ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

今年も、五月のバラ(2022年版)

2022-05-15 21:13:43 | 思い出


昨日の夕方、岡本バラ園を通りかかった。
今年もねこ吉が大好きなカップ咲きのピンクのバラが咲いていた。
もう一度、お天気のいい午前中に出かけてこなくてはね。



今まで書いてきた「五月のバラ」シリーズを読み返すと、ほとんどが岡本バラ園のバラか、柿の木があるマンションの庭のバラだった。

ちなみに、2021年「五月のバラ」
去年は、「無事、ワクチン接種が出来るか?」そんな心配の日々を過ごしていたことを書いている。
1年の間に、3回のワクチン接種をしたのに、コロナは変化し続けて未だ治まらず。

毎年YouTubeの「五月のバラをBGMにどうぞ!」と色んな人が歌ってるバージョンを貼っているけど、今年は原点に戻って、元祖?塚田三喜夫の「五月のバラ」を貼ることにした。



これは、塚田三喜夫「五月のバラ」のレコードジャケットです。

古い思い出話を・・・。

たぬ吉と4月の末に結婚して、ねこ吉は神戸から松戸の小さな借家に引っ越してきた。

たぬ吉は、東京勤務だけど、物価の高い東京に住めるわけもなく、行き着いた先は、松戸市の新京成線「常盤平」というところだった。
常盤平団地という日本住宅公団が建てた凄く大きな団地があった。

ねこ吉達が借りた借家は、駅を挟んで団地側ではない側で何もない所だった。

専業主婦なので、たぬ吉が出勤した後はポツンと家の中にいる生活だった。
方向音痴で行動力も無かったので、「花の東京」に出かけて行く事もなく・・・。

何しろ、東京に出ようと思えば、常盤平から新京成線で松戸まで出る。常磐線に乗り換えて日暮里へ。山手線に乗り換えて東京へ・・・。神戸の方が便利やわ。

思えば遠くに来たもんだぁ・・・。誰も知り合いも近くにいないし。



たぬ吉が社員寮から運んできた荷物に、レコードがたくさんあった。

当時たぬ吉は、スポーツ新聞のプロレス担当の記者だった。全日本プロレス、ジャイアント馬場がいたところ。
結婚前は、芸能担当記者だったらしい。
歌手がレコードを出すと、各新聞社にキャンペーン?とかでサンプル盤を持って挨拶に来たらしい。
塚田三喜夫も来たらしく、サンプル盤をもらったんだって。

ねこ吉は、塚田三喜夫を知らなかった。
聞いてみたら、ねこ吉好みのいい歌だぁ~。

何度かの引っ越し、レコードからCDの時代に・・・。
今や、我が家にはレコードプレーヤーも無く、CDプレーヤーも無い。
いつの間にやら、「五月のバラ」のレコードは紛失しました。




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