ぐうたらかあさんのなげき

二人の息子は発達障害、家事は嫌いなダメ主婦、そんな母のぐうたらな、でも悩み多き日々・・・

論点がずれてる…親の体罰について

2019-09-18 23:54:00 | 育児
自分が子どもだったころ、殴られた。蹴られた。投げ飛ばされた。物ぶつけられた。閉じ込められ、怒鳴られ、罵られ、脅かされ。。。今思うと、何故そんなに怒られていたのかほとんどのことで、理解出来ない。理不尽なことばかりだった。
だから、自分はそんな親になりたくないって思ってた。

でも、自分が親になり、子どもが思う通りに動いてくれないと、叩いてしまう自分がいた。何故こんなに扱いにくい子たちなのだろう。近所の人や傍で見ていた人達に『男の子二人って大変ね。。。』とよく、同情された。
時と場所に関わらず、騒ぎ、暴れ、言うことを聞かない子どもたち。
特に朝、出勤前、保育園に行く前にぐずる子どもに怒鳴り、手を上げてしまう。いくら大変だからってこんな日々は、これは躾じゃない。日々自己嫌悪だった。これでは、虐待の連鎖だ。自分の感情を暴力に変えてしまっている。

子どもたちに広汎性発達障害という診断が付いたとき、うちの子たちは特別扱いにくい子たちだったのだと言うことを知り、ホッとする自分がいた。でも同時に、心に傷が残りやすいネガティブな脳と感情の持ち主であると言うことを知り、それまでの接し方に相当後悔した。

それから子どもに感情的に暴力を振るった記憶は無い。
中学生になった一時期、暴力的だった上の子と『人を傷つけるような事をするようなら、お前をお母さんの責任で、お母さんのお腹の中に戻すから!』と、掴み合いの喧嘩をしたことはあったけれど(苦笑)
あれが、腕力で子どもに対抗できた最後だったと思う。

いずれ力で勝てなくなっていくことは、男の子を産んだ時点で覚悟していたので、家の中で一番偉いのはお父さんというのをすり込もうと思った。
悪いことをしようとしたら、『お父さんに、怒られるから辞めておこう。』と思い出せる、心のバリケードのようなお父さんに。
お父さんがいるから我が家は生活していける、全ての決定権はお父さんにあるから、大事なことはお父さんに聞いてみて良いと言ったらお母さんは良いと思うよと言うスタンスにしていた。
旦那も、ここぞというときに父親力というか、子育てパワーを発揮してくれる頼れるお父さんだったので、子どもたちはへなちょこ母さんな私には逆らうこともあるけれどお父さんには逆らえない。

だからこそ今現在、成人した息子たちが二人とも、お父さんの元で、反発することなく(時々愚痴は言ってるけど)、仕事できているのだと思っている。

総じて、親の体罰は必要かというと、必要では無いと思う。
言葉を理解しない歳の子が、熱いものを触ろうとしたとき、何かに夢中になり過ぎて道路に飛び出そうとしたときなど、怪我や命に関わるようなときに咄嗟に手が出るみたいなのは、体罰とも虐待とも、誰も言わないと思う。
でも、親の言うことを聞かない、親の思う通りに動かないと言って叩くのは、体罰だし、虐待だ。
障害のある子ならなおさら、体のダメージより、心に大きな傷を負うのだ。

テレビ番組の中で、体罰は必要と、法律で全面禁止に疑問を投げかけるタレントたちがいる。
論点がずれてる。ヤンチャな子は体罰が必要なときもあるとか、自分はそう育ったとか、昔はそうだったとか、愛情があれば体罰も理解できるとか、親と子の関係がしっかりしていれば大丈夫とか。
日常の話ではなくて、法律の線引きの話なのではないのか?
先生や部活のコーチの体罰の話とごちゃまぜにするのも違うし、食事制限や寝かせない、長時間正座とか直立とか外やベランダに追い出すとか逆に閉じ込めるとか、心身にダメージを与える、命を危険に晒すのはそれだけで体罰以上の虐待だ。躾じゃない。
私もそんなことはしたことは無い。(自分が子供のときは親にされたけれど。。。)
日常で手が出てしまうことはある。けど、それを法律で容認しては、虐待をしている人の言い訳の逃げ道を作ってしまう。
交通ルールと一緒で、100%守れなくとも、やってはいけないっていうルールは決めなくてはいけないと、私は思うのだ。
これ以上、悲しい事件が起きないように。。。

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