さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

「一張一弛」の心得を体現 偕楽園と弘道館の美しい梅林

2019-12-29 13:37:44 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が造園した偕楽園に秘められた時代背景と、陰と陽を表現した世界について取り上げた。
今週は梅の香りが広がる偕楽園の梅林を紹介したい。



園内には100種3000本もの梅が咲き乱れる。
昭和9年、中でも花の形や色、香りが優れる6品種を水戸の六名木と定めた。
薄紅色で卵型の花弁が特徴の「烈公梅(れっこうばい)」は斉昭の諡号にちなみ付けられた名前。
他にも、深紅色の八重咲で大きな花弁が特徴の「江南所無(こうなんしょむ)」など、3月中旬にかけて多様な品種が見頃を迎える。

偕楽園では2月中旬から3月下旬にかけ「水戸の梅まつり」を開催。次回は令和2年2月15日~3月29日の開催で、124回目を迎えるという。
週末には偕楽園を中心に水戸市内の各所で、梅酒まつりや茶会、伝統的な舞が披露されるなど、様々な催しが開催される。

偕楽園と合わせて訪れたいのが「弘道館」。水戸藩の藩校として斉昭により天保12年(1841年)8月に創設。国の特別史跡となっており、敷地には60種800本の梅が植えられ、偕楽園と共に梅の名所となっている。

勉学に励み、弓を張り詰めるように張り詰めた気持ち「一張」と、弓を弛めるように気持ちを安らげる「一弛」の心得を体現する環境を作ったのも斉昭の狙い。
平成27年4月には「近世日本の教育遺産群」として日本遺産に認定された。

偕楽園・弘道館へは水戸駅からバスで約20分。水戸の梅まつりの開催期間中は、JR常総線で偕楽園臨時駅が設けられる(下りのみ)。
この春、紅と白の色合いが美しく、梅の芳香が漂う水戸を旅してみては。

(次田尚弘/水戸市)
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「陰と陽の世界」を表現 竹林と梅林に秘められた思い

2019-12-22 13:55:25 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が造営した「偕楽園」には、外国船の来航に備えた海岸防衛の役割があり、園内に植えられた多くの梅の木は、収穫した梅を飢餓や戦時の非常食として活用する目的があったことを取り上げた。
今週は偕楽園の園内の構造や斉昭による工夫を紹介したい。

偕楽園には100種3000本に及ぶ、豊富な品種の梅の木が植えられ、他にも桜やツツジ、萩など、四季折々の花を楽しむことができる。
園の東側に梅林が広がり、西側は杉や竹の林がある。

観光客の多くは梅林に近い東門から入園するが、正規の入園場所とされる好文亭表門から入ると真っ直ぐに伸びた竹林に囲まれた厳かな空間が広がる。
曲線を描いた通路はこの竹林がどこまでも続くように感じ、だんだんと心が落ち着いてくる。


【写真】陰の世界を表現した竹林(偕楽園)

竹林を抜けると一気に視界が開け梅林に到達する。

これらの暗さと明るさの対比には、儒教の精神が反映され「陰から陽への世界」を表現しているという。
一瞬、心細ささえ感じさせられる竹林の先に、梅の花が咲き乱れる頃であれば、梅の香りと色鮮やかな花々が広がる世界が待っている。
学ぶ者や領民に伝えたい斉昭の思いを感じさせられる。

この竹林には斉昭らしい別の意図もある。園内に生える1000本もの竹は、弓の材料として京都八幡の男山から移植されたもの。
領民と楽しむ公園とし、陰と陽の世界を表現しつつも、万一の有事に備えた武器の原材料を備蓄する裏の目的を秘める。
ここにも斉昭の工夫が織り交ぜられている。

(次田尚弘/水戸市)
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「梅の実」を非常食に 偕楽園、攘夷派・斉昭の思惑

2019-12-15 13:35:19 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、水戸藩9代藩主・徳川斉昭が造営した、世界第2位の面積を誇る都市公園「偕楽園」を取り上げている。
領民と偕(ともに)楽しむ休養場所と位置づけられたが、斉昭の目的はそれだけではなかったという。
今週は偕楽園に込められた斉昭の思いに迫りたい。

偕楽園の造営が計画された天保4年(1833年)は大飢饉が発生。
質素倹約の状況下であったが、せめて庭園の花を眺める機会を与えるべきであるという考えや、藩校で学ぶ者の休息場所、城内で災害が起きた際の避難場所というのが、造営の理由とされる。

しかし、当時は外国船の来航が相次いだ時代。水戸学の教えに則り、開国に反対する攘夷論を主張していた斉昭にとって、外国船に対する防衛は大きな課題とされた。
実際、園内の建造物である好文亭の3階部分からは太平洋を望むことから、外国船の来航を監視するなど海岸防衛が可能なものであり、幕府には伏せられた裏の目的であったとされる。


【写真】偕楽園から「千波湖」を望む

また、園内に植えられた梅にも大きな意味がある。単に梅の花を観賞するだけではなく、飢饉や戦時の非常食として梅の実を収穫し蓄えるが目的であり、意図的に梅の木を育て植樹したという。

現在、園内には100種、3000本もの梅の木が植えられ、実の収穫期である6月上旬頃、梅の実を落とし、期間限定で一般に販売するという人気行事がある。

大きな事業を行うなかに複数の目的を織り交ぜる。斉昭らしい取り組みであるといえよう。

(次田尚弘/水戸市)
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面積世界第2位の都市公園 梅林で知られる「偕楽園」の歴史

2019-12-08 13:40:57 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、15代将軍・徳川慶喜の父で水戸学を重んじた、水戸藩9代藩主・徳川斉昭の生涯を取り上げている。

幕末の混乱期を生き抜き、日本三大名園のひとつ「偕楽園」を造園した人物としても知られる。今週は偕楽園の造園の歴史を紹介したい。


【写真】偕楽園東門

偕楽園は水戸駅から西へ約2kmに位置する都市公園。
天保13年(1842年)の造園当初は14.7haであったが、平成5年(1993年)、偕楽園から南東にある周囲約3kmの千波湖を含む大規模公園として整備されたことで300haの面積を誇る「偕楽園公園」を形成。ニューヨークのセントラルパークに次ぐ、世界第2位の都市公園となった。
また、平成27年(2015年)、近世日本の教育遺産群として日本遺産に認定された。

偕楽園の造営は斉昭が藩主として水戸へ入った天保4年(1833年)に考案された。
領地を巡回した際、眼下に千波湖が広がり、筑波山や太平洋を望む景勝地として目を付けた。

当時は大飢饉が起きており計画を進めることが難しく、翌年、まずは数多くの梅の木を育てることから着手。天保12年(1841年)より造園工事を開始し、翌7月1日に開園。

偕楽園の名は、孟子の「古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よく)楽しむなり」から取られ、領民と偕(ともに)楽しむ休養場所と位置づけられた。

斉昭は偕楽園造園までの8年間に、全力検地や藩主の土着、藩校などの学校整備、江戸定府制の廃止を掲げ実行。
天保の改革に影響を与えたとされる斉昭の、偕楽園に込めた真の思いに迫りたい。

(次田尚弘/水戸市)
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偕楽園や弘道館を整備 水戸学を重んじる、9代藩主・斉昭

2019-12-01 16:20:02 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、徳川光圀による修史事業として代々受け継がれることとなった「水戸学」と、それにちなんで整備された「水戸学の道」を取り上げた。

地元の観光協会などが作成した散策マップでは、光圀の足跡を辿るルートに加え、水戸藩9代藩主・徳川斉昭(なりあき)や、15代将軍・徳川慶喜の歴史触れるルートも設定。
今週は、徳川斉昭の歴史を紹介したい。


【写真】斉昭が整備した「弘道館」(水戸学の道)

徳川斉昭(1800-1860)は、水戸藩7代藩主・徳川治紀(はるとし)の三男。15代将軍・徳川慶喜の父としても知られる。

8代藩主の徳川斉脩(なりのぶ)が継嗣を決めず病に伏せたことから、11代将軍・徳川家斉(いえなり)の第20子で、後に12代紀州藩主となる徳川斉彊(なりかつ)を斉脩の養子に迎える動きがあったが、学者や下士層による斉昭を推す動きが勝り、また、斉脩の遺書により斉昭が家督を継ぐこととなった。

これらの動きで斉昭を推した藩士らを藩政改革に登用し、藩校として「弘道館」を設立するなど、光圀の時代に始まる水戸学を重んじた。
水戸学に習い、尊王攘夷を唱えたことから、大老の井伊直弼と対立。さらに、将軍継承問題では実子である慶喜を推す一橋派を形成し対立は深まった。

孝明天皇が水戸藩に幕政改革を指示する勅書「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」を出したことが契機となり、安政の大獄により蟄居を命ぜられ、蟄居の処分が解けぬまま急逝している。

幕末の混乱期を生き抜いた藩主としてのイメージが強いが、水戸では領民の休養の場として日本三大名園といわれる「偕楽園」を造営するなど、その藩政は現代に残る。

(次田尚弘/水戸市)



先週は和歌山新報が休刊日のためお休みにさせていただきました。
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