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ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

紀ノ国屋神戸さんちか店に行ってきた。

2025-04-10 20:45:30 | 思い出


(ネットより転載)
 
1週間ほど前から右側の補聴器の音が聞こえていない事に気づいた。
自分なりに色々チェックしたけど、どうも壊れている。
今日、予約してメガネスーパーに行った。
 
やっぱり故障で、修理代は未定。怖いなぁ。
 
まっすぐ帰ろうと思ったけど、3月27日に神戸三宮さんちかタウンに「紀ノ国屋」がオープンしたので行ってみることにした。
 
春休みも終わったので、店内の混雑もマシになっていた。
 
 
お馴染みの紀ノ国屋のバッグ、ゼリー、コロッケサンド、大きな餃子のようなダークチェリーパイと、アップルパイを買って、バスに乗って帰って来た。
 
 
そして、紀ノ国屋に行って思い出した遠い昔の話。
 
まだ娘が幼い時、松戸から青山の紀ノ国屋に出かけて行った。
ねこ吉は、お洒落をしてちょっとすましていた。
 
娘をカートに乗せたら、「お母さん、イトーヨーカドーと同じだね。」と言った。
 
ああ、子供は正直だわ。
 
数年後、息子が幼稚園の頃、家族で広尾のナショナルマーケットに行った。
確か有栖川公園の近くで池があった。
ナショナルマーケットは外国人御用達で、お洒落で、アメリカみたいだと思った。
 
ハーレーダビットソンのバイクを初めて見た。
 
「嗚呼、異国の香りだ。」とうっとりしていると息子がそばにいない事に気づいた。
 
「迷子になったか?」と思ったら、「松戸から来たおとうさん、松戸から来たおとうさん~。」と呼ぶ声が聞こえた。
 
ホッとした半面ちょっと恥ずかしかった。
 
あの子は何故、母を呼ばずに父を呼んだのだろう・・・。
 
追記
 
ねこ吉達が行ったナショナルマーケットは老朽化で立て直しになったらしいです。
 
 
 
 

「ブティック・リリー」の思い出

2025-02-13 17:50:06 | 思い出
 


今朝、起きようと思ったら左足大腿部から足先にかけて痛い。

かなり痛い。どうしたのかなぁと考える。
多分、昨日久しぶりにロングブーツを履いて洋裁に出かけて行ったからだわ。
 
かぶれるのを承知で、大きな湿布を3枚べったり貼った。
 
今日は、今回作ったオーバーのことで思い出した事を書いておきたい。
 
上の写真は、オーバーの袖の部分。
姫袖というかベルスリーブ。
裏側にフェイクファーをつけて折り上げて七分袖のようにして着る。
 
布は毛布のようなカーキ色。梅田阪急のセッセでセールで買った。
 
難点は重いこと。
 
ねこ吉が幼い頃、押し入れにこんな色の毛布があった。
母から、アメリカ軍の毛布だと聞いた。端っこに黒の星のマークがあった。
何故、うちの家にあったのか判らない。
 
この布でコートを縫いながら、そんな遠い昔のことも思い出した。
 
 
折り返さなければ、こんな感じ。用尺が少ないので丈を長くしようと思えば袖は短くせざるを得なかった。
 
袖にボリュームを出すため、衿無しにした。
 
何故、こんなコートを縫いたかったのか・・・。
 
 
損保会社の船舶課のOL(死語)をしていた頃、元町商店街に「ブティック・リリー」というブティックがあった。
会社帰りにお洒落なマネキンがいるウィンドウ見ながら駅に向かう。
 
マネキンが後姿なのが特徴で、後ろが凝ったデザインだったり、工夫があって何通りにか変化させて着られる服が多かった。当然高かった。
 
当時のねこ吉は、主に三宮や梅田のSUZUYAや三愛で服を買っていた。
 
会計課のお局様のカメノさんは、ブティック・リリーの服を着ていた。そして自慢していた。
 
英文タイピストのカワイさんが、ブティック・リリーでオーバーを買った。
ケープがついた深緑のコートは素敵なデザインで、黒のロングブーツを履いてカワイさんは得意げだった。
カワイさんは芦屋のお嬢様だった。
 
あんなコートは、SUZUYAにも三愛にも売ってない。
 
ねこ吉も欲しい。
 
会社帰りに恐る恐る店に入った。
 
おじいさんみたいな店の人が、水色とオフホワイトの千鳥格子のテントラインのオーバーを出してきた。
袖が広がっていて、折り返すとベージュのファーがたっぷりついていた。
何か中世のお姫様のローブみたい。
小さなスタンドカラーで、真鍮色のコロンとしたボタンがたくさんついていた。
 
背が低いねこ吉には丈が長かった。
裾上げは後ろを長く前を短くしてくれた。前後差をつけることで低身長がカバーできるということを知った。
 
脇に穴をあけてそこにベージュのベルトを通せるようにしてくれた。
前から見たらベルトを締めているように見えるけど後ろはベルトは見えずたっぷりフレアーがある。
クルッとターンしてみた。凄く気に入った。
 
お直し、ベルト込みで5万円ぐらいだった。
 
今から50年近くも昔の話である。今でも5万円のコートなど買えません。
 
ねこ吉は清水の舞台から大ジャンプしたんです。
 
結婚して松戸に住み、子育てが続き、このオーバーを着て東京に行くこともなく、管理が悪くて虫に喰われ・・・。泣く泣く捨てたんです。
 
まるで同じオーバーを作ることは出来ないけど、せめて袖だけでも再現してみたい。
フェイクファーはユザワヤで980円で手に入れた。ベージュと迷ったけど茶色にした。
随分安上がりで、似たようなオーバーが出来上がった。
遠い遠い昔に思いを馳せながら・・・。
 
 
ポケットに、ねこ吉が作ったブローチをつけてみた。
バックルにお気に入りのリボンを通しただけ。
 
追記
 
ブティック・リリーのオーバーを着て、踵の高い編み上げブーツ履き、1976年2月7日から8日間、南回りの飛行機でヨーロッパに行った話は、その内書くかもしれません・・・。
 
 
 
 
 

震災から30年、ずっと思っていること

2025-01-19 20:24:09 | 思い出



例年なら、阪神淡路大震災関連のブログ記事は、1月17日だけ書いていました。
 
ねこ吉もだんだん語彙が減り、文章力も失くし、ブログの文章も書けなくなって、いつまで続けられるか判りません。
今年は、震災後30年という節目もあって、今まで心の奥でくすぶり続けている思いを書いておこうと思います。
 
去年も書くことを思い悩み、何度も書き直したんです。でも、記事をアップできませんでした。
 
 
30年前、未曽有の大地震に遭い、マンションは潰れ、一時たぬ吉の実家に避難していました。
親類、知人に、一家の無事を知らせようにも、電話はほとんどつながりませんでした。
 
たぬ吉は、当時神戸新聞とデイリースポーツに兼務。三宮にあった神戸新聞ビルは全壊。
 
京都の叔父が、ねこ吉一家を心配して電話をかけまくって、大阪のデイリースポーツに電話をして、やっと「ねこ吉一家が生きている。」ということを確認して、親戚に無事を知らせてくれたらしい。
 
ねこ吉一家の無事を聞いて、叔父が泣いてくれたと後日聞き、ねこ吉はとても嬉しかったです。
 
叔父は、一昨年105歳の生涯を終えました。
 
 
その叔父の娘、鎌倉に住む従姉は、震災後1月17日に毎年電話をくれます。
 
嬉しいです。
 
今年は、手紙と共に鎌倉のお菓子を送ってくれました。
 
手紙には、「父が生きていたら、『よく頑張っているなぁ。』と褒めたと思います。父の代わりに、お手紙書いてます。」と書いてありました。
 
有難うございます。嬉しくて涙が出ました。
 
今年は、鎌倉の従姉の妹、橿原に住む従妹からも、メールをもらいました。
 
震災後、何度も電話をしてくれたらしいのですが全然繋がらなかったので、勤めていた会社の社長が、当時珍しかった携帯電話を貸してくれて、それで電話をかけたら、避難先の甲子園から、壊れたマンションに片づけにたまたま帰ってきたねこ吉と電話が繋がり、ねこ吉の声を聞いて安心したと書いてありました。
 
30年前は、ネットもスマホも無いし、携帯電話を持っている人はマレだったんです。
神戸に電話が繋がるようになるのには凄い時間がかかったのです。
 
親戚中に、京都の叔父が知らせてくれたので、当然ねこ吉の実母もねこ吉一家の無事は知っていました。
 
電話が繋がるようになって、多くの親戚、知人からお見舞いの電話をもらいました。
 
しかし、実母は一度も電話をくれませんでした。
 
親戚の葬儀で、2度会うことがあったけど、こちらから挨拶をしても、プイと横を向いたままでした。無視されたんです。
ねこ吉は、思いがけず生まれた双子で、8カ月の時に伯母の家に養女に出されました。
ねこ吉は、産んでくれと頼んでませんよ。
何か悪いことしましたか!何もしてませんよ。
 
以来、会うこともなく2020年4月に実母は亡くなりました。
 
「無事でよかったね。」その一言が欲しかったです。
 
 
「実母にとって、ねこ吉は思いがけず生まれてきた邪魔者だったんだ。存在自体が疎ましかったんだ。」
 
 
毎年、震災記念日と共に思い出すのです。その思いを再確認させられるんです。
 
そんな嫌な母親のDNAを受け継いでいることが、凄く悲しいんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

阪神淡路大震災から30年

2025-01-17 18:06:36 | 思い出
 


今日で、あの阪神淡路大震災から30年が経ちました。
 
今までも、毎年1月17日には震災関連のブログを書いてきました。
 
今まで書いたことを全部読み直してはいないので、重複する部分もあるかと思います。
地震の体験を書けば、あの時の恐怖を反芻するので30年経ってもねこ吉には辛いです。
 
さらっと書けば、あの日、たぬ吉は大相撲の取材で東京に出張中。
 
息子とねこ吉は同じ部屋に寝ていて、倒れた2つの箪笥の間に挟まって出ることが出来なくなりました。
娘が外に助けを呼びに行き、箪笥をどけてもらって2人の命が助かりました。
 
洋服ダンスは、震災ボランティアの人に捨ててもらいました。
ガラス戸付きの宮付き箪笥は、固定して2年前寝室をリフォームするまで使っていました。
 
上の写真のこけしは、20代に友人と東北旅行に行ったとき買ったものです。
ずっと宮付き箪笥の中に飾っていました。
 
リフォームで箪笥を処分したので、今はピアノの上に飾っていますが。
 
このこけしは、震災で箪笥が倒れたときに首が折れて転がっていました。
接着剤で首をひっつけて、ほぼ元通りにしてから30年経ってます。
 
ねこ吉は、絶対このこけしがねこ吉の身代わりになってくれたと思っています。
 
 
追記
 
6時前、芦屋浜で鎮魂の花火が上がりました。
我が家のベランダから、ビルの谷間に遠くの花火が見えました。
美しくも、もの悲しい花火でした。
 

震災記念日に思い出した事。

2025-01-16 22:39:15 | 思い出

震災の二年前に、たぬ吉に転勤の辞令が出て、松戸の家を売って神戸に引っ越してきた。

松戸に比べて、神戸は都会。

中古のマンションとはいえ、高かった。

リフォームをしたし、たくさんローンも抱えていた。

それが、一瞬の地震でズタボロマンションになっってしまった。

住めなくなったマンションでも、ローンの返済は容赦がない。

義援金もたくさん集まったみたいだけど、あまりに被災者が多かったのでもらえる額は少なかった。

如何にして修繕資金を捻出するか・・・。

ネットも無い時代、新聞、人づての情報、など、少しでもお金がもらえると聞けば、ねこ吉は東奔西走した。

義援金、色々な方々から頂いたお見舞金は、普段使っている生活費の口座ではない別の口座にプールした。

マンション大修理のお金と、室内のリフォームのやり直し。少しでも預金の取り崩しの額を少なくするためにローンの借り換えをした。

5年利子補給金がもらえるときいて、書類を整えて金融機関に出かけて行った。

ねこ吉は、壊れたマンションの写真など撮っていなかったので、同じマンションの人が撮っていたベランダに落ちた瓦礫、X状にひび割れた壁などの写真を焼き増し(今は無いよねぇ)させてもらって提出した。

雑損控除で、1円でも多く税金を返してほしくて、ボランティアで来ていた税理士に計算してもらわず、自分で必死に計算して税務署に持って行った。

算数、数学、計算が大の苦手のねこ吉だったのに、修理費資金捻出のために、よくマァ頑張ったものだと思う。

思い出したのでブログに書いておく。自分で自分を褒めるために・・・。

 

小さい時から、ねこ吉は一人っ子で甘やかされて、ぼんやりしているとか、何もできない子と周りでずっと言われてたんだよ。

そんなねこ吉が、もの凄く頑張ったんだよ。

遠い遠い30年も昔の話だねェ。今はもう抜け殻のようになってしまったけど。

 

追記

今日は、2つの記事を投稿しました。

 



 

 

 

 


朝ドラ「おむすび」を見てた。

2024-10-29 14:32:41 | 思い出
 


朝ドラ「おむすび」は、今週、阪神淡路大震災の事が描かれている。

避難所で🍙をもらうシーン見て、ねこ吉も避難所で🍙を一つもらった事を思い出した。
半分ずつして子供達に食べさせた。
 
その🍙は、近くにあった神戸製鋼所の家族寮の人たちが作ったものだった。
 
大きな会社の寮なので、早い時点で物資が運ばれてきたようだった。
 
震災のことに関しては、毎年1月17日に色々と書いている。
来年で30周年です。それもあって朝ドラになったんだろうと思うけど。
 
だから、今回はさらっとというか、短めに書こうと思っている。
 
ドラマは、灘区の商店街が舞台だと思う。
セットだから、壊れ方が甘いわ。現実はあんなものじゃなかった。
 
 
幸い、ねこ吉達家族、身内、友人達は皆無事だった。
 
ヒロインの姉の親友が亡くなったと言っている。
 
当時そんな人は多かっただろうね。
 
娘のクラスの男子が、倒れた家の下敷きになって亡くなった。
娘は話もしたことのない男子だったけど、ショックは受けていた。
 
携帯電話もほとんど普及していなかったし、その男子のお葬式が何処で行われたかも知らなかった。
果たして、その子の友人が参列出来たかも判らなかった。
 
中学校近くに甲南市場と言う大きな商店街があった。
入り口のパン屋のビルは横倒しだった。
 
商店の数も減り、ビルの中で共同で商売をする形になった。
 
かつての賑わいは30年近くたって取り戻せていない。まぁ、今時何処の商店街もシャッター通りになっているけど・・・。
 
1月17日から娘の中学校は避難所になって、授業は一度も受けないまま卒業した。
 
あれから30年が経つんだなぁ。子供たちはすっかり中年。
 
ねこ吉は、まだまだ子育て真っ最中だったからマンション再建、ローンの借り換えなど必死で頑張ったけど、今の年齢で、あのような震災に遭ったら何もできないだろうと思う。
一気にアルツハイマーが進んで、ぼけ老人になることは確実。
 
さらっと書くと言いながら、書き出すと結構書いてしまった。
 
続きは、来年1月17日に書けたら書きます。
 
 
追記
 
阪神淡路大震災を反芻するから、今回の朝ドラはあまり見る気が起こらない。
泣く泣く神戸の地を離れ、新しい土地で生きている人はたくさんいると思う。
心の何処かで、「神戸に帰りたい。」と思っている人もいるだろうなぁ。
 
 
 追記2

今日の朝ドラで、「タンスの下敷きなんてありえない。」とか、「どうやってお米を炊いたの?」とか、色々ネットで言われているらしい。
ねこ吉と息子は、タンスの下敷きというか、挟まれて出られなくなり、暗闇の中、娘が助けを呼びに行ってくれて助かった。
今でも、PTSD、トラウマが突然起こることがある。

木造家屋が倒壊して、薪代わりは一杯転がっていた。
寒いからあちこちで焚き火をしていた。
泣きながら焚き火をしていたと思う。
神戸は爆撃を受けた後のような惨状だった。

震災後生まれた子供も30才になる。
何も知らなくて当然。
知らなくて幸せだと思う。


ラストマイルを見て思い出した事・・・。

2024-09-11 21:21:26 | 思い出
 

(リビングコープにいた可愛い子。ねこ吉はこういう小鳥に弱い。)
 
今日は洋裁の日。
バス停までの暑いこと、暑いこと。
バス停には、9月21日からの「減便および時間変更のお知らせ」が貼ってあった。
9時以降、1時間に2便になるって。運転手不足か?
 
洋裁教室に来ていたみんなが、いつまでも続く暑さにゲンナリしていた。
次のお稽古の日には涼しくなっているかしら・・・。



さて、「ラストマイル」を見て思い出した事を書いておきます。
 
松戸に住んでいた頃、約30年以上前の話・・・。
 
お中元やお歳暮を配達してもらう事はあっても、通販などはほとんどなかったと思う。
配達されても留守なら、隣近所の人が預かった。
留守中、我が家に来た荷物を預かってもらって、後で届けてもらったり、反対に隣近所の人の荷物も預かった。
代わりに預かったときは、食べ物の時はよくお裾分けも頂いた。
我が家も預かってもらったら、お裾分けをした。
 
当時、たぬ吉は芸能記者。バブリーな時代だったので色々な物を各所から頂いた。
 
お隣のKさん宅に預かってもらった「劇団四季」からのお歳暮、箱を開けたら泥だらけのネギだった。
 
「何これ?汚ったないネギやわ。」
 
早速、もらったネギを隣に持ってお礼を言いに行った。
 
「たくさんもらったから、どうぞ食べてください。」といったら、
 
Kさんは、
 
「ねこ吉さん、これ下仁田ネギでとても美味しいんですよ。こんなにたくさんすいません。」と言われた。
 
ねこ吉は、下仁田ネギを知らなかった。
 
すき焼きにいれたらトロトロで美味しかった。
 
こんなに美味しいなら、あんなにたくさんあげなきゃよかったわ。後悔先に立たず。
 
関西では下仁田ネギを見ることはほとんどなく、年末僅かにスーパーに並ぶ時がある。
一本が信じられない値段で・・・。
 
届いた荷物を隣近所で預かるなど、今では考えられないことだ。
お裾分けのやり取りも。
 
遠い昔のお話です。
 
 
 


 
 

地蔵盆(その2)懐かしい言葉

2024-08-23 21:18:38 | 思い出
 
 
用事で住吉までバスに乗って行った。降りてからシーアまでいつもの道を歩く。
暑い、熱い、ねこ吉は溶けそうです。
少し日陰に、緑の紫陽花が咲いてた。ここまで緑の紫陽花は珍しい気がする。


アメリカフヨウの花が咲いていた。このクソ暑い(失礼)のに、お疲れ様です。
 
もしかして、ねこ吉の顔より大きいかもしれない。
 



バスを降りたら、地蔵盆をやっていた。
テントでお地蔵さんは見えません。
 
受付に女の人がいたけど、ねこ吉は、賽銭箱にお賽銭を入れ、いつも通りのお参りをした。
寄付をした方がよかったかしら・・・。
 
帰ろうとしたら、ジュースが入ったペットボトルを持ったオジイサン(明らかにねこ吉より年上です。)が、
 
「ようお参りで。」と言って送ってくれた。
 
何か懐かしい関西弁です。
 
「よくお参りくださいました。」という意味です。
 
 
ふと遠い昔のことを思い出しながら信号待ちをしていた。
 
ねこ吉が新入社員だった頃、会社に行こうと家を出たら、隣の西井のオバサンが家の前を掃除しながら、「おはようおかえり。」と言って見送ってくれた。
 
「おはようおかえり」とは、「お早うございます。」のおはようではなくて、「気をつけて行って、無事に早く帰って来るんですよ。」の意味。これも関西弁です。
 
たとえば、ご飯を食べて、「ご馳走様でした。」というと、すかさず「よろしゅうおあがり。」と言われる。阿吽の呼吸というか何と言うか・・・。
 
こんな言葉かけ今はしないですよね。懐かしく優しい言葉です。
 
 

地蔵盆

2024-08-20 18:54:50 | 思い出
 


今日の午前中は、昨日雨が降ったせいか温度がそれほど上がらず、クーラー無しで何とか過ごせた。

11時頃、買い物と銀行に出掛けた。
途中から陽が差してきて湿気が高いから、もう2号線を歩いていると息苦しいぐらい蒸し暑い。
 
国道地蔵尊の地蔵盆の準備が始まっている。
新しい涎掛けに替えるために、古い涎掛けを取るのが年々早くなっている気がする。
 
ねこ吉は、毎年子供たちのために「奉納」と書いた赤い涎掛けを縫って、古い涎掛けが取られるのをいつかいつかと待っている。
取られてから涎掛けを縫ったのでは遅いので、今年は8月の初めには用意していた。
 
8月12日、何人か新しい涎掛けをかけている人がいたので、慌てて持って行った。
2体並んでいるお地蔵さんに、子供たちの名前を書いた涎掛けをかけるのだが毎年どのお地蔵さんするかを悩む。
 
名前と年齢が書かれていて、3歳とか5歳とか・・・。
 うちは、とても年齢は書けないので名前だけ書く。毎年同じ。
いくつになっても、ねこ吉にとっては子供たちです。ハハハ。
 
ほどけないようにヒモをぎゅっと絞めて、今年も無事間に合ったとホッとする。
 
 
先日、息子が帰ってきたとき、地蔵盆の話が出た。
 
「地蔵盆 菓子持つ子等が 道しるべ」と即息子が言った。
 
そうです、この俳句を作った息子は、佳作をもらって神戸市の作文集に載った。
こういった賞に縁のない息子にとっては初めての出来事だった。
 
思い出話が嫌いな息子だけど、これは凄く覚えているんだろうな。
 
 
→「地蔵盆です。」2006年8月23日のブログです。
 
今日も、お地蔵様に手を合わせ、うちの涎掛けをかけたお地蔵様の頭を撫ぜ銀行に向かった。
 
その道の暑いこと、暑いこと。
 
ヘロヘロになって帰ってきた。
 
 
追記
 
今年の地蔵盆は23日、24日だそうです。
 
 
 
 

日傘の話

2024-07-22 13:46:08 | 思い出
 
 
(帰り道の天上川。カルガモが7羽いた。)
 
郵便局とコンビニに行くのに、ギンギラギンのスニーカーを履いて、黒い日傘を差して出かけて行った。
まぁ~、暑いのなんのって・・・。
 
ギンギラギンのスニーカーにお日様が当たってピカ~って光ってるよ。
アスファルトは熱々で、汗がダラダラ流れる。
 
郵便局で郵便を出したら、「暑っ~。」と思わず声が出た。
窓口の人が、「これ、粒入りで美味しいですよ。」とすかさず缶入りジュース3個入りを勧めてきた。
 
そこで冷えたジュースを飲めるわけでもないのに買ってしまったねこ吉。
アホだよねぇ。重たいし・・・。
 
しかし、郵便局がジュースを売る時代になったんだ。変われば変わるもんだ。
 



サルスベリの花も満開。真夏だわ。
 
土曜日、コーラスの時、M・Mさんが持っていたハンドインハンドで売っている「完全遮光日傘さんバリア100」の日傘が欲しいわぁ。傘が暑くならないんです。
 
岡本でサンバリアの傘を差してる人が多いらしい。
 
M・Mさんに、「岡本夫人ですね。」とLINEしたら、「傘だけね!」という返信が帰って来て笑ったけど。
 
 
 
 
 
さて、日傘の思い出話です。
 
「黒い目のレベッカ」この表紙の本をねこ吉は持っていた。
 
この本を読んだのは小学校5,6年か中1ぐらい。
 
確か、レベッカはピンクの日傘を持っているという話があった。
 
ねこ吉の世代、夏と言えば帽子を被っていた。いや、被らされていた。
ねこ吉は帽子が嫌い。
 
 
ねこ吉は、商店街の中で育ったから、スーパーの衣料品売り場をいつもウロウロしていた。
 
夏休み中、スーパーで安いピンクの日傘を見つけた。
 
母に日傘を買って欲しいとせがんだ。
 
「子供のくせに日傘なんていらない。」と反対された。
母は目立つことが大嫌い。
日傘を差した子供なんて、こましゃくれてると今ならねこ吉も思うわ。
 
「レベッカの日傘」みたいだ!欲しい、欲しいよォ!
多分しつこく欲しがったのだと思う。
 
遂に買ってもらったけど、流石に差すのがはばかられた。
 
尼崎の下町、近所はあけすけなオバちゃんばかり。
 
ねこ吉がすまして日傘など差して歩いてたら、絶対「日傘なんか差して何処行くの?」って言われるにきまってる。
 
国道2号線を日傘を差して歩いた思い出はあるけど、大して使わないままだった。
 
母さん、ねこ吉のあの日傘はどうしたのでしょうねぇ。(「人間の証明」風に言ってみた。)
 

今日はサラダ記念日。

2024-07-06 21:16:08 | 思い出


今日、スーパーに行ったら、たくさん積まれたレタスの横に、「7月6日はサラダ記念日」と書いたPOPが出ていた。

ねこ吉は、すぐ俵万智の「サラダ記念日」を思い出した。
懐かしいな。
口語短歌?何かすんなり頭に入って来る感じが好きだった。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日



画像検索したら出てきた。

1987年に出版されたと書いてあったから、その頃に買ったんだろうな。

子供たちに、初めて作った料理を食べた日には、「今日は○○記念日」と言ったりしていた。

小さかった子供たちはさっぱり判らなかっただろうな。
引っ越しして、処分したのか、もう本箱の中には無い。

約37年も前の本だし、何故7月6日がサラダ記念日なのか判るスーパーの人も少ないだろうね。

朝ドラ「舞いあがれ!」を見たことから、ねこ吉は、X(旧Twitter)の俵万智さんをフォローしている。

さて、俵万智さんで思い出した事・・・。

息子の中学3年のときの担任は国語のI先生だった。穏やかないい先生だった。
短歌で俵万智のサラダ記念日を習った日、家に帰って来て、

「I先生、俵万智大嫌いやねんて。『あんな短歌はアカン!』とボロカスに言ってたわ。」と言った。

どういう所が嫌いと言ったのか覚えてないけど、何故そんなにボロカスに言ったのかなぁ。
先生は、昔ながらの短歌がお好きだったのでしょうか?

遠い昔を思い出して、ねこ吉には懐かしい「サラダ記念日」だった。

しかし、レタスも買わず、サラダも食べず、今日の夕食は素麺だったけど・・・。











今日は洋裁の日

2024-05-22 20:34:06 | 思い出


今日は洋裁の日。
5月8日も洋裁の日だったのに、忘れて整形外科のマッサージの予約を入れてしまいお稽古をお休みしてしまった。
今日は絶対に行かなくては・・・。

いつものワンコ、ゴン太君を見て、桜並木を南下。



ゴン太君は横顔は素敵なんだけど、正面顔はイマイチやね。



茶屋の町の桜は綺麗なんだけど、今年は見に来なかったなぁ。あっという間に終わった気がする。

公民館に向かう道は、カシワバアジサイが咲きだしていた。

季節はどんどん進んでいくなぁ。

次に縫う服が決まらない・・・。
ねこ吉が着たい服と、持っている布の用尺と、スキルとその他諸々を考えて、次に何を縫うかを大いに悩んで、やっとベストを縫うことにした。

昨日、家で型紙を書いた。

さて、先生に見てもらうと計算を間違っていた。恥ずかしい。笑ってごまかす。
何年洋裁をやってるんだろ?
先生も、心の中では呆れてるだろうな。

前にもブログに書いたけど・・・。「下田直子ハンドクラフト展へ・・・。

高2のとき日番日誌を職員室にもっていったら、
古文のオカモト先生に、「ねこ吉、進路はどうするねん?」と聞かれ、「デザイナースクールに行きたいです。」と答えた。

そこへ、数学のナカニシ先生が出てきて、「ねこ吉、デザインは計算がいるぞ、計算が。」と言われて、
「止めます。」と即答した。

数学のテストはいつも散々な点数。そんなねこ吉が、型紙を作るのに計算を間違いまくってる姿が先生には見えたんだろうな。

オカモト先生、ナカニシ先生、ご存命でしょうか?

ねこ吉は今日も計算を間違いました。






思い出したこと。

2024-05-01 22:13:09 | 思い出
今日は、雨が止まず気温が低い。
せっかく治りかけた坐骨神経痛が再発。

午前中、掃除をしていると、息子の部屋でドジャーズとダイヤモンドバックスの試合を見ていたたぬ吉が、「ハチが飛んでるから、試合が出来ないって。」と言っている。
ねこ吉は、スポーツ音痴だから、例え大谷選手が出場していても試合を見ることはほとんどない。

「え~、ハチが球場にいるの?」とテレビを見た。

たぬ吉が、「オマエは、妙なものに食いついてくるなぁ。」と呆れていた。



暫くしたら、この男性が完全武装で現れた。
ハチ駆除員だそうだ。手際よくハチを駆除し拍手喝采をあびていた。
ねこ吉は、ハチが駆除される一部始終を見ていた。

ドジャーズ戦でハチ駆除員が急遽始球式

「俺たちのヒーローだ!」と言われ、急遽始球式に出たそうだ。
こういう所、アメリカってユーモアがあるなぁと思う。

さて、試合が再開されるまで、ドジャーズの昔の映像が流れていた。

あ、野茂英雄だわ。日本人選手のパイオニア的存在だね。





野茂英雄と言えば、初めての「ノーヒットノーラン」の時、たぬ吉はスポーツ記者としてアメリカまで出張していた。
ネットも携帯電話もない時代、安いチケットを旅行代理店で手に入れ、ロサンゼルスの都ホテルに予約を取って出発した。

最後アトランタ?まで、各地を野茂英雄の試合について回り、チケットを取っているうち、クレジットカードの限度額を超えてしまった。
ねこ吉がクレジット会社で限度額を上げてもらい、それを連絡するのにたぬ吉の宿泊先に国際電話をした。
英語のできないねこ吉は、しどろもどろ。ルームナンバーを言い、後はプリーズを連呼。
電話が行き着いた先はバーにいる日本人のバーテン?だった。
たぬ吉に苦労して連絡したことを思い出した。
28年も昔のことだ。

今なら、LINEがあるのにね。

お土産の野茂英雄のサインボールは、カップボードの奥にあった。
ケースがすっかり黄ばんでいた。

今日から5月が始まりました。









道すがら・・・。

2024-03-04 21:58:50 | 思い出




今日は、苦労して仕上げた医療還付金の書類を郵便局に持って行こうと思っていた。

毎年「五月のバラ」のブログの写真を撮るマンションのバラの木に冬のバラ?が咲いていた。
ちょっと気が早いんじゃない?



(道端に植木鉢で囲ったお雛様とお人形。)

この家は、以前酒屋とたばこ屋をしていた。
かなり前に閉店してしまったけど・・・。

阪神大震災の2,3年後の事だった。
昔ながらのたばこ屋の店先によく三毛猫が座っていた。

ある日通りがかると、お爺さんが三毛猫を抱いていた。

「この猫の具合が悪なったから、お医者さんに連れて行ったらずいぶん高かったわ。
そやけど、震災の時危険を知らせてくれて助かったから、この猫に恩があるねん。」

とお爺さんが言っていた。

動物特有の感?で、何かを知らせたんだろうねぇ。

いつの間にか、三毛猫もお爺さんも見なくなった。

そして、いつの間にかお店は閉店。

普通の家になってしまった。

今日、通りがかったら可愛いお雛さまとお人形たちが並べられていた。

道行く人が温かい気持ちになるよね。何だかほっこりした。

きっと、あのお爺さんの親族が住んでいて、優しい気持ちのDNAが受け継がれているんだろうね。

郵便局に行って、銀行に行って、岡本方面まで北上。



昨日、お墓参りの帰りに自分のためにケーキを買おうと思っていたのに忘れて家に帰ってしまったから。

2月18日、娘に古いiPhoneを渡すために行った「ハルサクラオカモト」で買って帰ったアップルパイが美味しかったので買いに行った。

残念ながら、今日はアップルパイは無かった。その代わりタルトタタンがあった。

う~ん・・・。リンゴのシャリ感が足りないなぁ。
アップルパイの方が美味しかったわ。

アップルパイもタルトタタンも毎日ある訳じゃないので、電話で確認してから買いに行かなければならないそうです。

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先生の思い出

2023-12-22 19:41:57 | 思い出


スマホの天気アプリを見たら、何と0度だった。驚いてスクリーンショットしました。
風も強く一日中、温度が上がらないって。

今日は冬至です。
一年で最も昼が短い日です。

お天気はよく、陽は差し込んでいるけど外は寒そう・・・。

雪だるまが団体でやって来る。



昨日、夕食はお手軽すき焼きだった。
ねこ吉は、お豆腐を買うのを忘れたことに気づいて、近くのスーパーに6時頃買いに行った。

ダウンのジャンパーを着て行ったけど、手が冷たい。
ポケットに両手を突っ込みそうになって、突然、荒井先生の言葉を思い出した。

荒井先生とは、中学の社会の先生です。
おじいちゃん先生だと思っていたけど、あの頃の定年は55歳ではなかったか?
荒井先生は何歳だったんだろう?

授業は楽しいけど、余談が多くて授業の進み方が遅いのでPTAから槍玉にあげられていたなぁ。

その荒井先生が、

「ポケットに両手を突っ込んで歩いたら絶対にあかん!転んだら手をつくことが事が出来ないから顔から突っ込んで大怪我するぞ!」
と言っていた。

「小学校の低学年の時は、ズボンのポケットを手を突っ込めないように縫っておいた方がいい。」とも言っていた。

ねこ吉は、子供たちにも、「ポケットに両手を突っ込んで歩かないように。」と言って育てた。

義母の検診に病院に付き添って行っていた頃、冬場になると義母はポケットに両手を突っ込む。

「危ないから止めて!」と言っても、また突っ込む。何度言っても手を突っ込む。

たぬ吉も「手が冷たい。」と言って、両手をポケットに突っ込む。

遺伝やろね。


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