刀 岩代国住兼定
刀 岩代国住兼定明治三年二月日
刃長二尺二寸五分、反り四分。明治に入ってからの、十一代兼定の作だが、作風は前回紹介した刀によく似ている。元先の身幅は尋常に重ねも鎬で二分三厘だから扱い易い体躯に仕上がっている。柾目鍛えの地鉄に焼幅のやや浅めな直刃出来。匂と小沸の刃文は明るく冴えており、刃境にほつれ掛かり、鋭い金線が刃縁を切って流れている。寸が伸びた帽子は小丸返りで、先がわずかに掃き掛けている。
兼定は明治に入って以降も作刀を続けていたことは、遺されている作品によって知ることができる。一方秀國は、明治に入り廃刀令後は槌をおいているようだ。この頃で六十歳だから、まだまだ作刀は可能であったと思われる。時代を感じたものだろうか。あれだけ、試し切りを通じて斬れ味の高い作品を生み出す研究をしていた秀國が作刀を止めてしまった理由は、いったいどこにあったのだろうか。とても興味がある。そして、今に遺されている秀國の作例は貴重であることも述べておきたい。そう、4月末頃から、京都の霊山資料館で展示されている土方歳三が所持した大和守秀國の刀は、資料の上からも確かめられている遺品であることも加えて紹介しておく。
刀 岩代国住兼定明治三年二月日
刃長二尺二寸五分、反り四分。明治に入ってからの、十一代兼定の作だが、作風は前回紹介した刀によく似ている。元先の身幅は尋常に重ねも鎬で二分三厘だから扱い易い体躯に仕上がっている。柾目鍛えの地鉄に焼幅のやや浅めな直刃出来。匂と小沸の刃文は明るく冴えており、刃境にほつれ掛かり、鋭い金線が刃縁を切って流れている。寸が伸びた帽子は小丸返りで、先がわずかに掃き掛けている。
兼定は明治に入って以降も作刀を続けていたことは、遺されている作品によって知ることができる。一方秀國は、明治に入り廃刀令後は槌をおいているようだ。この頃で六十歳だから、まだまだ作刀は可能であったと思われる。時代を感じたものだろうか。あれだけ、試し切りを通じて斬れ味の高い作品を生み出す研究をしていた秀國が作刀を止めてしまった理由は、いったいどこにあったのだろうか。とても興味がある。そして、今に遺されている秀國の作例は貴重であることも述べておきたい。そう、4月末頃から、京都の霊山資料館で展示されている土方歳三が所持した大和守秀國の刀は、資料の上からも確かめられている遺品であることも加えて紹介しておく。