ぐうたらかあさんのなげき

二人の息子は発達障害、家事は嫌いなダメ主婦、そんな母のぐうたらな、でも悩み多き日々・・・

オホーツクプチ観光巡り

2010-11-13 12:54:05 | 日常生活
(写真はふるさと館『JRY』)

上の子の部活の試合(といっても超初心者の息子は三年生参加が最後の大会に出るなんてことないけれど)の送迎をしなければならず、1時間以上もかけて、遠軽町まで。
んで、夕方までヒマを持て余し、かと言って家に帰るのもガソリン代掛かるし…
と、遠軽町の隣の湧別町へやって来ました。
始めにこれまでも何度か立ち寄ったことのある道の駅『チューリップの湯』へ。
温泉施設とレストランと売店がある道の駅です。
売店にはチューリップの形や素材にチューリップが使われているお菓子やグッズがたくさん置かれています。
近くには『TOM』と名付けられたお城のような外観の複合施設があります。
道の駅開設当時はこっちが道の駅だった記憶があるんですが、イベントホールの他、漫画美術館、図書館、会議室等あり、漫画美術館を覗いてみましたが、水木しげるやいがらしゆみこ、モンキー・パンチ等著名な漫画家のサインや原画、ほかにも漫画の歴史や風刺漫画など展示されておりました。
春には観光地として賑わう湧別町もこの時期には閑散として淋しい趣。
有名なチューリップ公園のほうに車を走らせるとまたふしぎな形の建物。
こちらの建物は『JRY』と言うのです。
そう、『TOM』と『JRY』なんですね…
こちらは郷土博物館です。ここも春には入るお客も多いのでしょうけれど、私と下の子二人で訪れた時には誰も居なくて、このそびえ立つ建物を維持管理するのにかなりの経費かかってるんだろうなぁなどと余計なことを考えながら展示物を眺めていました(汗)
建物内は中央部は天井まで吹き抜けになっており、各展示室も仕切り等有るわけでは無いけれども、適度な温度に保たれていて、暖房費も相当掛かりそう…なんて、まあ大きなお世話か(苦笑)

他の町のこういう施設と比べてみても、郷土博物館単体(なぜか調理実習室はあった)の施設としてはかなり大きいし、お金かかっているなという印象です。

他のところは科学館であったり美術館やプラネタリウム、記念館等何かしらリピートしやすい施設が併設されているところが多いし、郷土博物館単体なら、夏季限定開館であったり、収蔵物の管理に重きをおいて、図書室以外暖房がほとんど入ってないなんてところも。
まあ湧別町は文化的なことに力を入れているという印象がある町なので(演劇やライブなどのイベントが近隣市町村と比べるとかなり多い)町民もこれでよしとしているのかなぁ…

いじめ、コンプレックス、生きていくことへの自信喪失。。。大人になっても消えることは無いの、。。。。。

2010-11-11 10:25:41 | 日常生活
イジメは大人になっても禍根を残す

過去にこんなことをブログに書いていたことを思い出した。
最近、毎朝『スッキリ!』を見ていて、いじめ問題が連日特集されているのを、毎日涙を流しながら見てました。

担任に『いじめられたと思うのが悪い、あなたに原因がある。いじめられたなんてそういう嘘をつくからだ。もう嘘をつかないように。』と約束されられた小学校時代。
先生は、シカトされ、仲間外れにされている私より、活発で比較的勉強もできる、いじめっ子やその親の味方だった。

中学時代は、二次性徴に伴い、体重の増加もあって小太り体型に。汗をかきやすくなり、体臭がきつくなっていくことを自分でもつらく思って居ながらも、バレー部に所属していた。
先生のいないときだけ仲間外れにされ、私とペアを組んでパス練習してくれる人もなく、私は部活を休みがちになり、結局三年生までは、つらくて続けられなかった。
担任でもあり、バレー部の顧問であった先生は、私が登校拒否するまで、気付くことはなかった。

私が暗い顔をしているのに気づいてくれたのは、数学の教科担任の先生だけだった。
週に何時間も顔を会わせているわけでもないのに、『最近、元気ないな。何かあったら相談するんだぞ。』って廊下で声をかけてくれた、平田先生。
その時は『何もないです。』と返事してしまったが、泣きたくなるほどうれしかった。

親の考え方や貧乏加減もあって、同級生と同じ物を用意したり、同じように行動できない、就寝時間が早く設定されていたこともあって自由にテレビを見ることもままならず、同級生と会話を合わせられないことにも苦痛を感じていた。
そういった様々な要因もあり、いじめられ、黴菌扱いされ、シカトされ・・・・

田舎で子供の数も少なく、保育所入所から、中学卒業までクラス替えもなく、人間関係を更新するすべもない、そんな閉鎖的な環境は、子供であった私にとってはいじめとしては軽いものであったとしても、長い長い地獄だった。
いじめが発覚した後、私の心に寄り添ってくれたのは、保健室の植田先生だった。その先生も私が3年になるときに転勤。
その後に来た養護教員は、保健室は遊びに来るところではないと、簡単に出入りできる場所でなくなってしまい、学校の中で、私は安心できる場所を失った。
それでも、いじめ発覚後の担任の気配りや、同級生たちの変化で、卒業まではまあ平和に学校に通うことができた。
でも卒業後は、同級生たちとほどんど付き合いがない。町であっても知らん顔・・・・・・

そんな体験が、今も私の心に大きく根を張り、自分の存在に確信が持てない、自信がない・・・・


こんな私でも、結婚して、なんだかんだ不満はあっても、旦那は私を比較的大事にしてくれていると思う。それは幸せなことだと思う。

でも、子供を産んでみれば、産んだ二人とも、障害児。
神様は、どこまで私にコンプレックスを与えるのだろう。

幸いにして、小さなトラブルはあっても、子どもたちはまあ楽しそうに学校に通っていて、特別いじめられているようなことも見受けられず、学校の先生にも、クラスの子供たちやその保護者の方たちにも、うちの子のような子を自然な形で受け入れてくれていることに、非常に感謝しています。


来春、特別支援学級所属の下の子が、学区の関係で今まで仲良くしてくれていた普通学級のクラスメートたちと別れ、違う中学に進学しなければならない。
上の子の時は、まあ性格も人懐っこいところがあるし、進学するのが普通学級というのもあって、転校生状態では有ったものの、先生が尽力してくれたのあり、なじむのにそう時間がかからず安心した。

でも下の子は、自分から人に声をかけることができる子ではないし、特学所属というのもあって、なじめるのか非常に心配しています。

ひとつ安心できるのは、校長をはじめ、先生方の生徒に対する接し方や、学校の雰囲気自体がとてもよい、そして特別規制をするような校則もほとんどなく、自由な校風の中学校だということ。
通っている生徒たち、みんな本当にのびのびしているように見えます。


来週、就学相談。でも、例年そうだったように、意味のある話し合いができるとは思ってません。
うちの子がこれまで関わってきた先生がその場にいるわけでもなく、これから関わるであろう中学校の先生がいるわけでもなく、教育委員会の人がいるわけでもなく、うちの子と全く関わりのない、別の学校の特学に関わる先生方が、予想の範囲内で、こうすることやああすることも、もしかしたらできるかもしれませんなんて話をされても、何の相談にもなりゃしない。
それなら、中学校に、直接相談しに行きますって、言ってしまいそう・・・・・ほんとに、親にとって、意味のない話し合いにしか思えないのです(苦笑)



精神障害者たちの施設で働いていた時、通ってきていたメンバーたちの中には、いじめや虐待の体験を持った方が少なくなかった。
自分の子供たちも、障害児と分類される子たちだけれど、せめて子供時代・学生時代は、楽しい思い出をたくさん持って過ごしてほしい。
自分の存在に自信を持って、生きていける人になってほしい。
自分と同じ思いはさせたくないなぁって、常々思うのです・・・・・・・・・・・・








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