ぐうたらかあさんのなげき

二人の息子は発達障害、家事は嫌いなダメ主婦、そんな母のぐうたらな、でも悩み多き日々・・・

#8月31日の夜に ハートネットTV を見て、自分の事を思い返す

2019-08-06 21:14:00 | 日常生活
小学生の頃、夏休みは毎朝ラジオ体操があって、田舎だったからか、行かないと夏休み明け、同級生達にサボったって言われるので、休むときにはラジオ体操カードに判を押す係の6年生か同級生に断りを入れなければいけなかった。
今思うと、何故?と、疑問に思う風習だったな。

中学生のときには、バレーボール部に入っていたけれど、夏休みの部活は、数日行って行かなくなった。思春期に入り、人より汗かきで、汗の匂いがキツイといじめられ、ばい菌扱いされていた。
洗い替えのTシャツも買ってもらえなかったので、自分で新聞配達のバイト代で買ったりしていたけど、当時は今のようなプチプラ商品はなく、高かったのでそんなに持っていなかったし、汗で色褪せているのも恥ずかしかったので、Tシャツになることができず。
汗の匂いや汗ジミを隠そうと、暑いのにジャージ上下を着たまま。
デオドラント商品を買う事もできず、親にも先生にも相談できず。
練習中にたまたま腹痛に襲われ早退した日を境に、夏休み中の部活に行かなくなった。家から極力出なくなり、母親にゴミ捨てや買い物を頼まれても拒み、怒られても嫌なものは嫌だと、家に籠もった。同級生に私の姿を見られて、声を掛けて欲しくなかった。
夏休み明け、先生や同級生にどうして無断で休んだのか、責められた。何も言えなかった。
その後、特に体育の授業に出るのが嫌で、私は体調不良を理由に、遅刻、早退を繰り返し、部活も辞めた。

高校時代、体育系の部は絶対嫌だと思って、理系の部に入ったが、あまり活動してなくて、部室であった生物室は、演劇部や美術部、放送部、茶道部、部活に所属してない人等々、色々な人たちの休憩所というか、溜まり場になっていた。同級生とより、そんな先輩後輩と遊ぶことが多くなった。
夏休み中も、特に用事がなくても、部室に行けば誰かが居るという感じで、学校に遊びに行っていた。

3年生になると、先輩も居なくなり、人が部室に集まらなくなってきた。クラスの違う仲の良い同級生や、たまにやって来る後輩とお昼を食べるだけの場所になり、放課後は顧問の先生に課題を出されることが稀にあったものの、部員一人となっていた私は特にすることがなく授業が終わると下校。クラスには友達がいなくて学校がつまらなくて、学校を辞めたかった。
家も父と母の問題もあって、できるだけ家に居たくなかったので、お小遣いでパン等夕食を買い、家に帰らず制服のまま、この頃先輩に誘われ参加するようになった社会人の趣味のサークルで借りていた稽古場に日々通っていた。

夏休みも特に用もないのに毎日のようにこの稽古場にいた。ここが唯一と言えるような居場所だったな。
就職先を決めて卒業するまでと思い、ひたすら耐えて学校に通っていた。早く大人になって、自立して親から離れたかった。

大人になり、この稽古場で出会った旦那と、今も楽しく生活することが出来ているし、その時からの仲間たちと、今でもイベントの手伝い等、蜜に関わり続けている。
私の人生で、大切な人たちがたくさんできた。

自分の子どもたちにも、学校だけが居場所じゃないって、言ってきたつもり。

上の子が、高校三年の夏休み、9月1日は10代の自殺が多いというニュースを見て『俺もその気持ちわかる』と言った。
ドキッとした。
『学校はいいけど、クラスの奴らが嫌だ』と。
『でも、そいつらのために学校休むのは悔しいから、意地でも学校に行く。』と言った。
その後も、何度か、クラスが辛いとか、イジメられているとこぼす事があり、旦那や私が学校に出向き、担任の先生と話をした。
息子も、声を掛けて話を聞いてくれる先生が何人もいたようで、クラスが辛くとも、学校を嫌いにならなかったのは、そういう面もあったからだろう。
卒業時には、ボランティア活動を続けてきた事を評価されて、卒業表彰と記念の盾を貰って誇らしげだった。
卒業できてせいせいしたとは言っていたけれど(苦笑)


大人と子どもの狭間で苦悩している人たちへ。
悩みのない人生はないけど、生きていれば素敵な事もたくさんある。
今だけを見つめないで。辛いときは逃げてもいい。誰かに話して。共感してくれる人は、世の中にたくさんいます。
あなたの居場所もきっと見つかります。
学校は、人生のほんの一部だともうすぐ気付けるはずだから。


でも、悪意のある人間には、気をつけてね…








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子どもが成人した今、思うこと〜発達障害の兄弟

2019-08-06 16:35:00 | 育児
今日、私は仕事が休み。
夫と息子たちは泊りがけで地方に仕事に行っていて、ここ数ヶ月週末しか帰ってこないので、新築の家でつかの間の自由気ままな一人暮らしを満喫しております。

今日は、数年来、そのうち見ようと思いながら、録画して放置して溜まるに溜まっていた番組達を、意を決して、観て消そう!と、昼過ぎからソファーに座り、お菓子と飲み物を用意して、古くは3年くらい前の番組から再生していった。

録画して、見ずに溜まっていた番組の多くは、NHKの福祉や医療、障害に関する番組。ちょこちょこ見ては消していたけれど、自分の状況や子育てに関するものは、見たいと思いつつ、心が重くなって、また今度にしようと、放置していた。

NHKの『あさイチ』や『バリバラ』、『ハートネットTV』、『ウワサの保護者会』など、発達障害をテーマにしている番組が数多くある。
子育て真っ最中で悩み苦しみ、泣き、それでも笑っているお母さん達の姿だったり、当事者である子たちの現状、困り感、頑張りであったり、関わったり研究している人たちの言葉だったりを見聞きしていると、共感することや感心することがイッパイ、後悔することもイッパイ。。。
これまでの事をたくさん思い出し、旦那や自分の子どもたちに思いを馳せ、ボロボロ涙を流しながら番組を消化するように観ていった。
私は、子どもの事を理解して接してあげていたかなぁ。もっと良い育て方があったのではないのかなぁ。どこに相談してどんな療育方法があったのだろう。結局、何もしないまま、二人は普通の子たちの中で、しんどい思いをしながら、成人になってしまった。

私自身が、交渉・相談ベタだったためにしてこれなかった、学校や先生ともっと話ができたら、他のお母さんたちと仲良くできるスキルがあったら、もう少し子どもが過ごしやすい環境、習い事や塾や療育施設などを探すとかで、進学や進路の可能性に違いがあったのではないかと未だに思うことがある。

私の救いは、正に旦那で、私の存在や、子どもの障害を否定したりしなかったこと。
旦那が、学校、病院、相談センターに一緒に行ってくれたり、家庭訪問のときに、仕事を抜けて家に戻って先生と話ししてくれたり。
子どもが中学生のときには、学校の様子が知りたいからと、PTAの役員も、私の代わりにやってくれた。

こんなお母さんで、奥さんで、ごめんなさいと、子どもたちや旦那に申しなけなく思うこともある。

そうして自分の存在意義を否定してしまう悪いルーティンに入ってしまう悪い癖。。。

ダメダメ!自分を否定すると、子どもにまでそんな自己否定の気持ちが伝染してしまう!と思い直し、なんとか自分の気持ちを立て直す。。。。

今は、旦那が二人を仕事に連れて行っている。
上の子は、自分からお父さんと一緒にやると言っただけあるのか、他の職人さんに『成長したな』と褒められることもあると、旦那が言っていた。
仕事にボランティアに奔走する彼は、親がいなくなっても一人で生きていける大人になったと思える。

下の子は、就職活動ができずに専門学校を卒業してしまい、ニートや引きこもりにはしないと、旦那が仕事場に連れて行って掃除とか片付けとか雑用をさせているケド、本人は、学校に行くよりはイイ、と、現状に楽観的だ。甘やかせすぎなんだろうか…


下の子の自立の問題はまだ残っているものの、子育てとしては一段落した今、私は母としては、客観的に子どもに接する事が出来ていると思える現在。


今は旦那が一日中子どもと接している状況で、父親としても、個人事業主として息子を従業員として使っている立場で対外的にも、大変かもしれません(苦笑)


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