長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『アス』

2019-09-12 | 映画レビュー(あ)

前作『ゲット・アウト』が全米で大ヒットを記録し、ついにはアカデミー脚本賞を受賞した鬼才ジョーダン・ピール監督の最新ホラー。主人公アデレードは優しい夫、可愛らしい2人の子供と共に別荘地へとやってくる。その夜、家の前に立つ4つの人影…押し入ろうとする彼らは一家と全く同じ顔を持つドッペルゲンガーだった。

『アス』は所謂、作家主義の作品にも関わらず全米で大ヒットを記録した。『ゲット・アウト』が人種差別を恐怖と笑いで隠していたのと同様に、本作は格差社会を恐怖と血しぶきでコーティングし、その気迫は前作以上のものを感じさせる。特に前半はあのミヒャエル・ハネケの問題作『ファニー・ゲーム』を彷彿とさせる緊迫だ(ピールもハネケからの影響を認めている)。侵入者であるもう1人のアデレードは言う「私達はアメリカ人だ」。

ジョーダン・ピールが本作を着想したきっかけがいくつかある。少年時代に見たオムニバスTVドラマ『トワイライト・ゾーン』のドッペルゲンガー回であり、そして当時、急速に増えていた地下鉄に居住するホームレスの存在だ。少年ピールはその中に自分そっくりな顔をした子供がおり、いつか人生を乗っ取られるのではと夢想したのだと言う。
そしてもう1つ重要なモチーフとなるのが映画冒頭に登場する1986年の慈善イベント“ハンズ・アクロス・アメリカ”である。これはアメリカの東海岸から西海岸まで人が手を繋ぐというチャリティで、その結果は目標金額に遠く及ばなかった。本作においてこれは格差と無関心の象徴であり、1980年代とはレーガン大統領による“レーガノミクス”によって法人税が軽減され、現在に至る格差の温床となった根源である。

『アス』は“格差社会ホラー”だ。ドッペルゲンガー達はみすぼらしい繋ぎ姿で、中には顔に傷を負った者もおり、アデレード以外は言葉を話す事もできない。ドッペルゲンガーとの1人2役を演じるアデレード役ルピタ・ニョンゴの怨嗟を吐き出すかのような怪演に足がすくむ。2010年代は度々80年代が回顧され、現在に至る諸悪の根源が見つめ直されてきたが、本作はまさに80年代に誕生した下層の復讐なのだ。この怖さは格差が広がる現在の日本においても決して他人事とは言えないだろう。

しかし、主人公一家はそんな“影”達を次々とブチ殺していく。自分の生活を脅かす者なら例え自分と同じ顔をしていようと、切り捨てる事ができるのだ。路上のホームレスと自分の間には何の違いもないというのに。そんな社会の冷徹さに対する真っ赤なハンズ・アクロス・アメリカの怨念に戦慄した。


『アス』19・米
監督 ジョーダン・ピール
出演 ルピタ・ニョンゴ、ウィンストン・デューク、エリザベス・モス
 

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