
ライアン・ジョンソン監督作の魅力の1つは“捻じれ”だ。
『LOOPER』の未来から襲い来る自分を殺さなくてはいけないが、同時に自分も死ぬことになってしまう捻じれ。
『ブレイキング・バッド』第60話『オジマンディアス』の、「オマエはバカだ」と妻を罵りながら家族を守ろうとするウォルター先生の捻じれ。
どちらの作品もその捻じれの先で、主人公は“落とし前”をつけようとしていく。
『最後のジェダイ』は『フォースの覚醒』の明朗さとは正反対の、捻じれに捻じれた複雑なドラマだ。
前作で壮絶な死闘を演じたレイとカイロ・レンだが、覚醒したフォースによって呼応し合っていく。孤独な魂が呼び合うかのような2人にはスター・ウォーズ史上類を見ないセクシャルな匂いが漂う。これは互いを運命の相手と錯覚し、破局する男女を描いた愛憎のラブストーリーではないのか。スリリングな化学反応を起こすデイジー・リドリーとアダム・ドライバーは共に運動神経も良く、アクションが良く映える。ライトセーバーを使った乱戦シーンはシリーズ屈指の立ち回りだ。
そしてついに登場したルーク・スカイウォーカーの物語は非常に複雑な捻じれを見せ、その宿命の環を閉じる事となる。
人知れず悪の銀河皇帝を倒し、実の父を失った『ジェダイの帰還』の彼の孤独を思い出そう。銀河の命運を救った英雄は決して幸福と呼べる人生を送ってはこなかった。ジェダイを再興すべく12人の弟子とベン・ソロを連れたルークはある事件によって全てを失ってしまう。この弟子の人数からも察せられるように、スター・ウォーズ史上初の回想シーンには宗教的モチーフが多く散りばめられ、ジェダイとシスという善悪二元論が今一度、脱構築されている。一瞬とは言え、ベンへの恐怖に負けたルークもまたダークサイドに落ちたのだ。彼の挫折と厭世に、ヒーローにもジェダイにもなれなかった僕たちは自身の姿を見出す。それはスター街道を歩む事がなかったマーク・ハミルの俳優人生とも二重写しとなり、僕たちはその味わい深い演技に浸るのである。声優としてキャリアを研鑽し、ライアン・ジョンソンの脚本に納得できずも全うした彼のプロフェッショナリズムを見よ。遥か昔、二重の太陽の先に世界を夢見た気持ちを思い出させようとする師ヨーダとの語らいは本作で最も感動的な場面だ。
映画はルークの“落とし前”によってスカイウォーカーの血統や、さらには旧三部作主義のファン、そしてジョージ・ルーカスから解放されていく。ジェダイやシス、スカイウォーカーの名を連呼する“旧い悪役”スノークは醜悪な老人に過ぎず、存在する余地がない彼はあっさりとカイロ・レンに切り捨てられる。そしてレイがスカイウォーカーの血統である必要はまるでなく、誰でもない子のレイから世界のどこかで宇宙を見上げる少年へとバトンは受け継がれていく。そう、『スター・ウォーズ』とは何者でもない青年が世界へ旅立つ、みんなの物語だったではないか。『フォースの覚醒』直後から始まることもあってか、前後編2部作と呼べる『最後のジェダイ』の完成をもってようやく新シリーズは始まった感がある。
子供たちよ、映画館へ行こう。スクリーンの向こうに冒険が待っているぞ。
『LOOPER』の未来から襲い来る自分を殺さなくてはいけないが、同時に自分も死ぬことになってしまう捻じれ。
『ブレイキング・バッド』第60話『オジマンディアス』の、「オマエはバカだ」と妻を罵りながら家族を守ろうとするウォルター先生の捻じれ。
どちらの作品もその捻じれの先で、主人公は“落とし前”をつけようとしていく。
『最後のジェダイ』は『フォースの覚醒』の明朗さとは正反対の、捻じれに捻じれた複雑なドラマだ。
前作で壮絶な死闘を演じたレイとカイロ・レンだが、覚醒したフォースによって呼応し合っていく。孤独な魂が呼び合うかのような2人にはスター・ウォーズ史上類を見ないセクシャルな匂いが漂う。これは互いを運命の相手と錯覚し、破局する男女を描いた愛憎のラブストーリーではないのか。スリリングな化学反応を起こすデイジー・リドリーとアダム・ドライバーは共に運動神経も良く、アクションが良く映える。ライトセーバーを使った乱戦シーンはシリーズ屈指の立ち回りだ。
そしてついに登場したルーク・スカイウォーカーの物語は非常に複雑な捻じれを見せ、その宿命の環を閉じる事となる。
人知れず悪の銀河皇帝を倒し、実の父を失った『ジェダイの帰還』の彼の孤独を思い出そう。銀河の命運を救った英雄は決して幸福と呼べる人生を送ってはこなかった。ジェダイを再興すべく12人の弟子とベン・ソロを連れたルークはある事件によって全てを失ってしまう。この弟子の人数からも察せられるように、スター・ウォーズ史上初の回想シーンには宗教的モチーフが多く散りばめられ、ジェダイとシスという善悪二元論が今一度、脱構築されている。一瞬とは言え、ベンへの恐怖に負けたルークもまたダークサイドに落ちたのだ。彼の挫折と厭世に、ヒーローにもジェダイにもなれなかった僕たちは自身の姿を見出す。それはスター街道を歩む事がなかったマーク・ハミルの俳優人生とも二重写しとなり、僕たちはその味わい深い演技に浸るのである。声優としてキャリアを研鑽し、ライアン・ジョンソンの脚本に納得できずも全うした彼のプロフェッショナリズムを見よ。遥か昔、二重の太陽の先に世界を夢見た気持ちを思い出させようとする師ヨーダとの語らいは本作で最も感動的な場面だ。
映画はルークの“落とし前”によってスカイウォーカーの血統や、さらには旧三部作主義のファン、そしてジョージ・ルーカスから解放されていく。ジェダイやシス、スカイウォーカーの名を連呼する“旧い悪役”スノークは醜悪な老人に過ぎず、存在する余地がない彼はあっさりとカイロ・レンに切り捨てられる。そしてレイがスカイウォーカーの血統である必要はまるでなく、誰でもない子のレイから世界のどこかで宇宙を見上げる少年へとバトンは受け継がれていく。そう、『スター・ウォーズ』とは何者でもない青年が世界へ旅立つ、みんなの物語だったではないか。『フォースの覚醒』直後から始まることもあってか、前後編2部作と呼べる『最後のジェダイ』の完成をもってようやく新シリーズは始まった感がある。
子供たちよ、映画館へ行こう。スクリーンの向こうに冒険が待っているぞ。
『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』17・米
監督 ライアン・ジョンソン
出演 デイジー・リドリー、マーク・ハミル、アダム・ドライバー、ジョン・ボイエガ、オスカー・アイザック、キャリー・フィッシャー
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