長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『地下室のメロディー』

2020-11-30 | 映画レビュー(ち)

 1963年、ジャン・ギャバン、アラン・ドロンの新旧2大スターが共演したケイパー映画の古典だ。

 冒頭、ギャバン扮するシャルルが刑期を終えてパリに戻ってくる。モノローグに誰もが1度は聞いたことのあるミシェル・マーニュのテーマ曲が被されば、後は本作のスタイルを語るまでもないだろう。撮影、編集、音響と全ての面で現在の娯楽映画に影響を与えている事がわかる。

 シャルルはブタ箱に入ったからと言って、少しも怯んではいなかった。次のヤマは南仏カンヌのカジノホテルだ。当てにしていたムショ仲間はすっかり腑抜けてしまったから、別のヤツを雇うことにした。まだまだ青いが、威勢のいい男だ。

 若き日のアラン・ドロンは反骨の象徴とも言えるパンキッシュさだ。貧しい生まれの彼が貴族に成り済ませば、カンヌの街はひれ伏す。ホテルに忍び込むべく次々と美女を篭絡するも、どんなに美しい絵作りでも“女嫌い”に見えるのが面白い。『太陽がいっぱい』『さらば友よ』『仁義』『サムライ』…そのフィルモグラフィには同性愛的要素も潜む。この俳優の特異な魅力ではないだろうか。

 そして彼の反骨は必ず破滅を迎える。窮したフランシスの行動によって計画は散華し、アラン・ドロンはうなだれる。“破滅の美学”がこれほど似合う男がいるだろうか。未だ輝き失わない不朽の1本だ。


『地下室のメロディー』63・仏
監督 アンリ・ヴェルヌイユ
出演 アラン・ドロン、ジャン・ギャバン
 
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『チャーリーズ・エンジェル』(2019)

2020-09-24 | 映画レビュー(ち)

 現在、ハリウッドはアカデミー作品賞ノミネートの資格に一定数以上のマイノリティの雇用を義務付ける等、ダイバーシティの拡充を急ピッチで進めている。2018年のアカデミー授賞式ではフランシス・マクドーマンドによってインクルージョンライダー(包摂条項)が提唱されたのも記憶に新しい。これは俳優が出演契約の条件にマイノリティの雇用を含めるといったものだが、問題はそれが作品の質を担保しないという現実だ。もちろんハリウッドが長年、あらゆる人種の才能豊かなクリエイターを育ててこなかった事に原因があり、2001年ブレイク組の『ワンダーウーマン』パティ・ジェンキンス監督や『ムーラン』ニキ・カーロ監督らの遅咲きもその一例だろう。彼女らは男性監督とは違い、女性であるがためにたった1度の失敗でキャリアを潰されてきたのである。

 今後、この状況を打破する重要な役目を担うのがプロデューサーだと僕は思っている。今年はアメコミ映画『ハーレー・クインの華麗なる覚醒』で主演製作兼任のマーゴット・ロビーが多用な人種の女性をメインキャストに起用し、監督にはアジア系の新人監督キャシー・ヤンを抜擢した。ここで彼女は“ナメられないように”とアクションスタントに『ジョン・ウィック』シリーズのチャド・スタエルスキー組を招聘。あえてR指定クラスのハードアクションにする事で娯楽映画としての面白さを担保したのである。

 2003年の『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』以来、16年ぶりの続編となる本作は『ピッチ・パーフェクト』シリーズで大成功を収めた女優エリザベス・バンクスが製作、脚本、監督を務めているが、残念ながら期待に応えているとは言い難い。『チャーリーズ・エンジェル』と言えば個性の違う3人の活躍に面白さがあったが、本作はエンジェル結成前のため表立って戦うのは実質2人だけ。稚拙なCGを多用したアクションは前述のスタエルスキーらが確立したフィジカルアクションのトレンドに逆行しており、バンクスも見せる術を心得ていない。

とはいえ温度の低いイメージのクリステン・スチュワートがメインストリームでおちゃらけセクシーキャラを演じているのは目新しく、ファンとしては有りか。新鋭エラ・バリンスカは180cmの身長に長い手足が迫力満点で、トレーニングを積めばアクション女優としての開眼に期待が持てた。

 この機会に2000年代のシリーズ2作を見直してみたが、本作よりもずっと今風だった。キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リュー(この組み合わせ考えた人、天才か)がひたすらキャッキャと遊んでるシスターフッドは映画としてはデタラメでも無性に楽しい(製作はバリモアが兼任)。あんまり言いたくないが、新作は118分間「コレじゃない」感がつきまとって仕方がなかった。


『チャーリーズ・エンジェル』19・米
監督 エリザベス・バンクス
出演 クリステン・スチュワート、エラ・バリンスカ、ナオミ・スコット、パトリック・スチュワート、ジャイモン・フンスー、サム・クラフリン、エリザベス・バンクス

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『チャイルド・イン・タイム』

2020-04-05 | 映画レビュー(ち)

 今でこそTVドラマ『シャーロック』やマーベル『ドクター・ストレンジ』で世界的人気スターとなったベネディクト・カンバーバッチだが、舞台で鍛えた英国俳優らしくフィルモグラフィは難役が多い。アカデミー賞候補に上がった『イミテーション・ゲーム』では実在した非業の天才数学者、TVシリーズ『パトリック・メルローズ』では虐待の記憶に苦しむ薬物中毒者、そして本作『チャイルド・イン・タイム』では4歳の娘を誘拐された児童文学者役だ。

 映画はカンバーバッチ演じるスティーブが買い物中に娘を見失う場面から始まる。事件か事故かも明らかにならず、これを機に妻との関係は破綻。スティーブもアルコールに溺れていく。
 原作は映画『つぐない』『追想』で知られるイギリスの作家イアン・マキューアンによる『時間の中の子供』。その脚色は成功していると言い難い。劇中の時間経過がわかりづらく、ケリー・マクドナルド演じる妻が運命を受けて入れている様はやけに冷淡に映る。さらに政府の教育審議に携わる主人公と友人のプロットが前面に押し出され、英国首相まで登場する物々しさだ。スティーヴが寒村で自分を身籠っていた母親を幻視する場面もオカルトめいてしまった。4歳の娘の喪失、という重大なマテリアルが丁寧に扱われているとは言い難い。

 これではカンバーバッチも演じ所がない。『1917』ではカメオ出演ながらクライマックスをピリリと引き締め、既に名優の貫禄だった。キャリアと共に失敗作が増えてしまうのも名優ゆえという事なのか。
本国ではBBC製作のTV映画であり、日本ではケーブルTVのスターチャンネル限定放送で終わっている。


『チャイルド・イン・タイム』17・米
監督 ジュリアン・ファリノ
出演 ベネディクト・カンバーバッチ、ケリー・マクドナルド、スティーブン・キャンベル・ムーア
 
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『チャッピー』

2018-04-30 | 映画レビュー(ち)

ニール・ブロムカンプ監督の才気と若さが漲る快作だ。2016年、南アフリカはヨハネスブルグ。エビ型エイリアンはまだ飛来していないが、治安が悪化の一途を辿っていた街はロボット警官の導入を決定。圧倒的な戦闘力で犯罪撲滅に乗り出した。開発者のディオンはその1体にかねてから研究してきた人工知能(=AI)を搭載しようとするのだが、ニンジャとヨーランディのギャング夫婦にAIごと誘拐されてしまう。ギャング達は現金強奪のために警官ロボットを悪用しようとするのだが…。

実在の音楽ユニット“ダイ・アントワード”のDJコンビで実生活でも夫婦であるニンジャとヨーランディは芸名そのままに登場し、実質上の主役として既存のハリウッド映画にはないコスモポリタンな新風を吹き込んでいる。彼らに対するブロムカンプの愛は並々ならぬものがあり劇中、彼らが自分達の曲を聴いているのが可笑しい(ニンジャはヨメの顔がプリントされたTシャツを着ている。物販か!)。南アできゃりーぱみゅぱみゅがオバサンになったようなヨーランディはキュートだ。

この風変りな夫婦が自我を持ち始めたAIにチャッピーと名付け、子育てをしていく。ブロムカンプはプロットの破綻など恐れもせずに次から次へとテーマをぶち込み、観客を一度も立ち止まらせない。貧困家庭の子育てによる悪循環、いかにして子供に人間の善意と悪意を教えるか、そして怒りと許しとは何か。ブロムカンプと3度目のタッグとなるシャルト・コプリーがパフォーマンスキャプチャーでチャッピーを演じ、驚くべき事に観客をロボットへ感情移入させる事に成功している。純真なチャッピーが直面する苦しみに胸が詰まる場面も多く、自らの寿命を知った彼がディオンを問い質すシーンは見た目以上に深遠な本作のハイライトだ。常に観客の知性に訴えるのがブロムカンプ演出であり、前作『エリジウム』にはこの勢いが足りていなかった。

 SFガジェット満載の大アクションシーンへと転調するや、富野節かと見紛うブロムカンプのハイテンション演出は前2作を凌ぎ、圧倒的だ。ここから終幕に入るとSF版『ピノキオ』だなんて解釈はとんだ見当違いで、実は『攻殻機動隊』へのラブコールである事が見えてくる。果たして人間を定義するものは身体なのか、ゴースト(魂)なのか?なぜか押井演出の長セリフをフォローしてしまった『マトリックス』ウォシャウスキー姉妹とは違い、ブロムカンプは人間性を問いかけていくのである。期待されたリブート版『エイリアン』は頓挫してしまったが、未だ次作が気になる鬼才だ。


『チャッピー』15・米
監督 ニール・ブロムカンプ
出演 シャルト・コプリー、デヴ・パテル、ヒュー・ジャックマン、ニンジャ、ヨーランディ、シガーニー・ウィーバー
 
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『沈黙 サイレンス』

2017-03-20 | 映画レビュー(ち)

 マーティン・スコセッシ監督が何十年もの時を経て映画化した『沈黙』はその苦節のプロダクションこそが希求心の物語であるかのようだ。映画という神への信仰に憑りつかれた男はいかにして真理を得たのか…キリスト教未開の地、日本で己の信仰心を試される牧師たちの物語は、遠藤周作の原作小説をフィルムに焼きつけようと格闘するスコセッシの姿とダブる。かねてより“ギャングと聖職者が同居する作家”と評されてきたスコセッシだが、本作ではより求道的な“映画聖職者”としてのピュアな面が強く感じられた。創作衝動とは熱烈な信仰に近い。

原作小説の再現のため、というよりもシネアストのスコセッシは本作を愛する日本映画のルックに近付けようとしているように思う。霧の奥から現れる隠れキリシタンを捉えたロドリゴ・プリエトのカメラのなんと魅惑的なことか。衣装・美術はダンテ・フェレッティ、編集セルマ・スクーンメーカーとスコセッシ組が揃った。ランニングタイムは162分。あぁそれでも語り足りない。しばしば主人公ロドリゴ以外のナレーションが入るスコセッシの苦肉ぶり。聞けば当初は3時間を超えていたらしい。

スコセッシの熱意に魅せられ、キャスト全員が素晴らしい演技を披露している。アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバーが捨て身の演技で飛躍を遂げ、日本人キャストがそれに劣らぬベストワークを見せているのが嬉しい。中でも殉教の意志を固める塚本普也監督の目、そしてハリウッドだろうがスコセッシだろうが一向にマイペースを崩さないイッセー尾形の独自の怪演技メソッドを見逃してはならない。他の役人キャストが所謂“時代劇演技”をしている事からも(このステレオタイプはスコセッシが日本映画から蓄積したものではないだろうか)、彼が演技面で自由な裁量を得ていたことが伺い知れる。

本作はスコセッシ宿願の企画として製作当初から大きく注目され、カンヌかアカデミー賞かと期待されたが、照準を合わせたオスカーレースでアメリカの批評家は“沈黙”した。それはキリスト教による前世紀の布教が“侵略”であった事を看破し、日本において敗北した事を描いているからであり、自ずと9.11以後のイスラム圏との軋轢(そして敗北)を彷彿とさせるからではないだろうか。

だがこの惑い、曖昧さこそ聖職者を目指しながらもギャングとつるみ、落第して映画作家となったスコセッシそのものなのだ。
『沈黙』は遠藤周作の原作を借りながらスコセッシが作家としての根源を追及した私小説のような、彼のキャリアの中でも極めて重要な1本と言っていいだろう。


『沈黙』16・米
監督 マーティン・スコセッシ
出演 アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソン、窪塚洋介、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、浅野忠信、キアラン・ハインズ
 
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