長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『シング・ストリート 未来へのうた』

2024-07-13 | 映画レビュー(し)

 ジョン・カーニーの2015年作は1985年を舞台にした半自伝的作品である。一貫して市井の人々と音楽の関係を慎ましやかに、しかし大きな筆致で描いてきたカーニーが、自身の少年時代となればフィルモグラフィーで最もドラマチックになるのが微笑ましい。

 大不況により父親(『ゲーム・オブ・スローンズ』の“小指”ことエイダン・ギレン)が失業。家計の見直しを迫られた彼らは養育費を削ることになり、主人公コナー少年は公立校へと転校する。カトリック系の校風とはいえ、お世辞にも柄が良いとは言えない荒みようで、コナーはさっそくイジメの標的になる。そんなある日、校舎の前で日がな誰かを待つ美少女が気にかかり、コナーは咄嗟に「バンドをやってるから、PVに出ない?」と声をかけてしまう。バンドどころか、音楽なんてやったことがないのに!

 異性の気を引きたいばかりに大風呂敷を拡げてしまうのは、誰もが思春期に1度は通った恥ずかしい思い出。そしてあらゆる事柄に興味を覚え、可能性に満ちた1度きりの“季節”でもある。大学を中退し、行き場を失くした兄貴(ジャック・レイナー)がMTVで放映されるデュラン・デュランのPVに熱を上げ、ボウイにデペッシュ・モード、あらゆるロックの薫陶をコナーに授ければ、瞬く間に才能は開花していく。一見、屈託がないようで実は未来への可能性を見失ってしまった兄貴はほとんど引きこもりのような状態であり、本作は背中を押してくれた兄へ捧げられている。

 ジョン・カーニー映画では常に男女の関係性が友達以上、限りなく恋人未満にあり、彼らの間に通うのは共に音楽を奏でる同志愛のように描かれるが、自伝的本作でほとんど初めて恋愛関係と明言されている。思春期の少年にとって1歳年上の女性はなんともミステリアスに映るものであり、80'sファッションに身を包んだラフィーナ役ルーシー・ボイントンは本作を経て『ボヘミアン・ラプソディ』ではフレディ・マーキュリーのソウルメイトを演じ、ブレイクした。既に知名度のある俳優を起用することが多いカーニーのフィルモグラフィにおいて、初めてのスター輩出と言っていいだろう。ボイントンの存在がカーニーの少年時代を輝かせ、本作を瑞々しい青春映画の好編へと昇華させていた。


『シング・ストリート 未来へのうた』15・アイルランド
監督 ジョン・カーニー
出演 フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ルーシー・ボイントン、マリア・ドイル・ケネディ、エイダン・ギレン、ジャック・レイナー
 

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『システム・クラッシャー』

2024-04-14 | 映画レビュー(し)

 2021年の『消えない罪』でハリウッドデビューし、今年はシアーシャ・ローナン主演『The Outrun』がサンダンス映画祭で話題を集めたノラ・フィングシャイトの長編初監督作は、天才子役ヘレナ・ツェンゲルのパフォーマンスによって爆発的なエネルギーを得た1本だ。9歳の少女ベニーは幼児期の虐待のトラウマから怒りと暴力衝動を抑えることができず、実の親からも見捨てられ、児童養護施設をたらい回しにされていた。彼女に残された道は隔離病棟での薬物治療か、アフリカでのリハビリという名の厄介払いか。いずれにせよ、未だ幼い少女に課されるにはあまりにも酷な処置である。タイトルの“システム・クラッシャー”とは、「あまりに乱暴で行く先々で問題を起こし、施設を転々とする制御不能で攻撃的な子供を指す隠語」とあるが、言葉の定義は問題を表面化するとはいえ、その個別性を見失わせる。

 ヘレナ・ツェンゲルは9歳にしてこの難役を完全に理解し、ベニーのふとした表情には彼女が抱える孤独と希求が垣間見える(本作の後、『この茫漠たる荒野で』でハリウッドへ進出)。ベニーを囲む福祉には少ないながら手を差し伸べる大人たちもおり、中でも『西部戦線異状なし』のアルブレヒト・シュッフは非暴力トレーナー、ミヒャを巧みな人物造形で演じている。ミヒャもまたかつての非行少年であり、プロとしての確固たる使命感、職業倫理でベニーに相対するが、やがて内にある人間的な優しさが彼の規範を揺るがしていくのだ。シュッフは本作でドイツ映画祭助演男優賞に輝いている。

 安易な社会批評に留まることなく、子供を主人公としながらまるで『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソンを思わせる反骨が宿った、刮目すべきデビュー作である。


『システム・クラッシャー』19・独
監督 ノラ・フィングシャイト
出演 ヘレナ・ツェンゲル、アルブレヒト・シュッフ、リザ・ハーグマイスター
2024年4月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
公式サイト
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『ジョン・バティステ:アメリカン・シンフォニー』

2024-01-21 | 映画レビュー(し)
 
 2023年末、専属契約を結ぶNetflixから『ラスティン』『終わらない週末』と次々に話題作を送り出したバラク&ミシェル・オバマ夫妻の主宰する製作プロダクションHigher Ground。現在、オスカーレースでアカデミー長編ドキュメンタリー賞のフロントランナーと目されている『ジョン・バティステ:アメリカン・シンフォニー』も彼らによるプロデュースだ。

 2022年、グラミー賞で最多11部門ノミネートされ、5部門に輝いたジョン・バティステがその裏で抱えていた苦悩を収めたドキュメンタリー。バティステはジュリアード音楽院を卒業後、路上ライブ等で市井のアーティストとしてキャリアを積む傍ら、クラシックからジャズまで幅広いジャンルを横断する実験性の高い作曲活動を続け、グラミー賞ノミネートを受けてついに殿堂カーネギーホール公演を行うチャンスを手に入れる。“アメリカン・シンフォニー”と題された新曲はルーツの異なる様々な音楽をミックスしたまさに人種のるつぼ、アメリカを象徴する交響曲。オバマ夫妻はバティステに次世代のアメリカを担う黒人音楽家としての重要性を見出していたのだろう。しかし、本作に収められているのはポップスターの栄光でもなければ、ブラックカルチャーをエンパワメントする英雄性でもない。バティステはカーネギーホール公演という、黒人アーテイストにとって歴史的とも言えるイベントのプレッシャーに何度も押し潰されそうになる。そして何より彼を追い詰めるのが、最愛の妻スレイカを蝕む白血病だ。時に枕に顔を埋めながらセラピストにすがりつくバティステの弱さも余す所なく映しながら、揺るぎない完遂力でプロジェクトを成功させる彼に次世代の巨匠の姿を見るのである。もちろん、バティステの映画だから音楽映画としても最高だ。オスカーに手が届けば劇場でも公開してほしいところだが、どうだろうか。

『ジョン・バティステ:アメリカン・シンフォニー』23・米
監督 マシュー・ハイネマン
出演 ジョン・バティステ、スレイカ・ジャワド
※Netflixで独占配信中※
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『ショーイング・アップ』

2024-01-01 | 映画レビュー(し)

 辺境からアメリカを描き続けてきた名匠ケリー・ライカートが、今度はオレゴンの芸術大学に目を凝らした。主人公リジーはここで教鞭をとりながら、間もなく自身の個展を迎えようとしている。できるものなら創作に集中したい。ところが、家の給湯器が壊れてもう何日もシャワーを浴びれていない。大家でもあるアーティスト仲間は、昨今の住宅事情を見越してこの中古物件を買い上げ、今や家賃収入で生活しながら自分の創作に集中している。シャクに触るが、仕方ない。お金儲けはそんなに得意じゃないのだ。そんな折、窓から飛び込んできた鳩を愛猫が襲い、看病することになった。彫刻の焼き上がりは芳しくない。やはり美術家の兄は最近、特にメンタルが良くなさそうだ。あぁ、創作に集中したいのに。

 人は何かを生み出すことと無縁ではいられず、ひと度何かを生み出せば“アーティスト”である。ライカートは大学の至る所で創作に励む学生たちに目をやり、4度目のタッグとなる盟友ミシェル・ウィリアムズがリジー役に市井の芸術家のリアリズムを与える。大家役のホン・チャウも最高だ。リジーは決して快く思っていない相手だが、この中古アパートの改築は父が手伝った。隣人である彼女らは好むと好まざるとに関わらず、実は誰よりも近しい友人である。そんな微妙な距離感にリアリティを生むチャウの巧者ぶりときたら!

 ライカートの筆致には今や巨匠然とした余裕があり、初期作品の切実さとは対象的にユーモアが漂う。「もう飛べたんだね」と鳩の視点を借りるクライマックスはさながらヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』であり、多くの生活者でもあるアーティストたちは『ショーイング・アップ』に大きく背中を押されることだろう。


『ショーイング・アップ』22・米
監督 ケリー・ライカート
出演 ミシェル・ウィリアムズ、ホン・チャウ、ジョン・マガロ、ジャド・ハーシュ
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『春画先生』

2023-11-03 | 映画レビュー(し)

 人間、年を取ると好みが変わるものだが、人の性(さが)はそうそう変わらない。塩田明彦監督62歳の新作は長編デビュー作『月光の囁き』にルーツを遡る、およそ2020年代の映画とは思えないヘンタイっぷりだ。

 冒頭、場末の喫茶店でバイトをする弓子が地震に見舞われる。大きな揺れにつながるであろう震動に気付いているのは、おそらくこの場で自分1人しかいない。これはひょっとして世界がひっくり返るような厄災だろうか?やがて…何も起こらない。人生の変革なんて自分には起こり得ない。ふと目を逸らすと、テーブルの上に男女のまぐわう画が広げられている。こんな場所でそんな物を堂々と見るのは、近所でもおなじみ“春画先生”だ。

 日本映画史上、初めて無修正の春画が登場する本作は、春画を単なる江戸のわいせつ本程度に思っている観客に新しい発見をもたらしてくれる。画の中央を占めるあまりにも写実的な“結合部”に文鎮を置いてみれば、途端に思いがけないモノが見えてくるのだ。交わらない男女の目線には2人の感情のすれ違いがあり、あられもない痴態の向こうに広がる景色には開国を迫られる日本への風刺がある。塩田は春画と同じように映画のあらゆる部位を隠していく。あけっぴろげな春画に頬を赤らめる弓子の顔は映さず、観客に届くのは上気した彼女の吐息のみ。そこに私たちは未経験の出来事に恥じらいと興奮、そしてこれから起こるであろう人生の変革に期待する弓子の衝撃を知るのだ。乱れに乱れていく北香那は今年特大級のブレイクスルー。『月光の囁き』の主演つぐみを思わせる危うさもあるが、より健康的、メインストリームであるのが現在(いま)風だろうか。何より不機嫌な表情が素晴らしい!

 『春画先生』には62歳となった塩田ならではの性(せい)に対する大らかさがある。映画に裸体が映れば不思議と劇場からは笑い声が漏れる。江戸時代、春画は“笑い絵”とも呼ばれていたそうだ。性欲とはなりふり構わない無様さと紙一重であり、いくらハンカチで表情を覆おうと隠しきれない芳香を放つ。中盤、映画の次元を捻じ曲げるような安達祐実が登場すると、『春画先生』はいよいよ行方がわからなくなる。おぉ、かつての『月光の囁き』と同じ快感だ。

 映画を“正しさ”だけで観る手合は、年重の男のために若い娘がカツオブシを握る様がけしからんと眉をひそめる所だろうが、男女の愛とはそんな他人の目から見えない所にこそある。時に人はそれを愛と呼ぶかもしれないのだ。

※『春画先生』についてはポッドキャスト(第18回)でもお喋りしています※


『春画先生』23・日
監督 塩田明彦
出演 内野聖陽、北香那、柄本佑、安達祐実
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