さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

夢の超特急への挑戦 十河氏・島氏、8年間の軌跡

2018-10-28 13:32:12 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、西条市の名誉市民で東海道新幹線建設の推進者として知られる、十河信二氏の功績を取り上げている。

国鉄再生を託され71歳で第四代総裁に就任。東海道新幹線建設推進のため、和歌山市出身で鉄道技師として知られる島安次郎氏の息子である、島秀雄氏を副総裁格の技師長に招き、夢の超特急への挑戦が始まる。

1956年5月、島氏を会長とする「東海道線増強調査会」が国鉄内に設置され将来展望について検討が行われ、最終的に従来の東海道線とは別線とし、在来線よりも線路幅が広い規格である広軌を採用する方針を固めた。

1958年7月、新幹線建設に関する答申を当時の運輸大臣へ提出。この時、建設費が5年間で3000億円と高額な予算となったが、1959年、十河氏は1972億円で国会承認を受ける。
予算確保のため十河氏は世界銀行へ1億ドルの資金借款を申し入れ、東京オリンピックまでに開業させるという条件で8000万ドルの借款を受け入れることが決定。

1961年5月に調印が行われ、オリンピックを前に東海道新幹線建設は世界から注目される存在になると同時に、開業は国際的にも必達の目標となった。

これを受け国鉄は1961年度から第二次五ヵ年計画を掲げ東海道新幹線の建設を推進。
1963年5月、十河氏の2期目の任期が終わることとなり、政府は後任の総裁を国鉄関係者以外から起用する方針を立て、十河氏も新幹線の建設費が嵩み国鉄の財政に影響を与えたことを理由に再任を望まず勇退。開業を総裁で迎えることは叶わなかった。

十河氏の退任後、当時の大蔵大臣に就いた田中角栄氏が、国鉄に代わり新線建設を行う日本鉄道建設公団を設立。
予算審議で建設予算の増額が承認され、1964年10月1日、東海道新幹線は開業を迎える。

(次田尚弘/西条市)


【写真】十河信二記念館




新幹線の父と呼ばれた十河と島、1964年東京オリンピックの開会前の10月1日に無事に東海道新幹線は開業を迎えましたが、彼らは国鉄から新幹線の開通式には招待されませんでした。
開業当初の車両0系は各所で保存されており、名古屋の「リニア・鉄道館」には歴代の新幹線車両が展示されています。



【写真】リニア・鉄道館で展示されている新幹線車両


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東海道新幹線の建設を推進 功績を称える「十河信二記念館」

2018-10-21 17:42:21 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、「鉄道歴史パークin SAIJO」にある「四国鉄道文化館 南館」を取り上げた。
蒸気機関車からディーゼル機関車、0系新幹線、フリーゲージトレインまで、昭和から平成へ、時代の移り変わりと共に進化し人々の暮らしを支え、文化を育んできた鉄道の遺産を紹介する施設。

ここには、四国鉄道文化館 北館・南館に加え、十河氏の功績を伝える「十河信二記念館」がある。今週より、十河信二氏の功績を紹介したい。


【写真】十河氏の銅像(十河信二記念館)

十河信二氏は1884年(明治17年)愛媛県新居郡(現在の新居浜市)の生まれ。
旧制西条中学(現在の県立西条高校)から旧制一高、東京帝大を卒業し1909年(明治42年)鉄道院に就職。南満州鉄道の理事を務めた後、1945年、西条市長に就任。
当時、国鉄では洞爺丸事故や、高松市沖で起きた紫雲丸事故が相次いで発生。総裁が引責辞任するも後任がいない状況であったという。

十河氏の手腕に白羽の矢が立つが年齢と健康を理由に辞退。
しかし、四国出身の国会議員・三木武吉氏からの強い要請に応じ、第四代国鉄総裁に就任。71歳のことであった。

就任後、東海道新幹線の建設を推進する。新幹線の研究報告を当時の国鉄技師長に指示するも資金不足を理由に実現は困難と拒まれ、それを契機に技師長を辞任させた。

十河氏が後任に指名したのが「島秀雄(しま・ひでお)氏」。
島秀雄氏の父「島安次郎(しま・やすじろう)氏」は和歌山市の出身。
鉄道技術者として知られ、1939年、新幹線の線路規格である「広軌」への改築を検討する特別委員長を歴任するも戦局の悪化で計画は頓挫。
安次郎氏は1946年に死去。広軌による高速鉄道の計画は、安次郎氏の遺志。
父の思いを実現しようと秀雄氏を誘ったのが、十河氏だった。

(次田尚弘/西条市)
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新幹線への想い、技術を伝える FGTなど展示 鉄道文化館「南館」

2018-10-14 16:04:27 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では四国で初の鉄道博物館として人気が高い、西条市の「鉄道歴史パークin SAIJO」にある「四国鉄道文化館 北館」を取り上げた。
今週は伊予西条駅を隔てた南側にある「四国鉄道文化館 南館」を紹介したい。

四国鉄道文化館の北館は2007年に開館。南館は2014年に開館。予讃線の線路を越す跨線橋が架けられ、北館と南館を行き来することができる。
館内には鉄道ファンから貴婦人の愛称で親しまれる「C57形蒸気機関車」や、急行列車として活躍した「キハ65形気動車」、四国エリアで活躍した「DE10形ディーゼル機関車」の1号機をはじめ、鉄道標識や信号機、動輪の展示をはじめ、四国の風景を表現した大型の鉄道ジオラマ、レトロ感を味わえる木造駅舎を再現したコーナーなど充実。

さらに屋外には、軌間可変電車と呼ばれるフリーゲージトレイン(FGT)の第2次試作車を展示。
新幹線の標準軌(1435mm)と在来線の狭軌(1067mm)、それぞれの軌間に車輪の幅を変えられる特殊な電車で、新幹線と在来線を直通で運転することが可能となる技術をもつ。


【写真】四国鉄道文化館(南館)

2007年にJR小倉工場で作られ九州管内の在来線や九州新幹線で試験走行を実施。
2011年からは四国の予讃線を試験走行し、カーブ区間での試験を実施。2013年に走行を終え、南館のオープンに伴い、車両は西条市に譲渡され展示されることになったという。

かつて西条市の市長を務め、その後、国鉄総裁として新幹線の開業に大きく貢献し、新幹線の生みの親の一人として知られる十河信二氏と縁の深い「新幹線」をキーワードに、新幹線区間が無い四国で十河氏の功績と共に、新たな技術や仕組みづくりへ挑戦する人々の強い思いを、来館者に向け発信している。

(次田尚弘/西条市)
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四国初の鉄道博物館など駅前に「鉄道歴史パーク in SAIJO」

2018-10-07 17:44:38 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、西条市で江戸中期から受け継がれている豊かな水文化について紹介した。
今週は、西条陣屋から南東へ約1キロに位置する西条市の玄関口「伊予西条駅」周辺の施設を紹介したい。

伊予西条駅は、北側に住宅地が広がり、南側には田畑が残る地域。日中帯は上下共、1時間あたり特急1本、普通列車1本の運行という長閑な駅に、四国を代表する鉄道博物館がある。

西条市は伊予西条駅の周辺を「鉄道歴史パーク in SAIJO」と名付け、「四国鉄道文化館 北館」、「四国鉄道文化館 南館」、「十河信二記念館」、「観光交流センター」の4施設を運営。
鉄道の歴史や文化、地域の魅力を発信している。


【写真】四国鉄道文化館(北館)

「四国鉄道文化館」は、かつて西条市の市長を務め、国鉄総裁時、新幹線の開業に大きく貢献し「新幹線の生みの親」の一人として知られる「十河信二(そごうしんじ)氏」(1884-1981)のゆかりの地であることにちなみ作られた、四国初の鉄道博物館である。
日本ナショナルトラストが全国で9番目に建設したヘリテージセンターで、委託により西条市が運営を行っている。

四国鉄道文化館は2007年、伊予西条駅の北側に開館。翌年には入館者数10万人を超える人気施設となり、2014年には線路を挟んだ駅の南側に新たな展示施設がオープン。北側の施設を北館、南側を南館としている。

北館は、JR予讃線から分岐した線路が館内へと敷設されており、背の高い木造の館内では「0系新幹線」と、主に四国エリアで活躍した「DF50形」と呼ばれるディーゼル機関車の1号機が展示されている。
0系新幹線は約1020万㎞、DF50形機関車は約260万㎞を走行したというが、それを感じさせない程に磨かれた車両は来館者を魅了する。

(次田尚弘/西条市)
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