かとうなおひこのブログ

かとうなおひこの徒然なるブログ

分業、協業、個人

2008-05-26 12:42:53 | かとうのニュース
 このところ、堅苦しい話題が多くてごめんなさいね。映像とか音楽とかに熱中しすぎると、脳の使う場所のバランスが悪くなって、眠れなくなったりするのですが・・・、文章を作る、という作業をするとバランスが回復するもので・・・・(^_^;)
 
 モノを作る・・・、と言う方法には、3つある、と私は思っております。「分業」「協業」「個人作業」です。以下、勝手に作り上げた論理でありまする。(^_^;)
 
「分業」
 モノを作る時、そのクオリティーを上げるのにもっとも効果的な方法。作るものを各分野にわけ、それぞれの分野のスペシャリストを集め、パーツパーツのクオリティーを上げる事で、最終的な上がりのクオリティーを上げる方法。
 仕事、商売、においてはこれが最良の方法でしょう。私の仕事も、音のスペシャリストとして、制作物の一部をになう、と言う作業であります。映画、演劇、売れてる音楽、メーカーの製品...etc.身の回りにたくさんありますねぇ
 ただ、欠点もあります。多くの人の手が関わるという事は、下手をすると多くの人の感覚の最大公約数に落ち着いてしまう可能性があり、そうなったときは没個性的な非常につまらないありふれたものになってしまう。
 そうならないためには、強力なリーダーシップを持った指揮者の様な存在が必要です。それぞれのスペシャリストに「ゴールはここだぞ!」と妥協の無い明確な指示が出せる人がいるか居ないかで、上がりに大きな違いが出ます。
 例えば映画、総合芸術として、完全に分業が確立されている制作物でありますが、作品として名前が出るのは「監督」になりますねぇ。膨大な人数のスペシャリストが結集しても、最終的な作者は、明確なゴール、ビジョンを示した人になります。
 
「協業」
 最近流行のコラボレーション(あまり本当のコラボレーションに出会った事は無いが・・・)、かな?複数の人が一つのものを作り上げるという目標に向かう事で、1+1が2以上、時には10や20にまでなってしまうような手法。
 ただ、これは成功の確率はかなり低いと、私は思っています。偶然を期待しての賭け、かなぁ?私の47年の人生の中でも、2~3回あったかどうか・・・
 まず誰とやるか?いつやるか?何をやるか?によって、結果が全く違います。一度あの人とやってうまく行ったからといって、数ヶ月後にもう一度やろうとしたら全然だめだった・・、てな経験がかなりあります。また、この人とは接点が無いだろうなぁ・・と思っていた人とでも、「あれ、この部分なら、凄い事になっちゃった!」ってこともありました。
 当たるも八卦当たらぬも八卦の、ある意味非常に効率の悪い手法ではありますが、うまく行ったときの成功が、とんでもなくでかいので、一度知ったら蜜の味?(^_^;)。常に相手を探しまわる・・というスパイラルに陥る確率は高いですが、本当は自分に問題があってうまく行かない事に気づかず、相手を変える事に執着してしまう危険性も高いですねぇ。
 
「個人作業」
 「こじんさぎょう」じゃ無くて別の言い方がありそうに思えるのですが、私の語彙の中からは、これしか出て来なかったです。
 多くの芸術作品は、これに当たる場合が多いですね。美術、写真、文筆家、音楽の一部、・・・・科学者とか哲学者もこれかなぁ?アインシュタインなどは、これだと思うのですが・・・?
 すべてを自分一人でやってしまう。出発から完結まで自分の中にある・・と言う手法。当然すべての責任は自分にあるので、自分の成長やら発想やら経験やら、生き方そのものを映し出してしまうものと思います。(商売で、あえて自分を偽る個人作業もありますが・・・)
 欠点は、自分の中だけで完結してしまっているので、一般に受け入れられるポピュラリティーを得る事が難しい事。ただ、ポピュラリティーが無いという事は、強烈な個性で埋め尽くされる可能性があるという事。ある種、かなりカタワなものが出来上がる可能性が高いです。そしてそれに共感するものは、人数は少ないが深いはず。
 
 私の事を「変わり者」と見る人がけっこういらっしゃいますが、私が思う「私」は、八方美人で、何でもそれなりに合格点は取れるけど、これと言った得意分野の無い、個性の無い人間だと思っております。それゆえ、私がとる手法は、主に「個人作業」となります(っていうかそれに憧れてます)。なるべく嘘、偽り、背伸び、が無い状態で、自分の中にあるものを正確に外に出してみたいのであります。未だ自分の個性は掴めておりませんが・・・・(>_<)。
 そして、自分はちゃんと成長しているのか?進む道は間違っていないか?自分の思い描く正しい姿勢でいるか?・・・自分の作った物を見て、聞いて、それを自分に、問いかけるのでした。
 
 ありゃ、なんだかカッコつけの文章になっちまったなぁ~、イカンイカン。(^_^;)。

異常な集中力?

2008-05-25 00:53:28 | かとうのニュース
 本日はまた、ビデオ制作などをしておりましたが、ハッと気がつくと、阪神のデーゲーム終わってるし・・・、またまた、ハッと気がつくとオークションで狙ってたのを落とし損ねてるし・・・、だいたいメシ食ってないし、ついつい熱中すると異常な集中力によって、他のものが見えなくなってしまうのですが、まぁ、この異常な集中力のおかげで、モノ作りの現場で働くことが出来ている訳ですが・・・・。
 仕事だとね、「納期」という壁がやってくるので、そこでいったん終われるのですが、遊び?というか趣味?というか、そういうものって終わりがないので、際限なくのめり込んでしまいます。(^_^;)
 
 そもそも今日は、たまった洗濯物を片付け、いい加減に車のタイヤをノーマルに取り替えよう!(まだスタッドレス履いてました)と、昨日までは思っていたのですが、ちょいとしたアイデアが浮かんで、病気する前に撮りためていた写真素材の選別を始めたら、止まらなくなってしまいました。おかげで腰がちょいと痛いですぅ・・・・(>_<)。
 基本的には私は怠け者なので、出来れば一日中ゴロゴロと過ごしたいし、寝るのも大好きなので、いっぱい寝たいのですが・・・、ちょっとしたスイッチが入ると暴走します。仕事だとそのスイッチはコントロールできるんだけどなぁ。でもま、それが楽しいのだから仕方ないわねぇ。
 
 あした、タイヤ、替えられるかなぁ~?
 

太陽を盗んだ男 補足(^_^;)

2008-05-23 13:41:20 | かとうのニュース
 下の駄文の補足です。あの時代を言い表した言葉があったはずだよなぁ~・・・、と調べていたら、Wiki に「しらけ世代」で、まさにそれがありました。
 でも「しらけ世代」・・だったかなぁ?「無気力・無感動・無関心の三無主義」というのは、覚えておりまする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/しらけ世代

 wiki の分類によれば、私は「新人類」のくくりに入るらしい・・・。思い当たる所もあり、違うと思う所もあり・・・。でもオタクであるのは事実だなぁ~、(^_^;)

太陽を盗んだ男

2008-05-22 22:27:05 | かとうのニュース
 名作とは知っていたけど、今まで見てなかった映画「太陽を盗んだ男」、CSの映画チャンネルでやってるのを偶然見始めたら、トイレに行きたいのもゆけず、釘付けになって動けなくなりました。(^_^;)
 
 詳細は上のWikipediaのリンクを参照していただくとして、ラストの菅原文太はすごいですねぇ。この後「トラック野郎シリーズ」か?と思ったら、トラック野郎の終わった年の作品だったのですね。
 カーチェイスのシーンでは、交差点で急にトレーラーが横から出てきて、菅原文太は身を屈めて突っ込むと、セダンの屋根だけ吹っ飛ばされて、そのままオープンカーになって走る・・・?あれ、なんかどこかの洋画でも見たようなシーンだけど、こっちが先かしら?

 79年の作品・・・私は18歳でしたねぇ。私よりも、もう少し上の世代の人たちの青春群像・・と、理解したつもりですが・・・あってる?

 原爆をたてに日本政府を自由にする立場を手に入れたものの、じゃぁ何がしたいか?と自問自答するが何もない・・・。大学は出て一応真っ当な社会人になったけど、こんなはずじゃなかったのでは?就職する前までは、やりたいことがいっぱいあったはずなのに、自分には無限の可能性があったはずなのに・・・、今のこの日常は何?
 学生運動、安保闘争が終わり、70年代のフラワームーブメントやウッドストック、ヒッピーに代表される、一連の若者の文化も終わり、「仲間でをあつめれば、社会をも変えられると思っていたのに、国家権力には結局勝てず。結局俺たちの力では、世の中を変える事は何一つ出来なかったね」と悟ってしまい、絶望と無気力を抱えながら、社会に飲み込まれてしまった若者たち……。本当は、明日になれば違う生き方が出来ると思っていたのに、気付けば昨日までの自分の生き方を、ただ繰り返している……。
 
 あの頃はそんなテーマの作品が歌などにも多かったですねぇ。「イチゴ白書をもう一度」とかもそうか?シミジミ・・(^_^;)。
 
 私は、子供の頃、実はヒッピーになりたかったのでした。なので、床屋に行くことを拒否して、長髪の小学生をやっておりました。で、その後バンドをやり始めるのですが、世の中は、上のようなテーマで満ちあふれてしまっていて、ヒッピーになれる年の頃には、ヒッピーはいませんでした。(^_^;)

 私は"就職"というしきたりをパスしてしまったので、大学生の時の気分のまま、自然に現在に至っているので、社会人の生活に絶望する・・という経験はありませんが、大学の時、それまで一緒に授業さぼり放題で一緒に遊んでいた奴らが、4年生になったとたんに急にしおらしくなり、スーツを着て就職活動している姿を見て、「なんか違うんでないの?」と疑問を持ったのを覚えています。
 ハイ、わたくし、天の邪鬼ですので、みんなが就職活動を始めるなら、オイラは、絶対しなぞ~!・・・って意地を張ったのが、人生の転機といえば転機だったのか・・?
 
 でも、親に無理矢理リクルートスーツをかわされ、一応、市役所の試験など受けてしまったりしました(ま、親孝行のためね)。筆記は通ったんだけど、面接で落ちたのよねぇ~。思ってることそのまま話してきちゃったからねぇ。ま、落ちてよかったですよぉ!