「のだふじ巡り」をして、藤の花を堪能しての帰り道。
浦江聖天了徳院からは、JR新福島駅の方が阪神野田駅より近いことが判った。
野田、福島辺りを歩いて判った事。それは、都会の真ん中に古い町並み、レトロな建物が残っていることだ。
「昭和」を感じさせる路地?行き止まりの道。
「のだふじ」の名所を探すのも、方向音痴のねこ吉は、昔ながらの道、三叉路、Y字路に泣かされた。
後戻りしたり、人に聞いたりして、やっと「新福島駅」にたどり着き東西線で帰って来た。
駅までの道で、こんなホウロウの看板を見つけた。
懐かしい!
松山容子のボンカレーの看板です。
この場所に「もう一度行け!」と言われたら行けませんが・・・。
最近では、松山容子のパッケージのボンカレーは沖縄限定で売っているそうです。
女優松山容子は、1960年に読売テレビで放送されていた「琴姫七変化」に出演していた。
ねこ吉は、この時代劇を毎週楽しみに見ていたなぁ・・・。
「品のある綺麗な人だ。」と子ども心に思ったものだ。
彼女のファンでした。
その後の出演番組も見ていたけど、結婚後引退したようだ。
今年80歳?ご存命だろうか・・・。
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浦江聖天了徳院からは、JR新福島駅の方が阪神野田駅より近いことが判った。

野田、福島辺りを歩いて判った事。それは、都会の真ん中に古い町並み、レトロな建物が残っていることだ。
「昭和」を感じさせる路地?行き止まりの道。
「のだふじ」の名所を探すのも、方向音痴のねこ吉は、昔ながらの道、三叉路、Y字路に泣かされた。

後戻りしたり、人に聞いたりして、やっと「新福島駅」にたどり着き東西線で帰って来た。
駅までの道で、こんなホウロウの看板を見つけた。

松山容子のボンカレーの看板です。

最近では、松山容子のパッケージのボンカレーは沖縄限定で売っているそうです。

女優松山容子は、1960年に読売テレビで放送されていた「琴姫七変化」に出演していた。
ねこ吉は、この時代劇を毎週楽しみに見ていたなぁ・・・。
「品のある綺麗な人だ。」と子ども心に思ったものだ。
彼女のファンでした。
その後の出演番組も見ていたけど、結婚後引退したようだ。
今年80歳?ご存命だろうか・・・。

