日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 小左衛門行平 Yukihira Katana

2016-09-09 | 
刀 小左衛門行平


刀 小左衛門行平

 平成十年の作品。二尺三寸九分強、反り八分弱。相州伝に通じ、古い鉄を利用して古作に近付こうと研究しているのが宮入行平刀匠だ。長野県坂城町に鍛刀場を持ち、同町の「鉄の博物館」では作刀の画像を流している。かなり詳しく紹介している。この刀の彫刻は、現代の刀身彫刻では最高位に位置する仙壽師になる。美しく詰んだ地鉄に沸を主体とした湾れ互の目の焼刃、刃中に流れるような金線を伴う砂流しなどの働きは、完成度の高い相州伝に他ならない。密に詰んでいるが故に肌目は良く分からないが刃縁の流れる様子から板目鍛えで、刃寄り柾状に流れているようだ。微細な地沸が付き、それが強い湯走りや飛焼になっておらず、総体に穏やかな表情。帽子は先端に沸が強く流れて火炎状に返る。



脇差 越後守包貞 Kanesada Wakizashi

2016-09-08 | 脇差
脇差 越後守包貞


脇差 越後守包貞

前回と同じ二代目越後守包貞の脇差。刃長 一尺五寸強、反り四分の、式正の大小揃いとされたものであろう、その小刀。身幅たっぷりとして重ねも厚く堂々としている。地鉄は極めて細やかに、しかも均質に詰んだ小板目肌で、地沸も均一に付き、大坂地鉄の美点を良く追及した結果が窺える。直焼出しから始まる互の目の刃文は、二つ三つの連れた大互の目に房状の小丁子を交えて変化を持たせ、帽子は端正な小丸返り。とにかく明るい沸が魅力。沸深く刃中に広がり、冴え冴えとしている。このように華やかながら斬れ味も優れているのが大坂新刀。式正の大小は、登城の際に帯びるもの。即ち使用してはならない武器だ。でも、斬れなければ武器ではない。戦がなくなり、実用の機会がおそらくないだろうと考えているとはいえ、また美観に重点が置かれるようになったとはいえ、刀工は斬れ味を突き詰めるべく、時には試断家にその性能判断を委ね、結果を作刀に活かしていた。□



刀 越後守包貞 Kanesada Katana

2016-09-07 | 
刀 越後守包貞


刀 越後國包貞

 二代目越後守包貞の大互の目出来の刀。大坂新刀の多くが相州伝を基礎としている。だが、こうなるとちょっと分かり難い。もっとも、國廣にせよ真改にせよ、助廣にせ、「特伝」と呼ばれている。相州伝が基礎にあるものの、それらしさが新刀地鉄によって明瞭でないところからの、新たな作風と考えられたもの。この刀においても、地鉄は小板目肌が緻密に詰んで地沸が付き、刃文は粒が揃って深々とした沸主調の出入の激しい互の目。刃中に砂流し、沸筋、金線が流れる。互の目が、助廣などとは異なって頭が横に展開して耳形になるところ、あるいは角張るところが窺えるのだが、ここなどに個性を出そうとする刀工の創造意識が窺える。姿格好は時代を反映して反りが少なく直線的。



脇差 井上和泉守國貞 Kunisada Wakizashi

2016-09-06 | 脇差
脇差 井上和泉守國貞


脇差 井上和泉守國貞

 二代目國貞、即ち後に真改と改銘した國貞の作。刃長一尺七寸。式正の大小揃いと考えると、ちょっと長い。大坂の商人が、良い地鉄をふんだんに使用させて製作させた脇差であろう。緻密に詰んだ小板目肌に沸の深々とした湾れ互の目の刃文が焼かれた極上の作。粒起った沸の様子がわかるだろうか、研磨によって刃境の沸が目に飛び込んでくるが、これが地中に湯走り状に広がり、刃中には刃先近くまで沸が厚く広がっており、これが明るく冴えている。写真で見えているのはほんのわずかの部分だ。ライトを調節して光を反射させて観察すればその沸の深さが分かり、真改國貞の本質を知ることができるだろう。何度も言うが、刀は手に取ってみなければわからないのだ。刃文を構成している沸は、一様ではなく、ほつれが加わり、砂流しをふくみ、金線がこれを切って流れている。



刀 和泉守國貞 Kunisada Katana

2016-09-05 | 
刀 和泉守國貞


刀 和泉守國貞

 昔からこの草書銘の國貞は、初代の子供の真改が製作したと言われている。初代の晩年は、体調を悪くして作刀できなかったと言われている。もちろん江戸時代のことだから、次代を担う子や弟子がその代作に当たるわけで、即ち、この草書銘の刀は真改が造ったものだというのである。意見は様々で、まだ真改には作れないとか、反論もある。後の真改の作刀を見る限り、真改は天才であり、子供のころから高い技量を示していた。また、作刀は一人で行うものではなく、合い槌がなければ鍛えられない。即ち、すべてを真改が代作したのではなく、作刀協力の筆頭に真改がいたと考えれば、充分すぎるほどに納得できる。とにかく、初代國貞の作としても、若い頃の真改、即ち二代目の國貞の手が、「多少とも」から「かなり」まで幅はあるが、加わっていたと考えたほうがいいだろう。とても面白い作であり、作例が頗る少ないことから古来数奇者垂涎の的となっている。焼き幅が広いために地鉄の様子が分かり難いのだが、地鉄は良く詰んだ小板目肌に板目と杢目が交じり地景がこれに加わって肌立つ感がある。力が感じられる地鉄であり、それが故に刃中の働きも活発だ。刃文は小沸出来に互の目湾れ。とにかく後の真改の作にみられるような深い沸出来で、刃先近くまで淡く沸が広がり、この中にほつれ、砂流し、沸筋が働いている。総体が健全であり、研ぎ減り少なく区深く、生ぶ刃がわずかに残されている。帽子は先にわずかに掃き掛けを伴う小丸返り。□




脇差 和泉守國貞 Kunisada Wakizashi

2016-09-03 | 脇差
脇差 和泉守國貞

 
脇差 和泉守國貞

 刃長一尺四寸強、元先の身幅広く、寛永まで降っているのだが、前時代の造り込みの特徴が残っている。國貞は國儔に作刀を学んだ。地鉄は大坂地鉄と呼ばれるような小板目肌の良く詰んだもので、微細な地沸が付き、洗練味がある。詰んだ中に地景が窺えるというのも國儔の特徴を受け継いでいるところ。刃文は形状のはっきりとした互の目に湾れ。刃境に沸が付いて刃中に広がり、刃文はふっくらとしている。この中に沸が流れほつれ、砂流し、金線が窺える。帽子は小丸返りだが先端がわずかに流れている。次第に新刀の特質が鮮明になってきている。


 

名刀について考えてみた

2016-09-03 | その他
先日の「名刀の条件とは」のこたえになるだろうか
こんなこと聞きたいんじゃないよと言われるかもしれないが・・・

 日本刀は武器だから、折れやすい刀、切れない刀は敬遠される。もちろん刀工は、武器としての日本刀が登場した頃から「折れず曲がらず良く斬れる」を研究し、この短いフレーズの中に潜む矛盾を克服するために、性質の異なる素材(炭素量の違いなど)を複式に組み合わせることを見出し、完璧とは言わないが成功した。
 ところが元来の日本刀は、武器というより武士の象徴としての存在であった。武器としての機能は薙刀などに比較して低く、刀で薙刀に勝つには容易ではない。鎌倉時代初期までの太刀は、腰反りが強く、鋒の反りが少ない姿。次第に実戦の場で斬ることを目的とした太刀が求められるようになり、先反りの付いた姿に変わってきている。武士の象徴から実用の武器へと、日本刀に対する意識が変わったのが、武家政権の拡大期である鎌倉時代と考えてよい。
 鎌倉時代には、刀の作り方も、相州伝と分類される、それまでとは大きく異なる技法が考案された。沸の強い焼刃は折れやすい。でも斬れ味は何ら変わりなく、いや、刃先がより硬くなるのだからより鋭く仕立てることが可能であり、結果として斬れ味は高まったと捉え得る。折れる可能性が高まったしても、それが実用上の許される範囲内で、刃先が薄手の構造を求めるのであれば硬いほうが良い。即ち、鎌倉末期から南北朝頃にかけての薄手幅広の大太刀は、あるいはこのような経緯でできたのかもしれない。日本刀の、どの機能を強化させるか、という意味で様々な日本刀が製作された。だから、同じような姿格好をしていて一口に刀といっても、時代により、使い方によって異なり、比較そのものができないのである。
 鎌倉時代の太刀と江戸時代の刀ではどちらが優れているのか問われることがあるのだが、比較そのものが無意味だ。江戸時代に企画された『業物位列』は、時代や知名度を一切無視し、試した結果のみを頼りとした。
 美濃刀が、総体的に斬れ味に優れていることは良く知られている。ところが、誰が言い出したのか「なんだ関物か」と言われるように、一段低く評価されることが多い。何を以て「なんだ関物か」と逆に問いたい。時代背景からもちろん戦場で使うための利器が中心である。直刃があり、尖り調子の互の目乱があり、頭に丸みのある互の目があり、ゆったりと湾れた刃文がある。匂口締まって、冴えたものがあり、匂口潤んだ作もある。それぞれに面白い。どのような刃文が優れていると言えるだろうか。それぞれが特徴的なもので、面白いのだ。
 では、沸出来の刀と匂出来の刀と打ち合ったらどうなるだろうか。少なくとも戦国時代以前の作では、現実の戦場ではそのような機会がいたるところであったろう。使うための刀に限定するのであれば、末関の能力が群を抜いて良いと考えられる。孫六兼元は、比較的浅い湾れ調子に尖り刃を交えた焼刃を専らとした。使って研磨が進むと、焼の浅い部分の刃がなくなる。でも焼の深い部分の焼刃は残っており、斬れ味の良い刀としての機能は失われていない。刃が一部なくなっても充分に斬れたのである。匂切れ、沸崩れ、刃染みなど、欠点と言われているこれらの要素があっても充分に刀の機能は失われない。
 すると、負の要素というのは見栄えが悪いということに違いない。機能が同じであれば、見栄えは、悪いより良いほうがいい。ところが、見栄えに関しては所持者の好みが先行する。流行もある。華やかな互の目丁子が好き、ほつれや喰違のある直刃が好き、ゆったりとした沸の深い大互の目が好き、であり、それが斬れ味において優れているから好き、というものではなさそうだ。
 江戸時代前期において、大坂では微塵に詰んだ小板目肌に綺麗に粒の揃った沸出来の乱刃を焼く刀工が隆盛した。助廣、真改、國助、康廣など。とても華麗な、しかも様々な刃文があって人気が高まった。しかも斬れ味がいい。刀は、ひとたび打ち合えば、どのような出来であっても、何ミリかは欠ける。テレビや映画のドラマのように、何度も何度も打ち合い、次から次と襲い来る相手と打ち合うなどということは不可能。何回かの打ち合いで、双方の刀は刀として機能しなくなる。ならば一撃とは言わぬまでも少ない手数で相手を倒してしまえと考えるだろう。もちろん古くから御家に伝わった名刀と呼ばれる刀で斬り合いはしない。見栄えの良い刀が名刀の一つの条件であることは間違いない。
 鎌倉時代に地域的な刃文の特徴が生まれていることは、刀工が独自の刃文構成を意識し始めたということ。即ち、綺麗な刃文を意識しそれを焼こうと考えた。先に述べたが、鎌倉時代には、象徴的な刀から実戦的な刀造が意識されている。即ち、斬れる刀であり、しかも綺麗な刀が、求められるようになったということ。当然だろうなと思う。いくら実用の道具であっても、そこにも装飾を施す。刀も同じだ。綺麗と感じられるほうが愛着も沸く。
 刃中の沸の付き方が鍛え肌や焼き入れによって叢が生じることがある。例えば先に紹介した直胤のおそらく造りの脇差。横手辺りの刃中に沸が抜けたような部分がある。これを欠点ととらえるか、働きと捉えるか、といった違いもある。この脇差では、実際には地中の渦巻き肌の沸まで広く捉えて眺めると、龍神の顔のように見えてくる。意図して焼いたものとは思えない、頗る面白い景色である。地刃の働きを楽しむというのは、実はこのような意図せぬ景色を見出すところにもある。
 刀の刃文は、直刃、丁子刃、互の目、いずれも焼刃土の置き方で決まる。ところが刃文の中に、あるいは地の中に現れる刃文とは違う働きに目を向けると、思わぬ景色が展開されていることに気付くことがある。それが大きな鑑賞のポイントなのだ。刃文の構成の面白さではない。刃文は意図して出すもの、地刃の働きは意図を越えて現れるもの。そのように考えると、匂切れや焼崩れ、時には鍛え疵が面白い景色を生み出していることになり、欠点も楽しめるともう。このあたりは刀の弁護士のような立場で説明している。
 江戸時代末期、刀の荒試しが各地で行われた。水戸や信濃国松城が良く知られている。その荒試しに耐えられる刀が優れていると考えられたからに他ならない。では、同藩では、鎌倉時代の古名作と呼ばれている太刀や江戸初期でもよい有名な刀工の作を荒試ししたであろうか。もちろん、恐れ多くて、あるいは勿体なくてしない。考え方が違うことを充分に理解しているのだ。
 とりとめのない内容になってしまった。まだ整理はしてないし、後日追加で書き記すかもしれない。名刀の条件とは、やはり容易には見いだせない「歴史を背負っている、あるいは歴史を生きてきた、そして感動を生み出す刀や太刀」と言ってよいと思う。その中には、知名度の高い刀工だけでなく、無銘もあれば、短刀もある、槍もある、伝説がある、斬れ味の鋭さがある。その刀が生きてきた背景に興味が広がり、また刀身に面白さが見出されたもの。刀工に限って言えば、その生きざま、死にざまも興味の対象となろう。それら、所持者の心を動かす要因を持つ刀が名刀だと思う。だから人によっては、他の人が感じ得ない刀に対して強い感動を受ける場合もあろうが、それを他人がまたとやかく言うこともおかしい。博物館に並んでいるから名刀であるとも言えない。もちろん感動は他者と共有する必要もない。