刀 和泉守國貞
刀 和泉守國貞
昔からこの草書銘の國貞は、初代の子供の真改が製作したと言われている。初代の晩年は、体調を悪くして作刀できなかったと言われている。もちろん江戸時代のことだから、次代を担う子や弟子がその代作に当たるわけで、即ち、この草書銘の刀は真改が造ったものだというのである。意見は様々で、まだ真改には作れないとか、反論もある。後の真改の作刀を見る限り、真改は天才であり、子供のころから高い技量を示していた。また、作刀は一人で行うものではなく、合い槌がなければ鍛えられない。即ち、すべてを真改が代作したのではなく、作刀協力の筆頭に真改がいたと考えれば、充分すぎるほどに納得できる。とにかく、初代國貞の作としても、若い頃の真改、即ち二代目の國貞の手が、「多少とも」から「かなり」まで幅はあるが、加わっていたと考えたほうがいいだろう。とても面白い作であり、作例が頗る少ないことから古来数奇者垂涎の的となっている。焼き幅が広いために地鉄の様子が分かり難いのだが、地鉄は良く詰んだ小板目肌に板目と杢目が交じり地景がこれに加わって肌立つ感がある。力が感じられる地鉄であり、それが故に刃中の働きも活発だ。刃文は小沸出来に互の目湾れ。とにかく後の真改の作にみられるような深い沸出来で、刃先近くまで淡く沸が広がり、この中にほつれ、砂流し、沸筋が働いている。総体が健全であり、研ぎ減り少なく区深く、生ぶ刃がわずかに残されている。帽子は先にわずかに掃き掛けを伴う小丸返り。□
刀 和泉守國貞
昔からこの草書銘の國貞は、初代の子供の真改が製作したと言われている。初代の晩年は、体調を悪くして作刀できなかったと言われている。もちろん江戸時代のことだから、次代を担う子や弟子がその代作に当たるわけで、即ち、この草書銘の刀は真改が造ったものだというのである。意見は様々で、まだ真改には作れないとか、反論もある。後の真改の作刀を見る限り、真改は天才であり、子供のころから高い技量を示していた。また、作刀は一人で行うものではなく、合い槌がなければ鍛えられない。即ち、すべてを真改が代作したのではなく、作刀協力の筆頭に真改がいたと考えれば、充分すぎるほどに納得できる。とにかく、初代國貞の作としても、若い頃の真改、即ち二代目の國貞の手が、「多少とも」から「かなり」まで幅はあるが、加わっていたと考えたほうがいいだろう。とても面白い作であり、作例が頗る少ないことから古来数奇者垂涎の的となっている。焼き幅が広いために地鉄の様子が分かり難いのだが、地鉄は良く詰んだ小板目肌に板目と杢目が交じり地景がこれに加わって肌立つ感がある。力が感じられる地鉄であり、それが故に刃中の働きも活発だ。刃文は小沸出来に互の目湾れ。とにかく後の真改の作にみられるような深い沸出来で、刃先近くまで淡く沸が広がり、この中にほつれ、砂流し、沸筋が働いている。総体が健全であり、研ぎ減り少なく区深く、生ぶ刃がわずかに残されている。帽子は先にわずかに掃き掛けを伴う小丸返り。□