内容(「キネマ旬報社」データベースより)
1月にNHK BS-iで放映された新春特番「名刹 心の便り みのり」に、未放映映像を追加収録したDVD。酒井雄●大行満大阿闍梨と尼僧・瀬戸内寂聴との対談ほか、あらゆる世代の人々に“今”を生きるささやかな道徳と品格のヒントを伝える110分、2枚組。
酒井雄哉(さかい ゆうさい 大正15年(1926年)9月 - ) は天台宗の僧侶。比叡山千日回峰行を二回行なった行者として知られている。天台宗大阿闍梨、権大僧正。
前半生
大阪市生まれ。旧制中学卒業後、予科練に志願。戦後はラーメン屋をやるが火事で焼けてしまい、菓子屋、証券会社代理店など職を転々とするがいずれもうまくいかない。また、結婚2カ月目に妻が自殺するという事件もあった。40歳のとき得度し比叡山延暦寺に入る。千日回峰に挑む前には、明治時代に死者が出て以来中断していた常行三昧(延暦寺の項を参照)という厳しい行を達成している。
千日回峰行
1973年、千日回峰行を開始する。千日回峰行は不動明王と一体となることを目指す行で、十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から、さらに選ばれたものだけに許される行である。行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどったヒノキの笠をかぶり、白装束(死に装束)をまとい、草鞋ばきといういでたちである。回峰行は七年間にわたる行である。
無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。
700日目の回峰を終えた日から堂入りが行なわれる。無動寺谷明王堂で足かけ九日間(丸7日半ほど)にわたる断食断水断眠の行に入る。入堂前に行者は生き葬式を行ない、不動明王の真言を唱え続ける。出堂すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨(だいあじゃり)となり、信者達の合掌で迎えられる。これを機に行者は自分のための自利行(じりぎょう)から、衆生救済の化他行(けたぎょう)に入り、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日続ける。7年目は200日ではじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで、後半100日は比叡山中30キロの行程に戻り、千日を満行する。この行を終えた行者は延暦寺の記録では47人である。 酒井はこの行を1980年10月に達成する。
そして、この行の様子は1979年1月5日、「NHK特集・行~比叡山・千日回峰~ 」で放送された。
しかし、酒井はこれに満足せず、半年後、2度目の回峰行に挑戦。1987年7月、60歳という最高齢で2度目の千日回峰をやり遂げる。2度の回峰行を達成したものは1000年を越える比叡山の歴史の中でも3人しかいない。
なお、千日回峰行を終えた者は京都御所への参内が許されるが、その際は土足のまま参内する。通常京都御所内は土足厳禁であるが、千日回峰行を終えた者のみ、御所へ土足のまま参内できる。
その後
1990年(平成2年)、15年ぶりに下山。厳しい護摩供のほか国内各地、中国五台山、エジプト・シナイ山などを巡礼。1995年(平成7年)にはバチカンでローマ法王ヨハネ・パウロ2世にも謁見している。同じく1995年、仏教伝道文化賞(功労賞)受賞。現在、比叡山ふもとの飯室谷不動堂に住み活動している。
偉大な人なのに、言葉が平易で分かりやすい。