お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「台風の暴風雨の中のリポーター」

2005年08月25日 | テレビ番組
以前、「台風中継のリポーターが何故、あんなに危ない場所からリポートしないといけないのか」という「コメント」を頂いた事があり、今日朝、台風中継を見ていて思った事だが、「台風中継」の奥には、「台風の被害に遭われた方には申し訳ない」が、「自分も荒波や暴風雨の近くや中にいたい」という、「子供心に感じた台風に対する非日常性の楽しさ」があるのではないだろうか。

子供の頃、台風が来るとなると、大人は騒ぎ出し、学校は途中下校になり、その「大変さ」が子供の「好奇心」をくすぐった。
「えっ、これがいつもの小川なの?」と、轟々流れて、溢れそうになった川を橋の上から眺めたり、とんでもない暴風雨を静かな家の中から、カーテンをちょっと開けて、覗いたりしていた。

僕の住んでいた所の多くが、高い所にあり、浸水の可能性がほとんど無かったので、無責任にも喜んでいたのかもしれない。堂々と学校の授業をサボれるのも魅力だった。

台風というと、お年寄りが田んぼを見に行って、川に流されたりするニュースが多い様な気がする。「田んぼがダメになる」という事は大変な事だと思うが、「命」には代えがたいと思う。やはり、自分には「台風の被害はおそいかかってくるはずは無い」という根拠の無い理屈で、田んぼに行かれるのかもしれない。僕だって、明日、交通事故に遭ったり、病気を発病したりするリスクをいつも秘めながら生きている。自分には、そうした不幸は襲いかかって来る筈は無い、という「意味の無い確信」で行動しているのである。



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「カレーライス」と「有精卵」

2005年08月25日 | 料理・飲み物・食べ物
カレーライスに、生卵を入れて食べるのが好きだ。あつあつの御飯にかかったカレーのルー。その真ん中に空き地を作り、そこに生卵を落とす。まず、白身のドロっとしたところと、カレーライスを混ぜて食べ、それをしばらくした後、黄身を崩して、カレーライスのルーとよく混ぜて食べる。

大阪の「自由軒」の最初から、カレーのルーとライスを混ぜ合わせたカレーとはまた違う楽しさが醸し出されるカレーの食べ方だと思う。

辛いカレーが、卵の黄身で「まろやかな味」になり、口の中に広がってくる。最高である。

話は違うが、会社の近くに美味しい「タンタンメン」を出す店がある。昼時は行列が出来るほどの人気店である。その店のカウンターに「卵」が置いてある。これが「有精卵」なのである。僕は、この「有精卵」が食べられない。中で、「ヒヨコ」になっていて、「ヒヨコの眼」とかが見えたら、きっと卒倒してしまう。いつも一緒にその店に行っていた先輩は必ずその「有精卵」を何の抵抗感も無く食べていた。僕は、そういうところを尊敬する。
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「かき氷」

2005年08月25日 | 料理・飲み物・食べ物
ダイエット中にも関わらず、昨日、「イチゴミルクのかき氷」を食べてしまった。市民プールとかで泳いで、程よく疲れた時、暑い日差しの中で食べる「かき氷」は美味しい。子供達も大喜び。
「かき氷」ができると言う事は、「水がきれい」という事だろう。インド゛やアフリカで「かき氷」があったとして、それを日本人が食べたら、きっと、お腹を下してしまうだろう。

あのように、「氷」というものを削って、山の様にして食べると言う習慣は、日本独特のものだろうか。日本独特のものだとしたら、いったいいつ頃から「かき氷を食べる」という行為が行われ始めたのだろう。それを考えると、夜も眠れない。
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「喫茶店」は海外に無いのだろうか?

2005年08月25日 | エッセイ・日記・意見
日本ほど、「喫茶店」が多い国は無いだろう。海外に行って、疲れて、コーヒーでも飲もうと思っても「BAR(バール)」とかに入らないと飲めない。「ドトールコーヒー」とかは、日本が発祥の地なのだろうか。
東京で言えば、「ルノアール」。時が止まった様な空間に、仕事をサボった営業マンが寝てたりしている。

でも、良い喫茶店は少なくなった様に思う。新宿・池袋の「滝沢」も閉店。大阪・梅田にも、「田園」というエレベーターで生演奏をするバンドが上がって来る「日活映画」のセットの様な喫茶店があり、大学時代は、一次会は「たよし」で飲んで、よく「田園」に流れたものだった。四階建て位で、キャパが大きく、ちょうど、飲み会の大人数でも収容できる大きさだった。

いろんな国に行ったが、ハンバーガーショップの様な所はあったが、「純喫茶」の様なお店は見当たらなかった。
やはり、単価で行っても、コーヒー類だけでは、余程立地条件が良くないと、儲からないのかもしれない。
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「AVID」という編集システム

2005年08月24日 | テレビ番組
AVIDというシステムをご存知だろうか。昔は、ドラマでもバラエティーでも、オンライン編集と言って、放送テープと同じテープで「荒い編集(荒編)」をやり、それをまたダビングする形で、本編集をやって、尺を合わせて放送していた。
このシステムの欠点は、今と違ってアナログテープなので、画質が落ちる事。また、「荒編」終わりでもう一度直す場合は、もう一回ダビングしなければならない事だった。

AVIDというシステムは、それを解消してくれた。まず、ドラマ等で収録した「映像と音声」をすべて、ハードディスクに取り込み、コンピューター上で、「データで編集」をしてしまうのだ。
あのハリウッド映画でさえ、今は、撮影したフィルムをこのAVIDというシステムに一旦取り込み、データで編集をし、そのデータを使って、フィルムを編集している。

AVIDの良い所は、どの箇所でも、パソコンの「ワード」と一緒で、「挿入」「貼り付け」「削除」「移動」「コピー」等の作業が瞬時にできる事である。放送時間の尺もすべて、コンピューターが計算してくれる。
ダビングして編集しないので、「画質」が落ちる事も無い。本当に便利な時代になつたものだ。しかも、「本編集」をする部屋を借りるより、格段に安い金額で「AVID」の部屋は借りられるのだ。だから、昼の連続ドラマなどでは、「AVID」で編集し、「本編集」では、ダビングするだけで済ませ、予算の削減を図っている。

オーバーラップもできるし、簡単なテロップを入れてみる事もできる。僕がテレビ界に入った時、2インチVTRを使用していて、編集でも「早送り再生できない」という様な状況だった事を考えると隔世の感がある。

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「そのあたま、どうされたんですか?」

2005年08月24日 | エッセイ・日記・意見
僕の先輩で、大阪で仕事を一緒にしていた時期は、髪にパーマをかけ、フサフサだった人が、年齢がいくに従い、髪の毛が後退していった。僕も人のことが言えず、歳と共に、髪の毛は減っているが・・・。

その先輩とドラマで一緒だった女優さんが東京で先輩に久しぶりに会った時の事。
「××さん、そのあたま、どうされたんですか?」
と、マジで訊いてしまった。周りは「引きまくった」。

僕自身は、髪の毛や洋服に関して、ほとんど関心が無いので、ハゲようがどうしようが全く気にならないのだが、世の中には、気になる人が多いものである。その先輩が気にするタイプかどうかはしらないが、カツラメーカーがあれだけCMを放送しているところを見ると、ハゲになるのは嫌な人が多いらしい。なおかつ、その事実を隠したい人も多いのだろう。

でも、一言だけ言わせて貰えば、カツラを被るなら、多少の予算をかけて欲しい。誰がどう見ても、安~いカツラをして、カツラと地肌の間から、暑い時など、汗を流している人と仕事をする事がある。目線を向けられないのである。

また、カツラでなくて、黒い粉をハゲた部分に振りかけている人もいる。こういう人は、汗をかくと、「黒い汗」になって、流れ落ちてきたりする。注意も出来ない。目線も向けられないという状態になる。これも勘弁して欲しい。

でも、「髪の毛が薄くなる事」で悩んでおられる方も多いのだから、その人の身になって考えてみないと分からないのかもしれない。
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「HOT DOG PRESS」

2005年08月24日 | 本・雑誌・漫画
20年以上前、講談社の「HOT DOG PRESS」の編集部を取材した事があった。当時「HDP」のライバル誌は、マガジンハウスの「POPAYE(ポパイ)」だった。売り上げでは、「HDP」の方が上だった。
その理由を聞いてみると面白い事を教えてくれた。「HDP」という雑誌のコンセプトは、「モテナイ若い男性がどうすれば、デートできるか・・・等、モテナイ男性向け」にしていたのだ。「ポパイ」は、「モテル男性向け」。
世の中の摂理で、若い男性をこの二つのカテゴリーに分けると、「モテナイ男性」が圧倒的に多い事は明らかだ。

当時の「HDP」の記事は、どこにデートに行って、車の中では、どんな歌手の曲をかけて・・・等、デートのマニュアルが事細かに載っていた。

今は、どんな記事が載っているのだろう。
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いつまで経っても「師弟」は「師弟」。

2005年08月24日 | 笑い
横山やすしさんが、御存命の時代、漫才番組で、「横山ノック・やすし」の師弟漫才を収録した事がある。
あの「暴れん坊」のやすしさんが、師匠の「横山ノックさん」の前では、「ツッコミ」も、ちょっと遠慮がちなのが、とても師匠愛を感じて、可愛らしかった。特に、大阪の芸人の世界では、師弟はもちろんの事、芸暦が一年でも長い先輩には気を使う。
上岡龍太郎さんが、局のロビーで打ち合わせしている時、「かしまし娘」の末っ子・花江さんが、ロビーを通りかかっただけで、打ち合わせを中断して、立ち上がり、頭を下げられたのには、びっくりした。当時の上岡さんは東京にも進出し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その上岡さんが「礼」を尽くされている姿は、とてもすがすがしいものに感じた。

藤山寛美さん、ミヤコ蝶々さん、亡き後、大阪の芸能界ではやはり、「かしまし娘」さんが芸暦でもトップになるのだろう。いとし・こいしのいとしさんもお亡くなりになった事だし。
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「フレンチトースト」が食べたい!!!

2005年08月24日 | 料理・飲み物・食べ物
「フレンチトースト」が食べたい。食パンを牛乳と卵と砂糖をかき混ぜたものに浸して、フライパンで焼く料理である。
しかしながら、うちの子供達は三人とも「アトピー」なので、肝心な材料である「牛乳」と「卵」が食べられない。食べると、病院に緊急入院する事になりかねない。
僕も「アトピー」だが、僕がまだ実家で暮らしていた当時は、「アトピー」はメジャーな病気では無かった。だから、当たり前の様に「フレンチトースト」を食べていた。
ちょっと、硬いパンの耳。薄く黄色に焼きあがって、ほんのりと甘いあの味。単純に懐かしい。

うちの、母の叔父の家に行くと、料理は必ず、いい肉を使った「すき焼き」だった。すき焼きの牛肉を卵で食べる時の「美味しい事、美味しい事」。
今、うちは「牛肉」も食べられない。つまり、「乳製品」だからである。

大阪・ミナミの「はり重」の「すき焼き」は値段は高いが、味は抜群。ダイエット中なのに、食べ物の事ばかり考えている僕。また、リバウンドが来そうである。
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「生・勝新太郎」と会った日。

2005年08月24日 | エッセイ・日記・意見
大阪でドラマを制作していた時、勝新太郎さんと中村玉緒さんの長男・奥村雄大君にドラマデビューして貰った事がある。

僕は当時、アシスタント・プロデューサーで、スタッフルームで、俳優さんの東京-大阪のチケットや宿泊の手配を一人でしていた。スタジオで収録が行われていたので、僕一人が仕事と電話番をしていた。

そこに、あの「勝新太郎」が息子を連れて、乱入してきたのである。少し赤ら顔だったから、お酒を飲まれていたのかもしれない。

僕しかいないスタッフルームの一角で、息子に「芝居の指導」をし始めたのである。勝新太郎からはオーラが出ていた。僕は、そこに誰もいないかの様に、仕事に没頭するフリをしていた。
「勝新太郎」の控室はいるのだろうか・・・などと意味不明な事が頭をよぎったりした。
生で見る「勝新太郎」。迫力があった。やっぱり大スターだった。僕にとっては、とてもいい想い出になっている。「人間からオーラというものが出る」という事も体感した。貴重な体験だ。
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「パンの耳」で作ったお菓子

2005年08月24日 | 料理・飲み物・食べ物
子供の頃、サンドイッチを作った残りの「パンの耳」を油で揚げて、砂糖をまぶして、母が出してくれた「お菓子」の美味しさが忘れられません。カラッと揚がったところと、油っぽくて甘い、ジメッとしたところのハーモニーが素晴らしくバランスが良かった記憶があります。

その後、何度も「作って欲しい」とせがんだのですが、「脂っこくて、体に悪い」と母はいい、数回しか作ってくれませんでした。
「パンの耳」もあんなふうにして、「ラスク」の様な味で食べると本当に美味しいものです。

あんな風に、「パンの耳」を「お菓子」にしていたのは、うちの家だけだったのでしょうか?「貧乏」だったという記憶もなく、かと言って、「金持ち」では絶対無い家庭だったのですが、皆さんの家庭でも、昭和40年頃、そんな風に、「パンの耳」を「お菓子」にしていませんでしたか。
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ある国の王様のお話・・・。

2005年08月24日 | エッセイ・日記・意見
ある国に、王様がいました。その王様は、美味しいものとお酒が大好きで、食事は有名レストランやホテルで、お酒は毎晩、煽る様に飲んでいました。
もちろん、王様の移動は専用の車。運動もしないで、そういう生活を続けていた王様の体は次第に大きく膨れ上がってきました。

但し、距離の短い宮殿の中は、しばしばウロウロされ、周りはそれに気を使い、毎日、家来達は夕方には疲れ切るのでした。
王様はいつも、宮殿の廊下をまっすぐ前を向いて歩き、家来達は王様が近づいて来ると、廊下の端に体を横にして、王様の歩きを妨げない様に、努力の限りを尽くしました。またある時は、王様のガウンが家来の執務椅子に引っかかり、家来が椅子ごと回転するという騒ぎも起こったりしました。

それでも、王様はどんどんどんどん大きくなり、執務室の周りには、資料がうず高く積み上げられ、やがて自分の部屋から出る事もできなくなり、それでも食べ続け、その体はベッド全体を占める程になったという事です。

家来の一人があまりの事に心配し、王様の体を「針」でちょっと、つついて見ました。王様の体から、勢いよく、老廃物が飛び出し、その勢いで、王様は宮殿の窓から飛び出し、空をクルクルと飛び回る事になってしまいました。

そして、スリムになった王様は、国民に信頼され、美食も酒も絶ち、ちゃんと仕事をする様になりましたとさ・・・。

会社の中で見ていると、「本当に外の人と闘いながら、一生懸命働いている人」と、この王様の様に、「本当に働かない人」の二つの種類の人間に分けられると思います。もちろん、その中間の人達もたくさんいますが。
「働かない人」の「働かなさ加減」は凄いです。どこの会社でもいるのでしょうが。ちょっと童話にしてみました。
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「ドカ食い」してしまった!!!!!

2005年08月23日 | 料理・飲み物・食べ物
今日、昼食で突然、「ドカ食い」がしたくなった。
大阪で言えば、「京都王将」の様な「チェーン店の中華料理店」で、「チャーハンの大盛り」と「冷麺」を頼んでしまった。
昨夜、仕事関係でワインをしこたま飲み、「二日酔い」気味で、たくさん食べる事でそれを解消しようと思ったのだ。

その結果、今でも胃がもたれている。折角体重が80キロ台になったというのに・・・人間は何故こうも意思の弱いものだろう。

明日から、家族は二泊三日でキャンプに行く。25人参加という大所帯だ。
僕も「夏休み」が取りた~い。ほとほと、コンクリートジャングルには、飽きてきた。

明日の晩から、彷徨える夕食の日々。大阪から単身赴任で来ている後輩と身近なグルメツアーにでも行こうかと思っている。
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間寛平さんと峰竜太さんの事。

2005年08月23日 | テレビ番組
間寛平さんとは、深夜番組のプロデューサーとして、一年半程、一緒に番組作りをしました。明石にも和歌山にも鹿児島にも行きました。深夜なのに、無謀にも「生放送」をやってみたりと、きつい事もあったけれど、楽しい番組でした。

それゆえか、東京のキー局の廊下やスタジオで会っても、いつも声をかけて下さいます。ある時等は、二人で話し込んで、番組の本番収録が始まっているのに、寛平さんがまだ僕と廊下で話していたという事がありました。

峰竜太さんとは、大阪でドラマ制作をしている時、レギュラーで出演して貰い、東京に来ても、半年か一年に一回お会いする度に、親しく話しかけて頂き、大阪で御一緒したドラマの収録がハードだったので、僕にとっては「戦友」(失礼な言い方で無ければ)の様に感じています。

番組作りは、人と人の繋がりでできるもの。現場を離れてみて、今それをしみじみと感じています。
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笑福亭鶴瓶さんの事。

2005年08月23日 | テレビ番組
笑福亭鶴瓶さんとは、一本だけ、特番を御一緒しました。
初めてお会いする打ち合わせが、今は無き、ホテルプラザの一階の喫茶店だったと思います。当時の鶴瓶さんは、毎日放送で、「突然ガバチョ!」、OBCで「ぬかるみの世界」をやられていて、お会いする前から、めっちゃ緊張しました。僕がディレクターデビューした年に作った番組でした。

僕が緊張して座っていると、僕の腰の横の「肉」を鷲づかみにする人が・・・それが鶴瓶さんとの初コミュニケーションでした。温かい手でした。僕の緊張を和らげようとされたのかも。

番組自体は、鶴瓶さんの事が良く分かっている鶴瓶さんの事務所のディレクター達の助けを借り、結構面白いものが出来たと思っています。

数年後、局でお会いした時、一本しか番組をやっていない僕に、「○○ちゃん、元気してるの?」と優しく声をかけて下さり、とても感激した想い出があります。

一緒に仕事した人に、時間が経って、憶えていて貰えるのは本当に幸せ者だと思いました。
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