このところ、堅苦しい話題が多くてごめんなさいね。映像とか音楽とかに熱中しすぎると、脳の使う場所のバランスが悪くなって、眠れなくなったりするのですが・・・、文章を作る、という作業をするとバランスが回復するもので・・・・(^_^;)
モノを作る・・・、と言う方法には、3つある、と私は思っております。「分業」「協業」「個人作業」です。以下、勝手に作り上げた論理でありまする。(^_^;)
「分業」
モノを作る時、そのクオリティーを上げるのにもっとも効果的な方法。作るものを各分野にわけ、それぞれの分野のスペシャリストを集め、パーツパーツのクオリティーを上げる事で、最終的な上がりのクオリティーを上げる方法。
仕事、商売、においてはこれが最良の方法でしょう。私の仕事も、音のスペシャリストとして、制作物の一部をになう、と言う作業であります。映画、演劇、売れてる音楽、メーカーの製品...etc.身の回りにたくさんありますねぇ
ただ、欠点もあります。多くの人の手が関わるという事は、下手をすると多くの人の感覚の最大公約数に落ち着いてしまう可能性があり、そうなったときは没個性的な非常につまらないありふれたものになってしまう。
そうならないためには、強力なリーダーシップを持った指揮者の様な存在が必要です。それぞれのスペシャリストに「ゴールはここだぞ!」と妥協の無い明確な指示が出せる人がいるか居ないかで、上がりに大きな違いが出ます。
例えば映画、総合芸術として、完全に分業が確立されている制作物でありますが、作品として名前が出るのは「監督」になりますねぇ。膨大な人数のスペシャリストが結集しても、最終的な作者は、明確なゴール、ビジョンを示した人になります。
「協業」
最近流行のコラボレーション(あまり本当のコラボレーションに出会った事は無いが・・・)、かな?複数の人が一つのものを作り上げるという目標に向かう事で、1+1が2以上、時には10や20にまでなってしまうような手法。
ただ、これは成功の確率はかなり低いと、私は思っています。偶然を期待しての賭け、かなぁ?私の47年の人生の中でも、2~3回あったかどうか・・・
まず誰とやるか?いつやるか?何をやるか?によって、結果が全く違います。一度あの人とやってうまく行ったからといって、数ヶ月後にもう一度やろうとしたら全然だめだった・・、てな経験がかなりあります。また、この人とは接点が無いだろうなぁ・・と思っていた人とでも、「あれ、この部分なら、凄い事になっちゃった!」ってこともありました。
当たるも八卦当たらぬも八卦の、ある意味非常に効率の悪い手法ではありますが、うまく行ったときの成功が、とんでもなくでかいので、一度知ったら蜜の味?(^_^;)。常に相手を探しまわる・・というスパイラルに陥る確率は高いですが、本当は自分に問題があってうまく行かない事に気づかず、相手を変える事に執着してしまう危険性も高いですねぇ。
「個人作業」
「こじんさぎょう」じゃ無くて別の言い方がありそうに思えるのですが、私の語彙の中からは、これしか出て来なかったです。
多くの芸術作品は、これに当たる場合が多いですね。美術、写真、文筆家、音楽の一部、・・・・科学者とか哲学者もこれかなぁ?アインシュタインなどは、これだと思うのですが・・・?
すべてを自分一人でやってしまう。出発から完結まで自分の中にある・・と言う手法。当然すべての責任は自分にあるので、自分の成長やら発想やら経験やら、生き方そのものを映し出してしまうものと思います。(商売で、あえて自分を偽る個人作業もありますが・・・)
欠点は、自分の中だけで完結してしまっているので、一般に受け入れられるポピュラリティーを得る事が難しい事。ただ、ポピュラリティーが無いという事は、強烈な個性で埋め尽くされる可能性があるという事。ある種、かなりカタワなものが出来上がる可能性が高いです。そしてそれに共感するものは、人数は少ないが深いはず。
私の事を「変わり者」と見る人がけっこういらっしゃいますが、私が思う「私」は、八方美人で、何でもそれなりに合格点は取れるけど、これと言った得意分野の無い、個性の無い人間だと思っております。それゆえ、私がとる手法は、主に「個人作業」となります(っていうかそれに憧れてます)。なるべく嘘、偽り、背伸び、が無い状態で、自分の中にあるものを正確に外に出してみたいのであります。未だ自分の個性は掴めておりませんが・・・・(>_<)。
そして、自分はちゃんと成長しているのか?進む道は間違っていないか?自分の思い描く正しい姿勢でいるか?・・・自分の作った物を見て、聞いて、それを自分に、問いかけるのでした。
ありゃ、なんだかカッコつけの文章になっちまったなぁ~、イカンイカン。(^_^;)。
モノを作る・・・、と言う方法には、3つある、と私は思っております。「分業」「協業」「個人作業」です。以下、勝手に作り上げた論理でありまする。(^_^;)
「分業」
モノを作る時、そのクオリティーを上げるのにもっとも効果的な方法。作るものを各分野にわけ、それぞれの分野のスペシャリストを集め、パーツパーツのクオリティーを上げる事で、最終的な上がりのクオリティーを上げる方法。
仕事、商売、においてはこれが最良の方法でしょう。私の仕事も、音のスペシャリストとして、制作物の一部をになう、と言う作業であります。映画、演劇、売れてる音楽、メーカーの製品...etc.身の回りにたくさんありますねぇ
ただ、欠点もあります。多くの人の手が関わるという事は、下手をすると多くの人の感覚の最大公約数に落ち着いてしまう可能性があり、そうなったときは没個性的な非常につまらないありふれたものになってしまう。
そうならないためには、強力なリーダーシップを持った指揮者の様な存在が必要です。それぞれのスペシャリストに「ゴールはここだぞ!」と妥協の無い明確な指示が出せる人がいるか居ないかで、上がりに大きな違いが出ます。
例えば映画、総合芸術として、完全に分業が確立されている制作物でありますが、作品として名前が出るのは「監督」になりますねぇ。膨大な人数のスペシャリストが結集しても、最終的な作者は、明確なゴール、ビジョンを示した人になります。
「協業」
最近流行のコラボレーション(あまり本当のコラボレーションに出会った事は無いが・・・)、かな?複数の人が一つのものを作り上げるという目標に向かう事で、1+1が2以上、時には10や20にまでなってしまうような手法。
ただ、これは成功の確率はかなり低いと、私は思っています。偶然を期待しての賭け、かなぁ?私の47年の人生の中でも、2~3回あったかどうか・・・
まず誰とやるか?いつやるか?何をやるか?によって、結果が全く違います。一度あの人とやってうまく行ったからといって、数ヶ月後にもう一度やろうとしたら全然だめだった・・、てな経験がかなりあります。また、この人とは接点が無いだろうなぁ・・と思っていた人とでも、「あれ、この部分なら、凄い事になっちゃった!」ってこともありました。
当たるも八卦当たらぬも八卦の、ある意味非常に効率の悪い手法ではありますが、うまく行ったときの成功が、とんでもなくでかいので、一度知ったら蜜の味?(^_^;)。常に相手を探しまわる・・というスパイラルに陥る確率は高いですが、本当は自分に問題があってうまく行かない事に気づかず、相手を変える事に執着してしまう危険性も高いですねぇ。
「個人作業」
「こじんさぎょう」じゃ無くて別の言い方がありそうに思えるのですが、私の語彙の中からは、これしか出て来なかったです。
多くの芸術作品は、これに当たる場合が多いですね。美術、写真、文筆家、音楽の一部、・・・・科学者とか哲学者もこれかなぁ?アインシュタインなどは、これだと思うのですが・・・?
すべてを自分一人でやってしまう。出発から完結まで自分の中にある・・と言う手法。当然すべての責任は自分にあるので、自分の成長やら発想やら経験やら、生き方そのものを映し出してしまうものと思います。(商売で、あえて自分を偽る個人作業もありますが・・・)
欠点は、自分の中だけで完結してしまっているので、一般に受け入れられるポピュラリティーを得る事が難しい事。ただ、ポピュラリティーが無いという事は、強烈な個性で埋め尽くされる可能性があるという事。ある種、かなりカタワなものが出来上がる可能性が高いです。そしてそれに共感するものは、人数は少ないが深いはず。
私の事を「変わり者」と見る人がけっこういらっしゃいますが、私が思う「私」は、八方美人で、何でもそれなりに合格点は取れるけど、これと言った得意分野の無い、個性の無い人間だと思っております。それゆえ、私がとる手法は、主に「個人作業」となります(っていうかそれに憧れてます)。なるべく嘘、偽り、背伸び、が無い状態で、自分の中にあるものを正確に外に出してみたいのであります。未だ自分の個性は掴めておりませんが・・・・(>_<)。
そして、自分はちゃんと成長しているのか?進む道は間違っていないか?自分の思い描く正しい姿勢でいるか?・・・自分の作った物を見て、聞いて、それを自分に、問いかけるのでした。
ありゃ、なんだかカッコつけの文章になっちまったなぁ~、イカンイカン。(^_^;)。