長内那由多のMovie Note

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『リプリー』

2025-02-14 | 海外ドラマ(り)

 パトリシア・ハイスミス原作"リプリー”シリーズがTVシリーズ史上、類を見ない野心で再映像化された。前作『ナイト・オブ』で脚本家としてのみならず、映像作家としての才能も成熟させたスティーヴン・ザイリアンが今一度、名撮影監督ロバート・エルスウィットとコンビを組み、全8話をモノクロームで撮り上げてしまった。1カット足りとも無駄のない映像美はおよそスマートフォンでの視聴を想定していない極上である。

 物語は今更、言うまでもないだろう。ケチな詐欺師のトム・リプリーは富豪グリーンリーフ(本作では名脚本家、監督のケネス・ロナーガンが演じている)から放蕩息子を連れ戻すように頼まれ、イタリアへと渡る。同原作の映像化ではルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』が最も有名だが、ザイリアンはドロンの美しさはおろか、イタリアの陽光を再現することもしない。エルスウィットのモノクロによってイタリアは凍てつき、台詞よりも動詞で見せるザイリアンの語り口が観る者をこわばらせる。リプリーを演じるアンドリュー・スコットはさながら変温動物のようにモノクロームに身を潜め、ここには過去作にあったピカレスクロマンとしての魅力も、後年パトリシア・ハイスミスがレズビアンであったことから明らかになった同性愛の要素もオミットされている(劇中、「リプリーはゲイではない」とわざわざ言及まである)。唯一、原作のクィアネスが残されている要素と言えば中盤、リプリーを追い詰める悪友フレディにスティングの娘、エリオット・サムナーがキャスティングされていることだろう。一見して性別がわからないサムナーの容貌が大きなアクセントとして機能し、リプリーが第2の殺人とその後始末を終える台詞なしの30分は本作のピークの1つである。

 ザイリアン版「リプリー」を読み解く1つのヒントは最終回の冒頭、突如として現れる画家カラヴァッジョにあるかもしれない。1610年に没した天才画家は現在に至るまで多くの人から愛される名画を残した一方、酒と放蕩に明け暮れ、殺人を犯した挙げ句、病に倒れたと言われている。劇中、リプリーは何度もカラヴァッジョの絵に見惚れる。彼は自身の殺人を「偉大な結果は行為に勝る」と肯定しているのではないか。何を考えているのかわからず、人間的な欲望にも乏しく見えるザイリアン版のリプリーは、まるで他人の意見をリポストするかのように“戦利品”を陳列し、陶酔する。遺されたディッキーの恋人マージ(名バイプレーヤーへと成長した元天才子役ダコタ・ファニング)はリプリーの犯行に気付いている節があるものの、彼女もまたディッキーの死をリポストすることで自身の名声へと転化している。本作で描かれるのはさながらネットの闇に棲む空っぽの人々なのだ。

 2002年に原作第3作目『アメリカの友人』の映画化『リプリーズ・ゲーム』でトム・リプリーに扮したジョン・マルコヴィッチがカメオ出演しているのはちょっとした余儀みたいなものだろう。原作小説は計5作が刊行されており、ひょっとすると今後、シリーズ可があり得るかもしれない。ポストPeakTVが生んだ傑作である。


『リプリー』24・米
監督 スティーヴン・ザイリアン
出演 アンドリュー・スコット、ダコタ・ファニング、ジョニー・フリン、エリオット・サムナー、マルゲリータ・ブイ、マウリッツォ・ロンバルディ、ルイス・ホフマン、ヴィットリオ・ヴィヴィアーニ、ボキーム・ウッドバイン、ケネス・ロナーガン


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