前に神社です。

額は読めません

先の案内図だと、真珠稲荷です

 

鳥居の足下に、何だろう

新右衛門稲荷の文字が見えます。

天明の頃雄島の狐が・・・・・・?

 

元々は新右衛門稲荷?

検索すると、ここは海難防止の守り神との事です。

1円玉を上げて鈴を鳴らして、2礼2拍1礼です

 

ちょっと横に廻ります。

渡月橋から、最初に見えたパワースポットです

今度雄島探訪することあれば  最初に参拝しましょう

 

 

(つづく)

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続・松島の地名発祥の地雄島探訪

2024-10-13 15:33:15 | みちのく紀行

しっかり晴れました

ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いて来ました。

ちょっと強くなりそうな日射しでふよ

赤城山は、きれいにその姿を見せています。

今日は、ライダーさんが赤城山にいっぱい登っていくかも

早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

(9月25日)雄島探訪続けます。

短いながらもトンネルです。

手で掘ったのでしょうね

須花(栃木県佐野市田沼町)の手で掘った明治のトンネルを思い出します。

須花・手掘りの明治トンネル

 

トンネルを抜けると、さらに霊場の雰囲気が増します

 

この先は海です。

妙覚庵跡の文字が見えます。

遊覧船のある松島の風景です。

若い日に高校の同級生とやって来た時には、強引に遊覧ボートに誘われて、松島の霊場としての面など感じずに帰りました

マイナーなイメージの松島が、去年のまで続いていました

 

 

海岸縁を進みます。

句碑群?

 

 

高台にあがると、薬師堂跡です。

薬師様がおいでです。

合掌

雄島最古の板碑ですって

こんな形の板碑があるんだ

大日如来?

弘安8年(1285)て、鎌倉時代ですね。

この薬師堂跡は、去年の瑞巌寺企画展のチラシにも、入り口の案内図にもありません

 

 

隣は松吟庵跡です。

松の向こうに、松島の海です

 

 

海沿いの道を辿ります。

「奥の細道」の文字が見えます

ここには芭蕉の句碑と曽良の句碑が仲良く並んでいると言う事です。

階段を登ってみます。

うーむ、これは違いますね。

曽良の句、「松島や鶴に身をかれほととぎす」です。

仲良く並んでいると、雄島入り口の案内版にありましたけど。

ありません

奥の細道出立前に詠まれた「朝よさを誰まつしまぞ片心」の芭蕉の句碑がありません。

「松島が呼んでいる、なんとしても松島に行きたい」みたいな、奥の細道を歩く原動力の一つになった句なのに

どうしたのかな?

震災で崩れ落ちてしまったのかな?

 

 

雄島探訪、半分近く来たようです。

まだまだ続きます

 

 

(つづく)

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