今朝、子供たちが登校した後、ワイドショーを見ていたが、興味を持てる内容がなかったので、適当にチャンネルを変えながら見ていたら、NHKの『あさイチ』という番組で、子供の性暴力の話題で話をしているのが目に止まった。
子供を犯罪からどう守るかとか、家族間の性暴力などの話題で、見ていると、胸が苦しくなって、涙が出てきた。
相手の意思を無視する行為は、体を傷つけ、心を殺す。。。。。。
心の傷を癒すには。。。みたいな話題になった時に、思い出してしまった。
普段は忘れているけれど、ふとしたことで思いだす、小学4年生から中学卒業くらいまでのあいだにあった、クラスのなかで起こっていた出来事。
これを思い出すことで、自分でも不思議なくらい、辛かったり苦しかったりするわけではない。
でも、自分も被害を受けていた一人だった・・・・・
けれど、これをもし自分の体験ではなくて、他人の体験として見聞きしたのなら、今日見た「あさイチ」を見た時と同じように、腹立たしいを通り越して悲しくなると思うようなこと。。。
もちろん、学校の先生を始め、保護者たちもそんなことがあったなんて、全く知らないと思う。
小学校も中学校も、田舎の一学年一クラスでの小さな学校、保育園入園から中学卒業までクラス替えもない30数名の同級生という幼馴染、問題行動も少なく、団結力のあるとても良いクラスだと言われていた。
自分たちの保護者だけでなく、他学年の保護者たちの評判もよかった。
普段は、男子も女子も、そんなことがある素振りも見せず、学校生活を送っていたのである。
小学4年生くらいのころから、それは始まった。
女の子達の二次性徴が目に見える形になってくるころ。胸が膨らみ始める。
成長の早かった女の子から、クラスの一部の男子に、胸や下半身を触られたりといういたずらをされるようになっていった。
だから、学校にスカートを履いていく女子はいなくなった。
でも、中学に入ると、否応なしに、制服になる。
女の子達が、日常的にスカートを履くようになると行為はどんどんエスカレートしていった。
体育や部活の際の着替えを男子が覗くなんていうのはごく普通。
スカートめくりなどは男子のみならず、女子のあいだでも行われていた。
女子が男子にけしかけて、いたずらをさせるなんていうこともよくあった。
休み時間や放課後、トイレや鍵のかかる特別教室に女の子を連れ込み閉じ込め、数人で押さえつけて服や下着を脱がせ、体を触る、無理やりキスをするなんてことが横行していた。
授業中に勃起している性器を、先生の目を盗んで周辺に座っている女子にわざと見せるなんて男子も数名いた。
男子が自分のズボンを下げて女子に見せるなんてことは、日常化していた。
そういうことをする男子は、通りすがりにいきなりどついてきたり蹴っ飛ばしてきたり、ちょっと肩を叩くとかいう以上の暴力行為をするものが多かった。
そして、クラスの中でも、成績上位者ばかりであった。
私自身、学校行事として行われたキャンプのときに、男子のテントに連れ込まれ、数名の男子に羽交い絞めにされ、ブラジャーを剥ぎ取られ、胸を撫で回されたことがあった。それ以外にも、中学卒業までに幾度となく嫌な目にあった。
しかし、私も被害者でもあったが、加害者でもあったとおもう。
ほかの女の子達が被害を受けている時に助け出さないときもあった。
こんな日常は、私が中学時代に受けていた仲間はずれやシカト、言葉の暴力のようないじめとは別の次元で、日常的に多くの女子に対して行われていた。
みんな、そんな日常を、なんでもないことのように、見ぬふりをし、時には自分がターゲットにならないように加担をし、やり過ごしてきた感じがする。。。。
ほかの女の子たちは、今、どう思っているんだろう。。。。。
自分が好きだと思う男の子ではない男子にファーストキスを奪われた子、トイレや教室に閉じ込められていたずらされた子、ほかにもいろいろいろいろ・・・・
そういうことをしていた男子も、まともに女性と付き合える男性になっているんだろうか。
女性の意思を尊重できないDVな男性になっているような気がしてならない。
今、私自身は、当時のことを悩みに思っているということはない。
きっと、セクハラより、当時私が受けていたいじめのほうが、私にとっての心の傷なんだと思う。
今現在は、当時の同級生と交流もない。
あんなに長い子供時代を一緒に過ごしてきたけど、卒業して高校が分かれてから、同じ通学列車に乗っていても私をシカトする人が多くなった。
高校を卒業したあとは、風の便りに中学校のクラス会をしている話は聞くけれど、私の下にお誘いがきたこともない。
親が地元にまだ住んでいるし、私も同じ自治体内に住んでいるにもかかわらず、小・中学校とも、のちに発行された創立記念誌に載っている卒業生名簿の私の名前のところには行方知れずと書かれている。
私の重たい心の傷を癒してくれたのは、高校生になってから親しくなった友人たちだ。
小さな田舎の学校で過ごしてきた子供時代のあの10数年は、本当に井の中の蛙だったのだと思う。
まあ、私の、自分の存在感に対しての不安定さは、この時代のこんな出来事も、要因の一端なのかもしれないけれど。。。。。。
子供を犯罪からどう守るかとか、家族間の性暴力などの話題で、見ていると、胸が苦しくなって、涙が出てきた。
相手の意思を無視する行為は、体を傷つけ、心を殺す。。。。。。
心の傷を癒すには。。。みたいな話題になった時に、思い出してしまった。
普段は忘れているけれど、ふとしたことで思いだす、小学4年生から中学卒業くらいまでのあいだにあった、クラスのなかで起こっていた出来事。
これを思い出すことで、自分でも不思議なくらい、辛かったり苦しかったりするわけではない。
でも、自分も被害を受けていた一人だった・・・・・
けれど、これをもし自分の体験ではなくて、他人の体験として見聞きしたのなら、今日見た「あさイチ」を見た時と同じように、腹立たしいを通り越して悲しくなると思うようなこと。。。
もちろん、学校の先生を始め、保護者たちもそんなことがあったなんて、全く知らないと思う。
小学校も中学校も、田舎の一学年一クラスでの小さな学校、保育園入園から中学卒業までクラス替えもない30数名の同級生という幼馴染、問題行動も少なく、団結力のあるとても良いクラスだと言われていた。
自分たちの保護者だけでなく、他学年の保護者たちの評判もよかった。
普段は、男子も女子も、そんなことがある素振りも見せず、学校生活を送っていたのである。
小学4年生くらいのころから、それは始まった。
女の子達の二次性徴が目に見える形になってくるころ。胸が膨らみ始める。
成長の早かった女の子から、クラスの一部の男子に、胸や下半身を触られたりといういたずらをされるようになっていった。
だから、学校にスカートを履いていく女子はいなくなった。
でも、中学に入ると、否応なしに、制服になる。
女の子達が、日常的にスカートを履くようになると行為はどんどんエスカレートしていった。
体育や部活の際の着替えを男子が覗くなんていうのはごく普通。
スカートめくりなどは男子のみならず、女子のあいだでも行われていた。
女子が男子にけしかけて、いたずらをさせるなんていうこともよくあった。
休み時間や放課後、トイレや鍵のかかる特別教室に女の子を連れ込み閉じ込め、数人で押さえつけて服や下着を脱がせ、体を触る、無理やりキスをするなんてことが横行していた。
授業中に勃起している性器を、先生の目を盗んで周辺に座っている女子にわざと見せるなんて男子も数名いた。
男子が自分のズボンを下げて女子に見せるなんてことは、日常化していた。
そういうことをする男子は、通りすがりにいきなりどついてきたり蹴っ飛ばしてきたり、ちょっと肩を叩くとかいう以上の暴力行為をするものが多かった。
そして、クラスの中でも、成績上位者ばかりであった。
私自身、学校行事として行われたキャンプのときに、男子のテントに連れ込まれ、数名の男子に羽交い絞めにされ、ブラジャーを剥ぎ取られ、胸を撫で回されたことがあった。それ以外にも、中学卒業までに幾度となく嫌な目にあった。
しかし、私も被害者でもあったが、加害者でもあったとおもう。
ほかの女の子達が被害を受けている時に助け出さないときもあった。
こんな日常は、私が中学時代に受けていた仲間はずれやシカト、言葉の暴力のようないじめとは別の次元で、日常的に多くの女子に対して行われていた。
みんな、そんな日常を、なんでもないことのように、見ぬふりをし、時には自分がターゲットにならないように加担をし、やり過ごしてきた感じがする。。。。
ほかの女の子たちは、今、どう思っているんだろう。。。。。
自分が好きだと思う男の子ではない男子にファーストキスを奪われた子、トイレや教室に閉じ込められていたずらされた子、ほかにもいろいろいろいろ・・・・
そういうことをしていた男子も、まともに女性と付き合える男性になっているんだろうか。
女性の意思を尊重できないDVな男性になっているような気がしてならない。
今、私自身は、当時のことを悩みに思っているということはない。
きっと、セクハラより、当時私が受けていたいじめのほうが、私にとっての心の傷なんだと思う。
今現在は、当時の同級生と交流もない。
あんなに長い子供時代を一緒に過ごしてきたけど、卒業して高校が分かれてから、同じ通学列車に乗っていても私をシカトする人が多くなった。
高校を卒業したあとは、風の便りに中学校のクラス会をしている話は聞くけれど、私の下にお誘いがきたこともない。
親が地元にまだ住んでいるし、私も同じ自治体内に住んでいるにもかかわらず、小・中学校とも、のちに発行された創立記念誌に載っている卒業生名簿の私の名前のところには行方知れずと書かれている。
私の重たい心の傷を癒してくれたのは、高校生になってから親しくなった友人たちだ。
小さな田舎の学校で過ごしてきた子供時代のあの10数年は、本当に井の中の蛙だったのだと思う。
まあ、私の、自分の存在感に対しての不安定さは、この時代のこんな出来事も、要因の一端なのかもしれないけれど。。。。。。