日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

短刀 綱家 Tsunaie Tanto

2016-05-12 | 短刀
短刀 綱家


短刀 綱家

 刃長一尺二分、反り六厘。平造の脇差とも言い得る武器だが、使用方法からは寸伸び短刀であろう。かなり位の高い武将の具足に備えられ、戦場で重宝されたもの。物打辺りに実用の痕跡がある。地鉄の出来が頗る良い。杢目を交えた板目鍛えの地鉄は躍動的に、しかも密に詰み、焼き入れ温度の高い焼刃ながら肌荒れなく、むしろしっとりとした質感さえ窺える。地沸が厚く付き、しかも飛焼と棟焼が加わって刀身中程より上は皆焼となっている。互の目の刃文は丸みを帯びて足が長く入る傾向にあるも、所々焼頭が角のように尖る部分があり、相州刀工の特質を示している。焼刃は小沸と匂の複合からなり、一段と明るく冴えている。刃縁から沸ほつれが刃中に広がり、細い金線を伴う砂流しとなって足を横切っている。帽子も調子を同じくして沸強く掃き掛けて乱れ返る。刀身彫刻が刀身の中程を過ぎるほどに大振りに施されるのも相州刀の特徴である。



平造脇差 相州住康春 Yasuharu Wakizashi

2016-05-11 | 脇差
平造脇差 相州住康春


平造脇差 相州住康春

 室町後期天文頃の作。刃長一尺一寸八分、反り三分強。太刀や刀の添え差しとされた手頃な寸法の武器は、このような姿格好となった。かなり反りが深い。物打辺りもたっぷりとしているが、刃先は鋭く仕立てられている。刃の通り抜けの良い截断には頗る適した造り込みだ。戦国時代に隆盛した美濃刀工にも多く見られる。杢目が交じった板目鍛えに地沸が厚く付いて地の色合いにも濃淡変化があり、これを切り裂くような太い地景が肌目に沿って走る。杢目の部分では渦巻のように。とすれば叢付いた地沸は水飛沫か・・・。凄い景色だ。刃文は丸みのある互の目が大小連なり、刃境に沸が付いてほつれに伴い、刃中に沸のほつれと砂流しが層を成して流れ掛かる。帽子は美濃物の地蔵風に刃採りしてあるが強く沸付いて掃き掛けて返っている。顕著な飛焼はなく、湯走りが地中を流れるように連なり、棟焼は浅く穏やか。
 このタイプの武器を脇差に分類しているが、これも江戸時代の登城用の大小に用いられる脇差とは異なる。脇差というと、登城用大小の小、即ち一寸五、六寸ほどのものをイメージするが、それに比較して一尺二寸、三寸の脇差は実に扱い易い武器だ。戦場で重宝されたが故に戦国時代以前には盛んに製作されたが、江戸時代も降ると急激に減る。武器を寸法で区分すべきではないのだ。




刀 正清 Masakiyo Katana

2016-05-10 | 
刀 正清(相州)

 
刀 正清

 わずかに磨り上げられて二尺を切る寸法だが、元来は二尺強の片手打ち、現代では、法律上、あるいは鑑定書などに記載する上で便宜上脇差に分類されるが、もちろん戦国時代にも、江戸時代に入ってもなお、片手打ちの頗る扱い易い「刀」として重宝されたもの。製作の時代は室町中期の明応頃。適度な身幅に鎬が張り、反り格好も操作性を考慮したもの。「片手打ち」とはよく使われる言葉だ。寸法による刀の区分のしかたともちょっと違うが、大まかに言うと、二尺前後の刀のことで、両手で構える大きな刀に比較して、片手で扱うことを想定した、操作性に富んだ刀のこと。近年、誰が言い出したのか、「定寸」なる表現がある。実戦的な刀に定寸などありえないわけで、あるとすれば江戸時代前期、登城する際に備える大小を、大は二尺三寸前後、小を一尺五、六寸としたことによる寸法のことだ。この寸法は、平和な時代のもの。使うことを考えたら、自らの身体に応じた寸法を用いるに限る。戦国時代の相州鍛冶の多くは片手打ちの刀を製作している。殊のほか多い。これが相州鍛冶の特徴であるとでも言いたいほどに多い。備前刀にも多々ある。高級武将が用いた最高級の出来の片手打ちがある。片手打ちを軽んじる先生もいるが、決して駄作ではないのだ。
 この刀が良い例で、頗る出来が良い。腰元に彫物がある。地鉄は良く詰んだ板目鍛えで、地沸が付いて湯走りも顕著。肌立つ感は截断を考慮したもの。刃文は尖刃を交えた互の目で、焼深く、時には鎬地を越し、所々が角のように左右に開き、刃中には沸足が盛んに入る。刃縁に沸が付いて湯走りと感応し合うが、顕著な飛焼にはなっていない。特筆すべきは帽子に焼かれた玉であろう。古くから「剣相」がある。人相と同じように刀の見方のひとつで、刃中に玉がある刀は相が良いとする物。その認識を伝えているのが江戸時代の三品派で、ふくら辺りに玉を焼いた例が間々みられる。面白い文化の一つである。
 

 

刀 相州住廣正 Hiromasa Katana

2016-05-09 | 
刀 相州住廣正


刀 相州住廣正宝徳三年

 相州本国の刀工の活躍は、幕府が京に移されたことによって次第に低迷してゆく。だから室町前期から中期の相州鍛冶の作は少ない。後期に至って相州小田原で北条氏が力を持つようになり、その下での作刀が盛んになる。廣光からだいぶ降ったころのことだ。その作風を受け継いでいる一人が廣正。相州鍛冶は彫物も上手であり、多くの作にみられる。刀身中程に至るほどに大振りの彫り物を特徴とする。激しく揺れ動くような板目に杢目が交じり、地沸が厚く付いて地景も顕著。その所々に飛焼が澄んで現れている。杢目に感応しているところは渦巻のように流れ、棟焼とも働き合っている。焼刃は沸と匂を巧みに調合したもので、沸のみの作風とは異なって折損への配慮も怠りがない。刃中は鍛え目に沿って沸が付き、砂流しが流れ、その合い間を金線が走る。肌目は刃境を越えて地中に至り、地刃の境界など問題でないような景色を展開している。帽子は火炎状に激しく乱れて返る。



平造脇差 相州住廣光 Hiromitsu Wakizashi

2016-05-07 | 脇差
平造脇差 相州住廣光


平造脇差 相州住廣光

 相州刀工の本流、正宗と称される刀工のあとを継ぐ相州の代表刀工廣光の作。刃長一尺二寸七分、反り二分五厘。ほんのわずかに区が送られているが、総体に健全度が高い。身幅広く、中間の反りは控えめに先反りが付いている。物打辺りに張りがあり、見るからに豪壮な造り込みだ。地鉄にも迫力がある。杢目を交えた板目肌に地沸が厚く付き、地景が地沸を分けるように肌目を際立たせる。沸の濃淡で地中にも景色があり、その所々に澄んだ飛焼が現れて相州物の特質を示している。刃文は不定形に乱れた互の目で、所々が尖り調子に地に深く突き入り、湯走りや飛焼に感応し合って地中の景色を活性化している。刃中は沸深く強く、刃先近くまで沸が乱れ、その中に和紙を引き裂いたようなほつれが掛かり、金線が稲妻の如く走る。地中の景色が刃中にまで及んでいるのが良く判る。沸の強い帽子は火炎風に乱れて返る。

刀 末左 Sue-Sa Katana

2016-05-06 | 
刀 末左


刀 末左

 最近、公益財団法人日本美術刀剣保存協会では、鑑定における「末左」についての正しい解釈の仕方を説明している。末~という表記は、末備前、末関と称するように、専ら室町時代中期から後期の作についての時代的呼称と捉えられる気風があったが、左文字一門の作については時代観が異なるとしている。これまで、左文字一門で誰とも断定できない作には単なる「末左」であったが、今後は「末左 大左一門」と表記することになったのである。即ち末左については、末備前や末関とは時代背景が異なり、室町時代の降った作ではないということである。
 今回紹介する刀も、以前の極めであることから「末左」とのみ表記されているが、左文字一門の南北朝期の作に他ならない。作品を見るからに、誰とも個銘は極められないものの名品であることは間違いない。強みのある杢を交えた板目鍛えの地鉄に地沸が付いて太い地景が際立って躍動感に満ちており、この地鉄が表わしている景色だけでも感動に価する。刃文は不定形に乱れる中に尖り調子の互の目が交じるなど、すべてにおいて南北朝後期の作であることが判る。刃中は小沸の粒子が揃って動きがあり、沸が流れ砂流し金線を伴うほつれが刃中に広がる。変化に富んだ出来である。□

脇差 左弘行 Hiroyuki Wakizashi

2016-05-02 | 脇差
脇差 左弘行


脇差 左弘行

 弘行極めの大磨上無銘。この弘行も左文字の孫弟子に当たる位置付け。刃長一尺五寸九分。南北朝中期という時代にはこの寸法の鎬造脇差はない。寸法から、古刀の名品を大小で揃えたいと願った高位の武家が、古作を磨り上げるという大胆な行為で脇差を造り出したもの。実はこのような例は間々ある。贅沢な所業だ。さて、南北朝中期の大太刀を磨り上げた姿形が顕著なこの作は柾目肌が強く、左の一門にもこのような出来があるのかと、改めて見直してしまう。刃文は穏やかで小模様な互の目を交えた直刃。左一門の特徴である揺れて返るという帽子がポイントのようだ。

刀 左弘安 Hiroyasu Katana

2016-05-01 | 
刀 左弘安


刀 左弘安

 磨り上げられて二尺三寸五分。元来は二尺七、八寸の大太刀。元先の身幅がほとんど変わらないような印象は、南北朝中期の典型的姿格好。三寸を超える大鋒も特徴的で、迫力を増大している。左文字の弟子行弘の弟子、即ち孫弟子に相当する。地鉄は板目に杢を交えて流れるような景色。微塵な地沸が全面を覆い、肌目に沿って地景も顕著。ここに小沸の綺麗な刃文が焼かれている。左文字あるいは左文字の弟子と違うのは、互の目の構成がより明瞭になっているところ。帽子は刃文のままに乱れて先が揺れて掃き掛け焼詰めとなる。
作品の評価において「初代に比較して弟子は作為が劣る」「AはBに比較して品位が優る」などと言われることがある。もちろん極端に下手な刀工は別として、名作を残している刀工について、このような評価はないだろう。何も、無理して初代とその弟子の違いをこのような言葉で分ける必要はない。作品の特徴を示して違いを説明すればよいだろう。江戸時代の鑑定の方法を踏襲した、悪習の一つだ。例えば刃文構成が判らない乱れの中から次第に互の目や尖刃が現れてくることが、劣ることなのか。決してそうではない。板目鍛えが明瞭な古刀期の地鉄から次第に小板目鍛えの均質な新刀期の地鉄が出来上がるのが刀の劣化なのか。そうではないだろう。時代に応じて刀工は新たな、しかも良く斬れて美しい刀を創出する努力をした結果がそれらであろう。好き嫌いという好みの問題と良し悪しを混同した陳腐な評価に惑わされてはならない。