続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

松島地名発祥の地・雄島探訪

2024-10-12 14:48:30 | みちのく紀行

今朝はなんとなく秋の空気です

ひめちゃんは堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

 

アオサギさんがいます。

朝ご飯探してるかな?

ひめちゃんとおかあさんの視線に気づいて、彼は弾丸のように飛び去っていきました。

 

今日は日向ぼっこしながら、お外犬です。

タバサねーちゃんも熟睡してます

 

 

 

9月25日、松島海岸に行こうと、仙台駅の仙石線ホームで急いで飛び乗った電車は、東塩釜止まりでした

最後尾の車両だったので、車掌さんの姿が見えました

「松島海岸まで行きたいのですけど、東塩釜で降りたらそのまま、次を待てばいいですか?」

「何処で降りても大丈夫ですよ。3本目が松島海岸まで行きますよ

このあとの2本は東塩釜泊まりで、その先に行くのは3本目と言う事のようです

 

去年降りた事のある多賀城駅で降ります

歌枕・沖の井と末の松山を探訪して、国府多賀城駅までバスで移動しました。

向こうのホームに停車している電車には、アニメのキャラクターが描かれています。

上電だけでなく、JRでもキャラクター電車があるんだ

それにしても、昔々の仙台市民は電車に乗るのも大変、分からないことだらけです

 

そういえば、昨日もまごつきました

多賀城跡最寄りの国府多賀城駅は、東北本線の駅です。

JR東北本線の乗り場がわからない

新幹線改札近くの案内所で「国府多賀城に行きたいんですけど

「次は2番線から、13時13分です」

「ありがとう

車内アナウンスでは、「この電車は東北仙石ラインです。塩釜までは東北線、塩釜から先は仙石線を走る石巻行きです。」

ええ、そんな走り方があるんだ

まあ、めでたく国府多賀城駅に着きました

 

 

多賀城駅で2本の列車を見送って、3本目の電車に乗って、やっと松島海岸駅に着きました

 

まず雄島(おしま)探訪です。

去年、瑞巌寺の宝物館で雄島を紹介する企画展をやっていました。

昨年の企画展チラシに、「観覧後は雄島へと足を運び、霊地としての面影を肌で感じて見ませんか?」とありました。

でも、準備不足で、雄島が何処なのかも知りませんでした。

もちろん、雄島にも足を運びませんでした。

 

 

今回は、まず雄島を目指します。

松島海岸の駅を出て、去年の企画展のチラシを片手に、右の海岸方面への道を辿ります。

渡月橋を目指します。

 

しばらく行くと、雄島300mの案内です

 

さらに行くと、雄島の案内図があります。

後から考えると、ここを左折すればよかったのです

 

松島の地名発祥の地なんだ

 

更に行くと、大きな駐車場です。

案内図を確認です。

左下に現在地があります。

 

雄島100mの表示です

向こうにみえるあの島が、雄島です。

松がいっぱいだ

 

島に渡るには、赤い渡月橋を渡ります。

密ではないけれど、それなりの人出のようです。

後に続いて、渡月橋を渡ります。

 

左後方を振り返ると、霊場の雰囲気の場所が見えます。

さっきの所を曲がっていたら、あそこを通って来たのでしょう

 

橋を渡って、なんとなく左へ行きます。

石仏のみなさんには、何故か1円玉です。

どうしてかな?

持ち合わせの1円玉を上げて合掌

 

トンネルです。

トンネルの向こうはどんな世界が広がっているのでしょう?

 

 

(つづく)

 

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四ッ谷用水とX橋の記憶

2024-10-10 15:33:39 | みちのく紀行

ひめちゃんは、久しぶりに堀之内を西に出ます。

あれ、何かいたかな?

行っちゃったね

 

このまま進んで、諏訪神社の向こうの高台を突き当たりまで行きます。

南に下ると、アケビがなってる

懐かしい実です。

やっぱり日当たりは必要だね

 

山上城跡公園の方に回り込みます。

耕作放棄地っぽいけれど、お花畑になってます

右に見える山上城跡公園の南の道を帰ります。

 

この秋ムーハウスガーデンの椿・一番開花です

 

今年は、椿は何故か実をいっぱい付けてます。

花はどうかな?

 

 

 

9月24日、多賀城から戻り、仙台駅近くのホテルで無事にチェックイン完了。

一休みして、夕食ついでにお土産探しをしようと、仙台駅に戻ります。

近道でなく、アエル広場を通ります。

以前はずっと利用していた道です。

去年から、近道を発見して、最短距離の道も利用しています。

 

あれ、ミニ地蔵だ

気づきましたけど、キッチンカーがそばで営業中です

カメラを向けにくい

やむなく通り過ぎます。

人々の服装は、すっかり秋モードです。

 

 

翌日(25日)の朝、キッチンカーが未だ出ないうちに通ります。

あれ、いつからおいでですか?

初めまして、合掌

 

ここには四ッ谷用水の記憶がありました

さりげなく、いろいろ説明板があります。

小高い段丘地に立地した仙台は、水利に乏しかった。そのため上流郷六の広瀬川から、四ッ谷用水が城下に導入された。その本流は段丘の高所を東に流れ、これから幾つかの支流にが別れて城下をくまなく貫流し、都市用水として多面的な役割を果たした。いわば「もうひとつの広瀬川」ともいうべきものであった。

 

あれ、もう1枚、光の関係でボケボケですけど

ここは、四ッ谷用水エリアとX橋エリアがあるんだ

明治20年に上野仙台間に鉄道が敷かれ、大正10年に鉄道をまたいで橋が架けられたんですね

しあわせ地蔵は、X橋ゲートの近くなんだ。

そのうちにX橋エリアもう少し探検したいな

 

そこの階段を登って、仙台駅に行きます。

今日は松島に行ってきます

 

 

(つづく)

 

 

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歌枕浮島参道

2024-10-08 16:04:28 | みちのく紀行

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、僅かの雨止みにそこらまでのお散歩です。

こんな日は、獅子くんの笑顔がほしいなあ

 

7年間養子に行っていた獅子丸は、2019年の6月、実家に帰りました。

実のママ・七海もまだ健在で、すぐに実家の生活に溶け込みました

過酷な環境にもめげず、明るく元気に育ってくれた獅子くんでした

犬は人間が考える以上に、記憶と思考を持ってます。

獅子くん、笑顔をありがとう

 

 

 

(9月24日)

浮嶋神社に参拝です。

 

いつもだと社殿の後ろを覗くのですけど、この日は何故か右側が気になりました。

歌枕浮島 参道ですって

こちらは、普通の「島」を使ってます。

さっきまで、「嶋」にこだわっていたのに

 

 

最初の歌は山口女王(やまぐちのおおきみ)の

塩竈の前に浮きたる浮島の憂きて思ひのある世なりけり

「浮は憂き」で、恋が思うように行かないのでしょう

彼女は万葉集の時代の人ですけれど、万葉時代には注目されませんでした。

平安時代になって彼女の歌が好まれるようになったと言うことです。

この歌を送った相手は、中納言・大伴家持とされています。

家持は、晩年多賀城に赴任していて多賀城で亡くなったという説もあります。

小野小町の歌もあります。

 

芭蕉さんもいる

芭蕉は歌枕・浮島にやって来たのです。

歌枕、末の松山・沖の石は行った事あります

 

まだまだ、浮島を詠み込んだ歌が続きます。

 

    

みなさん、訪れた事のない陸奥国・浮島をそれぞれのイメージで詠んだのです。

 

参道終点の先には、公民館と駐車場です。

Uターンして戻ります。

せっかくここまでしたのなら、御朱印とか一首詠んで投稿しましょうの呼びかけとかがほしいなあ

鮮やかな本殿が望めます

 

歌枕浮島参道、終点で気がつきました

榧(かや)の木です

 

実がなってます。

もうじき完熟です

この状態の榧の実に出会えたのは初めてです。

 

 

拝殿前でもう一度、一礼です

 

 

参道の階段、気を付けてゆっくり降ります。

さっき気づかなかったけれど、ここにも榧の木です

 

 

さて、国府多賀城駅に戻りましょう。

こんなちゃんとした駅なのに、昼間は無人駅のようです

最初に来た時は確か人がいたと思います

 

ほどなく仙台行きの電車が来ました。

仙台駅で無事コインロッカーから荷物を取り出します

仙台のホテルでチェックインです。

いつも泊まってるホテルなので、迷うことなく到着です

初めての14階の部屋です。

あれ、エレベーターには13階がない

 

(つづく)

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歌枕・浮嶋の浮嶋神社

2024-10-06 19:25:26 | みちのく紀行

今朝は、今にも泣き出しそうな空でした

ひめちゃんは、堀之内を西に出ようとしていました。

向こうから大きな黒いバーニーズがやって来ます。

彼は戦闘モードです

ひめちゃんも戦闘モードになりそうですけど、かろうじて我慢。

飼い主のおばさんはスマホに夢中

やっと気がついて、彼のリードをグイと引いて、一言も発せず去って行きます

初めて会いました。

大型犬の飼い主でも、こんな人もいるんだ

 

ひめちゃんは情報収集です。

初めての子でふね

アタチが襲われたら、あの飼い主どうするつもりだったのでふかね

 

堀之内の西側を歩いて帰ります。

去年実っても刈り取られることなかった田んぼ、実ってきました。

今年は、刈り取ってほしいでふね

 

 

 

(9月24日)

多賀城跡から浮嶋神社への道を辿ります。

 

元気に幟がはためいています。

 

由緒を確認です。

浮嶋神社は正確な創建年代は不明であるが 神亀元年(724)の多賀城創建の頃より鎮座し 多賀城に陸奥国府が置かれていた頃は栄えていたと伝えられ 鎮座する此の地は古来歌枕に読まれた浮嶋に比定される地である。

ここは、歌枕・浮嶋に比定される地なのですね

京の都の貴族達の歌に詠み込まれた地名なのです

 

 

階段を登ります。

多賀城が創建されて1300年の今年、イベントがある予定だったけれど延期になったようです。

 

かなり急な階段です

手すりは有り難い

 

 

見覚えのある、クラシックなジャパネスクな駒犬さんがいます

こんにちは、お久しぶりです

 

右の吽形の駒犬さんです。

 

 

左の阿形の駒犬さんです。

 

阿形・吽形ともに、かわいいらしいシッポです

 

いつまでも2名様でここに並んでいて欲しいですね。

ジャパネスクな和む風景です

 

 

境内社の八幡神社です。

こんなに鮮やかに目立っていたっけ

左手には御神石の説明板です。

さっきの阿形の駒犬さんの向こうにあった注連縄のある石ですね

 

 

吽形の駒犬さんのむこうにも境内社です。

 

三居稲荷神社と大臣宮(おとどのみや)神社です。

源融(みなもとのとおる)が祀られているのです

彼は貞観6年(864)陸奥出羽按察使に任官し多賀城に赴任したという事です。

けれども、実際は代理者を現地に派遣する遥任であったと言われていますけど

 

 

さて、拝殿で鈴を鳴らして2礼2拍1礼です

 

 

いつもだったら、社殿の裏に回るのですけど、何故か右手の坂道に惹かれました

歌枕浮島参道ですって

どうも逆ですけど、行ってみましょう

 

 

(つづく)

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続・伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の記憶

2024-10-04 14:33:54 | みちのく紀行

タバサねーちゃんが緑内障を発症してから、2年近く経ちます。

最近では、ほとんど見えないようで、足腰も衰えています。

去年の今頃は、ひめちゃんと一緒にお散歩出来ました。

 

 

タバサねーちゃん、今度の冬も生き抜こうね

 

 

 

 

多賀城跡管理事務所で100名城スタンプをゲットして、まっすぐ南に下ります。

彼岸花の開花、上野国山上と変わらないかな

この道は、さっき2人連れの超歴女(?)のおばさん達が上ってきた道です。

大きな建物が見えます。

説明板を確認です。

このころには、多賀城に鎮守府(鎮兵を指揮監督する軍事担当の役所)がおかれており、その仕事などがおこなわれていた場所と考えられています。~(中略)~発掘調査では、官衙全体に火災を受けた痕跡が見つかっており、宝亀11年(780)の伊治呰麻呂の覧により、政庁と同じくほぼ全焼したと考えられます。

 

ここも伊治呰麻呂の記憶です

 

ここが朝廷の東北経営に対する軍事の拠点だったんですね

 

床を張った建物があったのですね。

 

鎮守府のメインの建物です。

 

屋根は瓦葺きだったんですね

 

 

政庁跡を臨みながら、鎮守府跡の高台を降ります。

ここから100名城スタンプのある多賀城跡管理事務所を目指したおばさんたち、地元の人かな

 

大路を南に下ります。

壺のいしぶみ(多賀城碑)を通ります。

多賀城南門、どうしても正面に回れません

 

 

あやめ園を通って戻ります。

さっきは気になりませんでしたけど、築地塀の跡が復元されています。

去年はなかったぞ

櫓もあったのです。

湿地の中で大規模な盛り土をして造られていたのです

たくさんの労力が必要とされたことでしょう

 

さて、歌枕・浮島の浮島神社に寄ってから国府多賀城駅に戻ります

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