内容紹介
これはもはや伝説だ!ブルース・リーの最高傑作!
麻薬と陰謀が渦巻く要塞島に、ブルース・リーの怒りが炸裂する!
香港の裏社会に君臨する実力者ハン(シー・キエン)が主催する武術トーナメントに、世界中の武術家が招待された。アメリカのウィリアムズ(ジム・ケリー)、ローパー(ジョン・サクソン)はその招待状を受け取り、香港へ向かう。一方、少林寺で武術を修行中のリー(ブルース・リー)という若者は、秘密情報局から、トーナメントに出場し、ハンの麻薬製造密売の内情を探り出す要請を受ける。一度は断ったリーだったが、修道僧長から、ハンもかつては少林寺の修行僧であったが、修めた武術の知識を悪用していること、また父から数年前に姉がハンの手下オハラの犠牲になった事を聞かされ、秘密情報局からの要請を承諾し、トーナメントに出場する事を決意する。そしてリーは秘密の任務と復讐心を胸に秘め、トーナメント会場の島へと向かうのだった 。
【映像特典】
-TVスポット集・・・約7分
・ローパー、ウィリアムズ、リーの3人
・チャンピオンの中のチャンピオン
・必殺技の3人
・ふたたび怒りが爆発
・ハンの島
・武術大会の勝者
・レビュー・スポット
-リンダ・リー・キャドウェル インタビュー集・・・約15分
・愛とカンフー
・夢を実現させる
・裏口からハリウッドへ
・映画の種をまく
・教室をカメラにおさめる
・撮影現場での出来事
・ありのままのブルース
・新しい基準を作る
・精神力による自己防衛
・家族に与えた影響
-オリジナル劇場予告編集・・・約7分
・謎の島
・チャンピオンの中のチャンピオン
・必殺技の3人
・要塞の島
-ブルース・リー語録(約19分)
メイキング : 燃えよドラゴン(約30分)
収録時間 : ドラゴンの穴(約8分)
・1973年ドキュメンタリー
・自宅の庭でのトレーニング
-実録ブルース・リー : ドラゴンと呼ばれた男(約87分)
-ブルース・リー : A Warrior's Journey(約99分)
小龍(り しょうりゅう、リー・シャオロン、レイ・シウルン1940年11月27日-1973年7月20日)、本名: 李振藩(レイ・ジュンファン)は、サンフランシスコ生まれの中国人、香港俳優、武道家。截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。
プロフィール
出生・幼少時代
父親の中国系で広東演劇の役者の李海泉と、ドイツ系と中国系の混血の母親グレイスが家族を連れて長期アメリカ巡業中、辰年の1940年11月27日、辰の刻(午前8時)にサンフランシスコのチャイナタウンの病院で生まれた。5人兄弟の次男(兄ピーター、姉フィービー、アグネス、弟ロバート)。映画には芸名の李小龍で出演している。生後3ヶ月あまりでサンフランシスコで製作された映画『金門女』(中国)に出演した。
その後イギリスの植民地であった香港に帰国、8歳頃から子役として数多くの映画に出演。幼少より、中国武術(中国大陸では「武術」、中華民国等では「国術(國術)」とも呼ばれる。海外ではカンフーの名称が一般的だが、空手や拳法と誤認されることもある)の一派である詠春拳の葉問(イップ・マン)の指導で中国武術を身につける。少年の頃、道場にはバスで通い、バス停で他の生徒に「今日も休みだ」と嘘をついて帰らせ、葉問の個人レッスンを受けたという逸話がある。また上海精武体育会香港分会にて北派少林拳の邵漢生に指導を受け、節拳(弾腿門)などを学んだ。
不良時代
俳優の息子で自らも映画に出演し、当時でも珍しい中国服を着ていたことから街で目立ち、気性が荒かったリーは「何をジロジロ見てるんだ」と難癖をつけて、毎日のように暴力沙汰を起こしていた。
16歳で香港のラサール学院を退学処分となりフランシスコ・ザビエル校に編入しても、喧嘩を繰り返した。また、ダンスのチャチャチャのコンテストで優勝するなど、勉学よりも喧嘩や女性との交際に熱中していた。
渡米・結婚
何不自由なく育ったリーの将来を心配した父は、「俳優の不良息子」として悪名を知られた香港から離し、渡米を命じる(アメリカで出生届を出していたので永住権があった)。18歳のリーは、わずか100ドルの所持金で単身渡米し、シアトルに移り住む。新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校のシアトル・セントラル・カレッジに通い高校卒業資格を得て、ワシントン大学哲学科に進学。勉学に励むかたわら、「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始める。高校で哲学の講師もしていた。その頃、同じ大学の医学生で、道場の生徒だったリンダ・エメリーと結婚。その後、大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(Jeet Kune Do/JKD/ジークンドー)を創始する。
武道家からアクションスターへ
1966年に、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」でJKDの演武をしたフィルムが、TVプロデューサーの目に止まり、TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢される。正義のヒーロー「グリーン・ホーネット」の助手兼運転手として目の周辺だけを隠すマスク(このマスクは、後に映画『キルビル』で「カトーマスク」と呼ばれる)を付けた日系アメリカ人のカトー役を演じ、派手なアクションで人気を博す。
これをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などのゲスト出演を重ねる。カトー役のイメージのため、リーを日本人だと誤解しているアメリカ人も多かった。『グリーン・ホーネット』の後、アメリカの連続テレビドラマ『燃えよ!カンフー』を企画し、自ら主演を願った。しかし、東洋人であることなどを理由に主演の望みは叶わなかった(主人公の混血児ケインを演じたのはデビッド・キャラダイン)。
1970年に、香港の大手映画会社のショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)から独立したレイモンド・チョウ(鄒文懐)が設立したばかりのゴールデン・ハーベスト(嘉禾娯楽事業有限公司)と映画出演の契約をする。翌1971年に成人後の初主演映画『ドラゴン危機一発』が公開され、香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットになった。リーは、一躍、香港のトップスターに躍り出る。
主演第2作の『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導を担当し、3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、自ら「コンコルド・プロダクション」(協和電影公司、ゴールデン・ハーベストとの共同出資)を設立し、製作・監督・脚本・主演の四役を担った。この3作によって、リーは香港で不動のトップスターの地位を築き、ゴールデン・ハーベストは興行収入で香港最大の映画会社となった。
1972年秋からリーの2作目の監督映画『死亡遊戯』の撮影がスタートする。ところが、ハリウッドのワーナー・ブラザーズとコンコルド・プロダクションとの合作映画の企画が持ち上がり、『死亡遊戯』の製作は中断される。1973年1月から、アメリカと香港の合作映画『燃えよドラゴン』(ロバート・クローズ監督)の撮影が始まる。かつてハリウッド映画への主演がかなわなかったリーの意気込みは並々ならぬものがあり、エキストラへの武術指導に始まり、脚本や撮影にも詳細な意見を出した。リーはクローズ監督に、「この映画の出来を気にしているのは、あなたと私だけだ」と語った。映画の冒頭、リーが少年を相手に「Don't Think. Feel!(考えるな、感じろ!)」と語る台詞はあまりにも有名だが、この部分はリーが香港公開用に自ら監督をして勝手に撮影したもので、当初の脚本にはなかった。撮り終わったフィルムを見たクローズが、アメリカ公開版にも採用した。
死去
シアトル市内にあるブルース・リー親子の墓1973年7月20日に、リーは、『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティンペイ(丁珮) の香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤(アスピリンを含むEquagesic)を飲んでベッドに横になった。しかし、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティンペイはレイモンド・チョウを呼び、そのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。
公式な死因は脳浮腫(のうふしゅ)である。司法解剖の結果、微量の大麻が検出されたほか、脳が極度に肥大化していたことが判明した。リーは、『燃えよドラゴン』の撮影を終えた1973年5月にも同様の症状を訴えており、死因は背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その晩に服用した頭痛薬の副作用といわれている。32歳であった。
葬儀は香港とシアトルで行われた。香港では数万人のファンが葬儀に押し寄せ、シアトルの葬儀にはリーの弟子だったジェームズ・コバーンやスティーブ・マックイーンも参列した(この葬儀の様子は『死亡遊戯』の中で実際に使われている)。遺体はシアトルのダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬された。
リーの死後、彼が待望していたハリウッド主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに全世界で公開され、大ヒットとなった。しかしアクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、すでにリーは亡くなっていた。(日本公開は1973年12月22日)死後、『ドラゴン危機一発』などの過去の映画が世界中に配給された。
映像作品
渡米前
香港で少年期、青年期に出演した作品。いくつかは香港、アメリカなどでVCD、DVDがリリースされている。日本では2003年に"BRUCE LEE ULTIMATE COLLECTION -李小龍的追悼秘蔵収集- ブルース・リー アルティメット・コレクション"のタイトルで販売された。
『金門女』(1941年)
『富貴浮雲』(1948年)
『夢裡西施』(1949年)
『樊梨花』(1949年)
『花開蝶滿枝』(1950年)
『細路祥』(1950年)日本題名「ドラゴン スモール・ブラザー」
『凌霄孤雁』(1950年)
『人之初』(1951年)
『苦海明燈』(1953年)日本題名「ドラゴン スパーク・オブ・ホープ」
『慈母涙』(1953年)
『父之過』(1953年)
『千萬人家』(1953年)日本題名「ドラゴン ミリアッド・ファミリー」
『危樓春暁』(1953年)
『愛(下集)』(1954年)
『孤星血涙』(1955年)日本題名「ドラゴン オーファン」
『守得雲開見月明』(1955年)
『孤兒行』(1955年)
『兒女債』(1955年)
『詐癲納福』(1956年)
『早知當初我唔嫁』(1956年)
『雷雨』(1957年)
『甜姐兒』(1957年)
『人海孤鴻』(1958年)
渡米後
TVシリーズ
『グリーン・ホーネット』(1966年〜1967年、原題:The Green Hornet)全26話に出演。助手「Kato(ケイトーと発音される。加藤?)」を演じる。毎週金曜日の午後7時半から8時に米ABC系で放映。日本では1967年にテレビ放映。死後、3話ずつ繋ぎ合わせ『ブルース・リーのグリーン・ホーネット』『ブルース・リー in グリーン・ホーネット2 電光石火』として東宝東和より劇場公開された。
『バットマン』(1966年〜1967年、原題:Batman)特別編など3エピソードにKato役でゲスト出演。
『鬼警部アイアンサイド』(1967年、原題:Ironside)クンフー教師役で出演。
『ブロンディ』(1968年、原題:Blondie)クンフー教師役で出演。
『略奪された百人の花嫁』(1968年、原題:Here Come The Brides)"Marriage,Chinese Style"の回に中国人花婿役で出演。
『ロングストリート』(1970年〜1971年、原題:Longstreet)"The Way of The Intercepting Fist"、"Spell Legacy Like Death"、"Wednesday's Child"、"I See Said The Blind Man"の4エピソードに出演。
映画
『かわいい女』(1969年、原題:MARLOWE)- ウィンスロー・ウォン(中国人の殺し屋)
『ドラゴン危機一発』(1971年、原題:唐山大兄 THE BIG BOSS、1974年の洋画部門の興行収入第4位、6億円)- チェン・チャオ・ワン
『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971年、原題:精武門 FIST OF FURY、1974年洋画部門の興行収入第4位、6億円)- チェン・ジェン
『ドラゴンへの道』(1972年、原題:猛龍過江 THE WAY OF THE DRAGON)- タン・ロン
『燃えよドラゴン』(1973年、原題:ENTER THE DRAGON 龍争虎闘、1974年洋画部門の興行収入第2位、16億4200万円)- リー
『死亡遊戯』(1978年、原題:死亡遊戯 GAME OF DEATH)※この映画を「リー主演映画」とすることには一部で異論がある。
内容紹介
今年生誕70周年を迎える香港を代表する不世出の世界的アクション・スター「ブルース・リー」の波乱万丈の生涯を描いた大ヒット・TVドラマシリーズをリリース!!
◆主演は映画「少林サッカー」でブルース・リーへのオマージュに満ちたGKを演じたダニー・チャン! 他、格闘家役でレイ・パーク、ゲイリー・ダニエルズ等欧米の本格アクション・スターも集結!!
◆製作総指揮はブルース・リーの実娘でもあるシャノン・リー! 中国CCTV(中国中央テレビ)2008年度ドラマ部門での最高視聴率を記録した話題作です。
◆全30話を3BOXにて発売致します。BOXIIは7月23日発売予定!
◆二ヶ国語収録<日本語吹替/中国語(北京語)>
仕様:第1話~第9話収録 470分/二ヶ国語<日本語吹替/中国語(北京語)>/カラー、片面2層、ドルビーデジタル、4:3
出演者:ダニー・チャン、 マイケル・ラング、 マイケル・J・ホワイト、 ゲイリー・ダニエルズ、 マーク・ダカスコス 他
製作総指揮:シャノン・リーマーク・ダカスコス
脚本:キアン・リンシン、ザン・ジャンガン
監督:リー・ウェンキ
(C)CCTV
※仕様および収録内容は変更になる場合がございます。
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
香港を代表するアクションスター、ブルース・リーの生涯を綴った伝記ドラマのBOX第1弾。高校生のリーは中国人を蔑む外国人の嫌がらせに対抗するため、父にカンフーを習いたいと申し出る。第1話から第10話を収録。
「ドラゴン怒りの鉄拳」のノラ・ミャオが好きだった。
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