お召し列車(おめしれっしゃ)とは、天皇・皇后・皇太后が利用するために特別に運行される列車である。なお、天皇・皇后・皇太后以外の皇族が利用するための列車は御乗用列車(ごじょうようれっしゃ)と呼ぶ。
概要
お召し列車とは、天皇・皇后・皇太后が利用するために専用の臨時列車として運行される列車である。お召し列車・御乗用列車のための専用の車両(皇室用客車)が存在するが、普段は特急など一般の列車に使われている車両を天皇が乗車するための臨時列車として運転する場合もあり、後者の場合も天皇・皇后・皇太后・皇族が利用するために運行されるため、お召し列車・御乗用列車にあたる。
しかし定期列車を利用する場合、例えば新幹線「のぞみxx号」の○号車を貸し切って移動するというような場合には、天皇・皇后・皇太后が利用したとしても天皇・皇后・皇太后のために運転される列車ではないため、お召し列車には含まれない。
車両
お召し列車牽引用として発注されたEF58 61第二次世界大戦後の車両としては、貴賓車として製造されたクロ157形がお召し列車としても用いられた。
お召し列車を牽引する機関車には、運転を担当する機関区の中で特に状態の良い車両が選ばれる。運転頻度の高い地区においてはお召し指定機関車というものが存在し、過去にはC51形 236・239号機(品川機関区)、276号機(梅小路機関区)、C59形 108号機(梅小路機関区)、ED53形 1・2号機(東京機関区)、EF53形 16・18号機(予備17号機、いずれも東京機関区)などが指定されていた。また、EF58形電気機関車の61号機(東日本旅客鉄道(JR東日本)に在籍)と60号機は、特にお召し列車牽引用としてメーカーに発注された指定機関車である。61号機が日立製作所、60号機が東芝製で、車体を茶色に塗装するなどお召し用として特別な仕様で製造されている。このうち、60号機は廃車。61号機は運用から外され「廃車対象の保留車」として機関区にて留置中。この他、JR東日本のDD51形ディーゼル機関車842号機は、同社管内の非電化路線で運転されるお召し列車の指定機となっており、通常もお召し用の装飾を残したまま運用されている。
お召し列車一編成を「一号編成」と呼ぶ。このうち実際に天皇・皇后が乗車する車両を御料車という。地方での運転などのため編成を長距離にわたり回送する場合は、回送中に傷や汚れが付着するのを防ぐため、御料車にのみ車体全体を覆うシートをかけることが多い。
「一号編成」とクロ157形の老朽化に伴い、新しく交直両用のE655系電車 が2007年7月に落成した。基本は6両編成であるが、中間の特別車両 (E655-1) を外した5両編成で一般の団体乗客向けにも運転されている。また電源供給用のディーゼル発電機を備えており、非電化区間ではディーゼル機関車による牽引が考えられている。
西日本旅客鉄道(JR西日本)管内の非電化路線でのお召し列車には、「サロンカーなにわ」が充当されることが多く、天皇・皇后が乗車する最後尾車両・スロフ14形にはさまざまな対策工事や他の車両より特に念入りな保守が行われている。また、他の地区や私鉄などでは原則として特急用の車両(特急用車両がなければ、最新または最良の設備を持つ車両)をお召し列車運用時に限り、特別に改造または整備して使用される。
近畿日本鉄道(近鉄)では、かつては特急車を改装し、天皇が利用する場合には御座所を設置していた(12400系のサ12551号車など)。しかし、平成に入ってから21000系「アーバンライナー」などJRのグリーン車に相当する特別席を設けている車両を使用し、御座所は設けなくなった。
2008年現在JRに在籍している車両のうち、新幹線や特急用のグリーン車には普段から防弾ガラスなどを装備する仕様になっているVIP対応車が存在し、お召し列車として運行する場合に多く使用されている。代表的なのは「サロンカーなにわ」やJR東日本新潟車両センター在籍のサロ489-1051・1052だが、防犯上の観点から車両番号は公表されていない場合も多い。
運行
お召し列車には列車番号はなく、ダイヤ上でも「お召し」である。ただし現在のJR東日本では列車の運行管理をコンピュータで行う関係で、お召し列車にも列車番号を付与している。下りは9001、上りは9002という列車番号が使われることが多いが、一概にはいえない。新幹線の場合は、一般の団体臨時列車と同じような列車番号が付けられることが多い。
お召し列車の運行には「三原則」があるといわれている。
他の列車と並んで走ってはならない
追い抜かれてはならない
立体交差では上の線路をほかの列車が走ってはならない
このため臨時に他の列車の時間調整を行なう他、事故等不測の事態に備えてダイヤ作成担当者がお召し列車に添乗する。
戦前にはお召し列車の10分程前に先導列車が運行され、先導列車が通過後はポイント操作が許されないなど特別の配慮がとられた。21世紀初頭の現在でも同様の措置をとる場合がある(後述の記載も参照、とりわけ鉄道ファンなどから「露払い列車」と呼ばれることが多い)。
お召し列車担当の運転士は、運転区間を管轄する車両基地内で技術・勤務態度・人間性を考慮して選ばれる。特に衝撃のない発車や停止、数秒の狂いもない運転、数センチのズレも許容されない停止位置など、通常の列車に比べて非常に緻密な運行が要求されるため、運転技術が特に優秀な運転士が選任されている。
移動日や時刻は官報によって公示されている。ただし通常の列車の場合もあるので、必ずしもお召し列車による運行とは限らない。あくまで皇族の行事参加および移動を掲載しているためである。
お召し列車は原則として夜間には運転されない。長時間を要した戦前には途中の御用邸で宿泊しながら移動していた。例外は、1947年(昭和22年)12月11日に姫新線林野駅15時42分発、東京駅翌6時57分着で運転された、お召し列車唯一の夜行列車である。また1946年(昭和21年)6月6日 - 6月7日に銚子市を訪問した際には、戦災で天皇が宿泊できるような邸宅や旅館などが銚子に残っていなかったことから、銚子駅の先に存在していた貨物駅である新生駅に御料車を引き込んで、その中で宿泊したことがある。2008年現在天皇が御料車内で宿泊したのはこの2件のみである。
お召し列車運転にまつわるエピソード
戦前においては、お召し列車運行に関わるわずかなトラブルでさえもその社会的制裁は家族を含めて一生付きまとうものであった。実際にトラブルが元で自殺した鉄道職員がいた。1911年11月11日に門司駅(現在の門司港駅)構内でお召し列車の車輪に幌の紐が絡まったため故障し、明治天皇の休憩時間が5分の予定が1時間になる事態が発生した。そのため、同駅の構内主任が責任を取る旨の遺書を残して鉄道自殺した。自殺を知った明治天皇は事態を不問に付したほか、遺族を哀れみ300円(当時の額 現在の価値では600万円)を弔慰に賜与したという。
単線区間の閉塞方法(同じ区間に同時に2つの列車を走らせない)として通票閉塞方法が採用されていた時期に、通過駅で通票を授柱からお召し列車の機関士が受取に失敗、再度取りにいく為停車する事態になった。このトラブル以後、お召し列車は受け取りに失敗した場合は、通票を谷底に落とした場合と同様に、そのまま進行してもよいとの通達が出された。
戦前はお召し列車を陸橋や丘陵などから見下ろすことまで「不敬である」として官憲により規制された。1930年11月に発生した富士瓦斯紡績川崎工場の争議はこの理由から解決した。この時に出現した煙突男が岡山から帰る途中のお召し列車を煙突から見下ろす体勢になることから、引き降ろすために労働者側の要求をほぼ受け入れ、煙突男を引き降ろした。その直後、お召し列車が多摩川橋梁を通過したといわれる。
天皇・皇后が御料車に同乗するようになったのは戦後になってからの事で、戦前は原則としてそれぞれに専用の御料車を連結して運転していた。乗車の際は皇后がホームで天皇が乗車するのを見届けてから乗車していたという。
その他
元号が平成となってからは、ダイヤの変更などで国民に迷惑をかけることを望まない今上天皇(明仁)の意向やその他の事情によって、行幸は一般の定期列車や臨時列車の一部の車両や航空機(政府専用機、民間機)を利用することが多くなったことから、お召し列車が運行されることは少なくなっており、国賓の接待の一環としての性格が強くなっている。また、同様の理由で原宿駅側部乗降場(宮廷ホーム)の利用も少なくなっている。
お召し列車も団体専用列車の範疇に含まれるため、運行は定期列車の合間を縫って走らせ、運賃・料金も当局から然るべく支払われている。お召し列車を運行するにあたっては、事前の準備や警備体制などに多大な経費を要しているが、慣例として当日のお召し列車運行そのものに掛かった経費のみを宮内庁が支払っている。日本国有鉄道(国鉄)時代はお召し列車の運賃は無料であったが、国鉄分割民営化にあたって民鉄でお召し列車を頻繁に運行していた近鉄に実情を問い合わせて、それに合わせる形で経費を計算することになった。また、宮内庁がお召し列車の運転を申し込む窓口は、運転線区にかかわらずJR東日本が担当している。これは民営化直前に、当時の国鉄運転局列車課長が宮内庁の問い合わせに対し、「おそらく皇居に近い東京駅を管轄する東日本会社が担当するだろう」と答えたことが慣例となって続いている。
現代においても、お召し列車の運行に際しては沿線や駅の警備のほかに、下記のような細心の注意が払われていることが多い。
車両が故障した時の代替として予備車を用意する。
通常の車両を使用する場合でも塗装を塗り直した上でフラットをなくすために車輪の削正(厳密な円柱形への削り直し)を施行し、窓を防弾ガラスにする(新規製造時にVIPの乗車を考慮し、あらかじめすべてまたは一部の窓を防弾ガラス仕様にしておく例もある)。また、警察用無線の設置スペースが確保されている。
本列車の運行の直前に特別の回送列車(通常は単行機関車列車)を走らせ、線路上に問題がないことを確認する(通称「露払い」)。過去には営業用列車が担当した事もある。
列車の性格上、非常に厳重な警備が行われるが沿線での写真撮影が全面禁止されているわけではなく、お召し列車を撮影する鉄道ファンも少なくない。
車両前面に方向幕が装備されている車両をお召し列車として運行する場合、方向幕には何も表示しない(白無地一色の幕)。
日本以外のお召し列車
日本以外でも、王室が存在する国には、日本のような「お召し列車」が運転されることがある、イギリスでは「ロイヤルトレイン」 (Royal Train) と呼ばれる列車が運転されることがある。
イギリス以外にも、デンマークやノルウェーのように、王室が存在する国においては、王室専用客車(御料車)が用意されている。
ロシア、オーストリア、中華人民共和国など、その後共和制に移行した国々においても、かつて王室や皇室が存在した当時にはお召し列車に相当する列車が運行されていた。
中でも清朝の西太后が北京から奉天(現在の瀋陽)へ向かう際に乗車したお召し列車は、16両編成というその規模や、150人の料理人を乗せ狭い客車内にかまどを左右25基、計50基も据えさせたこと、合計100皿にも及ぶ彼女の食事の度に長時間停車して他の列車を止めさせたことなど、エピソードにこと欠かない。
こうしたお召し列車に使用された御料車や貴賓車は、いまでもその国や、かつてその国の植民地だった国の鉄道博物館に残っていることがある。もっとも西太后のお召し列車に使用された御料車は、彼女の死後張作霖の手に渡り、彼の専用列車に使用されていたが、張作霖爆殺事件の際に彼ごと関東軍に爆破されたので現存しない(一部が上海でレストランに転用されているとの説もある)。
また2007年現在のオーストリアでは、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代に運行されていた皇帝フランツ・ヨーゼフのお召し列車の内装などを参考にした皇帝列車 (MAJESTIC IMPERATOR TRAIN) という名の一般の観光客向け企画列車が走っている。
なお、君主制から共和制に移行した国であっても、独裁者が国政を牛耳るような政治体制になった場合はしばしば似たような性格の鉄道車輌が元首の命により整備され運行される。ヒトラーや蒋介石は総統専用列車を有していたし、スターリンや毛沢東も国内の移動に専用客車を利用していた。ただし、蒋介石の専用客車は新製させたものではなく、日本が台湾に置き去りにした皇室用貴賓車の転用である。2008年現在においては北朝鮮の金正日総書記が特別列車を所有しており、飛行機嫌いであるためにそれで何回か友好国の中華人民共和国やロシアに訪問した。
お召し列車が新調されたというニュースを見て調べてみた。