バックカントリー

岩手県盛岡から四季通じて自然、食の情報を発信します。

カフェリーベ

2022-08-16 20:24:31 | グルメ
昭和のカフェになります。
 ランチメニューが650円がおすすめになります。


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ブルーベリー刈りに

2022-08-16 17:07:00 | グルメ
 今朝方までの雨も上がりブルーベリー刈りに向かいました。園主は不在で玄関先に取り分の瓶詰めをおいてから収穫作業に向かいました。
 しかし予想したよりはるかに下まわるその収穫量にはガッカリでした。雨も降り出しそうなあやしい曇行きに退散したところでした。
 そこに園主夫妻から外出先から戻ってきました。その手元には事前に収穫した今日の収穫の3倍のブルーベリーがありそれを手渡されました。
 雨が強くなり間一髪救われる思いで家路につきました。  今晩も夜なべしてたくさんもらったブルーベリーの瓶詰め作業になります。

 






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わが人生に悔いなし 石狩挽歌

2022-08-16 02:47:00 | 日記
わが人生に悔いなし


 時代の証言者として
なかにし 礼
河出書房
 内容は、なかにし礼さん自伝になります。
 作詞家から小説家へ舵を取り[長崎ぶらぶら節]で直木賞を取り作家として多くの
人から認められるようになったなかにし礼さんです。  
 中でも兄弟の確執を書いた[兄弟]はそうぜつな内容でした。  
 これは、テレビドラマ化され兄をビートたけしさんが演じ話題になりました。
 話しをなかにし礼さんに戻すと第二次世界大戦中に家族で中国に渡り豊かな生活をしていました。
 敗戦による中国からの引き上げ。日本に着いてからは、一転し過酷な運命が待ち受けていました。 
 それが作詞家、小説家としの根幹となりさまざまな生々しい情にあふれた作品を生み出す原動力になっているようでした。
 

【知られざる北海道】vol.15『石狩挽歌』の歌詞にある「笠戸丸」とは!?

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「あれからニシンは どこへ行ったやら」北原ミレイが歌って昭和50年にヒットした『石狩挽歌』(作詞・なかにし礼、作曲・浜圭介)。その1番の歌詞に「沖を通るは 笠戸丸」の歌詞があります。2番の歌詞に「燃えろ篝火 朝里の浜に」とか、「オタモイ岬の ニシン御殿も」とあるので、これは小樽の歌と判明します。では「笠戸丸」とは!?

『石狩挽歌』のキーワードは「笠戸丸」

小樽市の祝津岬に建つにしん御殿小樽貴賓館(旧青山別邸)の庭に立つ石狩挽歌の歌碑

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小樽市の祝津岬に建つにしん御殿小樽貴賓館(旧青山別邸)の庭に立つ石狩挽歌の歌碑
 
まずは、『石狩挽歌』ですが、祝津岬にあるかつての鰊御殿を再生した「にしん御殿小樽貴賓館」(国の登録有形文化財・旧青山別邸)に記念石碑となかにし礼直筆の歌碑が立っています。
北原ミレイの歌唱が広く知られていますが、八代亜紀、森昌子、石川さゆり、坂本冬美、細川たかし、氷川きよし、門倉有希、水森かおり、最近では泉ピン子がカバーして名曲は歌い継がれています。

乱獲、森林の伐採による海水温の上昇、原因は諸説ありますが、昭和30年頃から漁獲高が激減し、昭和32年には日本海側の春ニシン漁は終了。その後、日本海側の漁師は「ニシンの群来(くき)を夢見る時代」が続きました。
群来とは、ニシンの大群が前浜に押し寄せ、雄の精子で海が白く濁る現象。
現在では、北海道内の各地区で年間200万尾以上の稚魚が放流され、半世紀ぶりの群来があるなど回復傾向をみせています。

『石狩挽歌』は、ニシンの群来を願う漁師の切ない心を歌った曲。
では、この歌は、いつ頃の小樽をイメージしてできた歌なのでしょう?
歌ができた当時は昭和50年ですから、日本海側のニシン漁はサッパリで、ニシン御殿も「オンボロロ・・・♫」の時代です。
ヒントは歌詞の「沖を通るは 笠戸丸」にありました。


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