今日は、最終の終いえびす。
本えびすよりはましだろうと思っていたのに、かなりの忙しさでした。
ドリンクとフライを買うお客さんがほとんどで(なんと、この大変な時にオートバイの自賠責の払い込みをするお客さんがいて、何で今日なんだろう?と理解に苦しんだ)ずーっと商品をスキャンしてお金をいただいて商品を袋に入れてお釣りを渡す、と同じことの繰り返しの動作をしていたら、ロボットになったような気がしました。
今日も、午前で仕事は終わり、13時過ぎに帰宅。
夫がヌードルメーカーで麺を作ることにはまっていて、今日のお昼はうどんでした、天ぷらも作ってあって、天ぷらうどんでした。
お昼を食べて一休み。
日曜日なので新聞を読んで読書欄をチェックした。
宮尾登美子さんがお亡くなりになられたので、宮尾登美子の世界、と言う記事が出ていました。
『序の舞』しか読んだことがありませんが、あれはとても面白かったです、モデルは上村松園で、日本画に懸ける松園さんの気迫と熱意が伝わってきて一気に読みました。
久々に眠る間も惜しんで読んだ本でした。
一気に読んだと言えば、ずっと眠る前に武田百合子さんの『富士日記』を読んでいたのですが、年末、ふとストーリーのあるものが読みたくなってブックオフで江國薫さんの『抱擁、あるいはライスには塩を』を買ってみたのです。
面白いかどうか、スマホでチェックしてみたらかなりの高評価だったので、やっぱりスマホ便利です。
いやいや、久々にはまりました。
31日、紅白も見ずに読みふけりました。
東京都港区神谷町にある豪奢な大邸宅に暮らす柳島一家のお話で、時間軸は様々なのですが家族に起こる色々な出来事が柳島家の人びとの独白によって語られていきます。
柳島一家は、かなり世間からずれていて、誰も学校に行かずに家庭教師によって勉学を学んでいます、長女の望、長男の光一、次女の陸子、末っ子の卯月、誰も学校に行っていません、そして母親である菊乃も叔母百合も叔父桐之輔も行っていません。
お話は、1982年の秋に突然3人の子供(光一、陸子、卯月)が小学校に行かされることから始まります。
もちろん、集団になじめるわけもなく机の前に座っていることが苦手だったり、唾をかけられて吐いてしまったり、と子供たちの苦難が続きます、結局元の生活に戻ることになるのですが、その発端と言うのが、父親である豊彦の愛人麻美さんが自分が産んだ子供卯月を小学校に行かせたいと言い出したことからなのです。
摩訶不思議な家族であるこの人たちは、長女の望は、父親が違うし、と言う具合に言わば不倫の子供であろうと何の疑問も持たずにみんなで仲良く暮らしているのです。
少しずれた家族を書かせたら江國さんの右に出る作家はいません。
この不思議家族がきちんと実感を持って存在感のある様子で書かれている所が素晴らしいです。
そして、文章が瑞々しい輝きをもって美しく一つ一つのストーリーが面白くて読みだしたらやめられないのです
しかし、家族と言うものも命のある一つの生き物ののようなものなのでしょうか、終盤に差し掛かるとあれほど生き生きと息づいていた大家族であった柳島一家も、一人出て行き、二人出て行き、死を迎える人もいて静かにその形を変えていくのです、まるで終焉がまじかであるかのように。
ロシア人であった祖母絹が死を迎える様子が書かれた章は、圧巻でした。
自分も最近以前よりは死を身近に感じ始めたからでしょうか、深く胸に迫るものがありました。
また、部外者ともいうべき後に光一の奥さんになる涼子ちゃんの独白の章は、可愛くて心和む章でもありました。
この小説でもまた『左岸』の時のように、誰も立ち止まることなどできない、と言うメッセージを感じました。
さて、これを機にスマホにたまっている本を少しづつでも読んでいければいいのですけれどね。
リンクしておきますのでよろしければぜひ手に取ってください。
抱擁、あるいはライスには塩を