さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

やらまいか精神を発信 期間限定「浜松出世の館」

2017-06-25 15:35:27 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では「出世の街」浜松の魅力発信に活躍する市のマスコットキャラクター「出世大名家康くん」と「出世法師直虎ちゃん」を取り上げた。今週は浜松市の魅力を発信する施設を紹介したい。

浜松駅から程近い市街地に、井伊直虎や徳川家康の活躍と、ゆかりの地を紹介する観光案内施設「浜松出世の館」が、大河ドラマの放映にあわせオープン。


【写真】「浜松出世の館」

直虎の生涯を説明するパネル展示をはじめ、ドラマで使用された徳川家康役の衣装(甲冑)の展示、さらに浜松市出身の実業家らの功績を紹介している。

29歳から45歳まで浜松で天下人への礎を築いた家康公にはじまり、楽器や発動機といったものづくりの街として世界に誇る企業を生み出したことは、鰻や餃子などこの地ならではの活力の源となる食、そして豊かな自然が、自己成長や夢の実現に向かって励む人々にとっての心の原動力になっていることを伝えている。

なかでも浜松ゆかりの偉人による語録の展示では、遠州地方の「やらまいか精神」の実例を紹介。
1900年に国産第一号のピアノを作った山葉寅楠氏(1851-1916)や楽器産業の発展を支えた河合小市氏(1886-1955)、日本のテレビの父といわれた高柳健次郎氏(1899-1990)、スズキの創業者で自動車やオートバイを開発し世界的な企業へ育てた鈴木道雄氏(1887-1982)、町工場を世界のホンダへと育てた本田宗一郎氏(1906-1991)などが残した語録は、どれも心に響くもの。ぜひ、実際に訪れ触れてみてほしい。

同館は来年1月末までの期間限定。入場料は無料。
土曜・日曜を中心に、家康くんや直虎ちゃんに会えるチャンスも。スケジュールは事前に家康くんのオフィシャルサイトにある「出陣カレンダー」で調べられる。

(次田尚弘/浜松市)
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出世の街をPR 「家康くん」と「直虎ちゃん」

2017-06-18 22:43:41 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、秀忠公の産土神として信仰を集める「五社神社・諏訪神社」を取り上げた。
浜松は家康公が17年にわたり居城したのち天下統一を果たしたことから、市は「出世の街」を前面に押し出し魅力を発信している。
今週はその役割を担う、家康公をモチーフとした市のマスコットキャラクター「出世大名家康くん」を紹介したい。

家康くんは市政100周年を記念し平成23年に誕生。「はままつ福市長」の肩書を持つ。チャームポイントのちょんまげはウナギ、羽織の紋は蜜柑、袴はピアノの鍵盤、といった浜松の特産品があしらわれている。
この家康くん、誕生から今日までの経歴が面白い。

平成25年に行われたゆるキャラグランプリで「優勝を逃した折には自慢のちょんまげを落とし出家大名に改名する」と宣言しいざ出陣。
家康くんのやらまいか精神(遠州地方の方言で「やろうじゃないか」の意)に浜松市民が懸命に応援するも、準グランプリに終わる。
その後、公約を守るべく断髪式を催しウナギのちょんまげを落とし出家。
養鰻場や料理店での修行、犀ヶ崖資料館(先に紹介)での座禅、うなぎ観音への参拝など修行を行い、出家から約1ヵ月後、うなぎ観音からのお告げにより「出世大名」の名を復活させるに至り、注目を集めた。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎も浜松ゆかりの人物。平成28年8月「出世法師直虎ちゃん」として、家康くんと同じく市のマスコットキャラクターに。
市内を走る路線バスには二体が大きくラッピングされ、井伊直虎ゆかりの地としての浜松もPRしている。

(次田尚弘/浜松市)


【写真】二体が描かれた路線バス


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秀忠公の産土神 「五社神社・諏訪神社」

2017-06-11 13:36:18 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では浜松市で生まれた第2代征夷大将軍である徳川秀忠の産湯として使われたとされる「誕生井戸」を取り上げた。
今週は秀忠公の産土神(うぶすながみ)として信仰を集める「五社神社・諏訪神社」を紹介したい。


【写真】「五社神社・諏訪神社」

産土(うぶすな)とは人の出生地の意味で、一般的に産土神とは生まれた土地の守護神をさす。
浜松市の中心市街地に位置し浜松城まで直線で約500メートルに位置する五社神社・諏訪神社はこの地で生まれた秀忠公の産土神として崇拝されてきた。

五社神社は家康公入城前の曳馬城(浜松城)主であった久野越中守が城内に創建したとされ、秀忠公誕生を機に現在の場所に社殿を造営し遷座(御神体を他の場所へ移すこと)。
寛永11年(1634年)、3代将軍の家光公が参拝の際、改めて社殿が造営され寛永18年(1641年)に竣工。国宝に指定されるも、昭和20年、先の大戦による戦災(浜松大空襲)で焼失している。

諏訪神社は延暦10年(791年)坂上田村麻呂により創建され、秀忠公誕生にあたり五社神社と同様に社殿を造営したという。
家光公により現在の地に社地を移し、五社神社と時を同じくして竣工。国宝に指定されるも戦災により焼失している。

昭和37年に両社は合祀され「五社神社・諏訪神社」として現在に至る。
いずれも相殿として家康公を御祭神とし、子守り、子育ての神として崇拝され、安産祈願の祈祷や御守りを買い求める参拝者も多く、七五三の時期にも多くの親子で賑わう。

浜松駅から北西へ徒歩約10分。筆者は語り部さんのすすめで今秋誕生予定の実兄の子の安産を祈願した。
徳川家のような末長い発展と子孫繁栄に肖りたい。

(次田尚弘/浜松市)
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徳川秀忠公生誕の地 産湯として使われた「誕生井戸」

2017-06-04 22:19:03 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では三方ヶ原の合戦で敗走する家康が、楠の幹の洞穴に身を隠し武田の追手から逃れたとされる、浜松八幡宮の「雲立の楠」を取り上げた。
合戦の後、武田軍は遠江国で年を越し元亀4年(1573年)東三河へ侵攻し野田城を攻略するも、信玄の病状が悪化し甲斐国へ撤退。信玄はその帰路で息を引き取っている。

それから6年後の天正7年(1579年)4月、後の第2代征夷大将軍である徳川秀忠(ひでただ)が、ここ浜松に産まれている。今週は今も残る秀忠公ゆかりの地を紹介したい。

徳川秀忠(1579-1632)は家康の三男に産まれ幼名を竹千代成と名付けられた。
家康の長男・松平信康は武田軍への内通を疑った織田信長からの銘により自害、次男の結城秀康(ゆうき・ひでやす)は豊臣秀吉の養子となったため、三男の秀忠が後継者となった。
秀吉による小田原攻めの際、人質として10歳で上洛し元服。秀忠の名は秀吉から賜ったもの。

家康の側室である西郷局が秀忠を産んだ際、産湯として使われたという伝承をもとに作られた井戸が浜松市の中心部にある。
実際にはこの地点から西へ約50メートルにあったとされ、当時は下屋敷が構えられていたという。

井戸は明治頃まで現存したとされ「誕生井戸」と呼ばれたことから、ここから北にある橋に「誕生橋」という名が付いている。
徳川家ゆかりの地名が残り、第2代征夷大将軍を輩出したという浜松市民の思いが伝わってくる。


【写真】秀忠公の産湯「誕生井戸」

「誕生井戸」は遠州鉄道・遠州病院駅下車すぐ。高架下の小さなスペースだが、浜松城周辺の散策コースに設定され観光客らが訪れる。

(次田尚弘/浜松市)
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