午前中、打合せで大黒ふ頭から山下公園方面にでかけてきた
すると、戸田平和記念館(旧英七番館)隣の桜、そして、山下公園の
入り口近くにある「枝垂れ桜」が見事に満開を迎えていた
四季折々の楽しみは幾つかあるが、春と云えば「桜」であり、桜が咲くと
ようやく春が来たんだ!という安心感すらおぼえる
これほど日本人の精神的な象徴ともいえる花は他にはないと思う
古くから桜は「諸行無常」といった感覚にたとえられており、ぱっと咲き、
さっと散る姿ははかない人生を投影する対象となってきた
諸々の物事は常ならん。栄えたものは やがて滅び、若者もいつかは老いるし、
どん底の者も努力によって這い上がることができる!
形あるもの全て同じ姿をとどめている物はない・・・
さて、横浜では、3月末ごろに満開を迎え、4月の入学式頃に散り始める・・
と、いうのが数年続いたが、今年の冬は厳しく、その分、開花が遅れ気味
今週末ごろから見ごろを迎え、来週いっぱいは「花見」が楽しめそう!!
昨日の横浜、午前中は日も射し、穏やかな一日の始まりだった
山手本通りのサクラは1~2分咲き、まさかこれほど天気が豹変するとは・・
昼前から徐々に南風が強まり、上空はみるみる灰色の雲に包まれていった
打合せ通り、女性、そして新入生は14時で退社させ、その後、暫く様子をみたが、
ますます風雨が強まり、年度末の決算当、仕事熱心な連中の尻を叩き、
16時には約9割の社員を帰宅させた
オイラの会社がある大黒ふ頭はまさに“陸の孤島”
横浜市街から唯一のアクセス方法は、ベイブリッジと大黒大橋の2つの橋だけ
少しでも強風が吹けば街へのルートは遮断されてしまう
長年の勘!?から、そろそろヤバイ!と感じたのが16時過ぎごろ・・・
一部の管理職と現場から帰社していない数名を残し、それ以外は全員帰宅させた
それから間もなく、東扇島から並木までの首都高速湾岸線(ベイブリッジ・大黒線)が
通行止めになった
そして、19時、二層構造のベイブリッジの下段を通る一般道路「国道357線」も通行止めに。
その数時間前、オイラも後輩を乗せ、愛車でR357を通過したが、時折“突風”が吹き、
そのたびに車体が大きく揺れ、ひっくり返るんじゃないの?
と、心配になるほどの強風だった
今朝、出社すると、横浜市港湾局から資料が届いていたが、昨日、R357では、
平均で19m、そして最大で35mの猛烈な強風を記録したという
まさに「爆弾低気圧」
そして、嵐が去った今日の大黒ふ頭は「台風一過」なみの晴天!
いまも若干の風は吹いているが、開花しだしたサクラに大きな影響はなく、
このまま、暖かい日が数日間続けば、今週末は「花見」ができそう!!
しかし、昨日は酷い一日だった・・・
低気圧が通過中の、東北、北海道は大丈夫だろうか?心配だ・・・
先にも書いたが、正式には昨日、4月1日から新年度が始まった
昨日は休日だったので、オイラ的には今日からが新しい「年度」の始まりであり、
一年のなかでも特別な日と位置付けている
だから、正月休みが明けた「初出」と「新年度」には、スーツ、ワイシャツ、
ネクタイ、靴、そして時計など、身につけるものは可能な限り新調したもので
出社するのがオイラ流の拘り(こだわり)だ
「一年の計は元旦にあり」
これは、毛利元就公のことばに由来している
特に、元就公は元三の儀式を大切にしていたと云われており、元三(がんさん)とは、
元旦のことであり、年・月・日の三つの元(はじめ)という意味がある
元三日ともいい、のちには正月三が日の意味にも使われるようになった
さて、「一年の計は元旦にあり」・・・この意味をどう解釈しているのであろうか?
元就公が説いたのは、
「元旦から朝寝坊して元旦の儀式をおろそかにするようではダメ!だっ!!」
「何事も始めが肝心である」ということ
一般に言われているように「一年の計画を元旦に立てよ」とは、ちょいとばかり違う
つまり、言葉を換えれば「千里の道も一歩から」であり、
最初の一歩からぐずぐずしていてはダメだってーこと
今日、会社にピカピカの新入社員が出社してきた
予定通り、9時から入社式が始まった。しかし、数名は式が始まる僅か5分前に出社・・
オイラが働くヨコハマの港には「港湾時間」という掟(オキテ)がある
いかなる寄合であっても開始時間の15分前には必ず全員が集合する!
だから、報告事項だけの会議なんかの場合、本来の開始時間には終了してるってーことも
少なくない。開始時間ちょうどに着いたら誰もいない・・なんてことはザラにある
さて、わが社の新入社員諸君!
今日から諸君らは若葉マークなるも立派な「ハマの港人」だっ!
従って、明日からはきっちり「港の掟」を守ってもらうよっ!!
たいがいの会社では4月1日から新年度が始まった
これは、明治時代に、イギリスの制度を真似たのが始まりであり、現在、我が国の
大半の企業が4月を会計年度としている
なぜ4月なのか?
日本はいまでも中国から伝来した暦をもとに正月を一年の始めとしている
明治時代になり、国家を建設するにあたり、国の歳入歳出制度を法秩序に基づいて
制定、次第に会計年度の概念が生まれた
当時、日本に影響力を及ぼした大国はイギリスとアメリカである
イギリスは4月、アメリカは10月を会計年度としていた
日本は当時世界一の経済力を持つイギリスの制度を取り入れることにしたからである
ではイギリスはどうして4月を会計年度にしたか?
イギリスは1751年まで、経済の主体である農耕に合わせ、春分の日を一年のはじまりと
していた。しかし、翌年、国際化に伴いグレゴリウス暦を取り入れることとなり、
1月1日を一年の始まりとすることにした
が、依然として、経済活動の主体は農耕なので、会計年度の始まりを春分の日としたが、
グレゴリウス暦に合わせると、春分の日が3月25日と非常に中途半端なため、
止むを得ず、キリのいい4月1日にずらすことになった
これが、イギリスの会計年度の始まり
この流れが、現代の日本においてカレンダーが1月から始まるのに、会計年度や学年度が
4月を起点としている大きな理由である
さて、東京・浅草では、1年の始まりは「三社祭」である
三社祭は地元の氏子にとってまさに「正月」
だから浅草を離れて暮らしている連中のなかには、盆暮れには実家に帰らないけど、
三社祭(5月)には必ず帰る・・・なんて輩がやたらと多い
昨年、東日本大震災が発生、浅草は、いち早く三社祭の御輿渡御の中止を決定した
従って、今年は2年ぶりに威勢のいい神輿が浅草の街を練り歩く!
おまけに、三社祭が始まって、今年でちょうど700年!まさに節目の年!!
スカイツリーもまもなくお披露目!三社祭も700年目というスペシャルな年!!
今年の下町(浅草界隈)は特別に賑やかになりそうだ!!