ぐうたらかあさんのなげき

二人の息子は発達障害、家事は嫌いなダメ主婦、そんな母のぐうたらな、でも悩み多き日々・・・

障害者に対する周囲の本音は『迷惑』…憤り

2019-07-25 22:45:00 | 日常生活
この前の参議院選挙で、重度障害者の方が比例の『特別枠』というかたちであったが、国会議員となる事になった。
私はその政党を支持しているわけではないが、国の指針を決めていく国会に、あらゆるマイノリティを持った人が参加する機会を与えられるということが、今まで思いつかなかったことで画期的だと思った。
普通の政党では考えられないようなことをしたなぁ。。。。

職場でその話になり、みんなの考えは、私とは真逆だった。
『迷惑』『何かあったらどうする』『そのために議会をバリアフリー化なんて税金の無駄』『まともに仕事出来ないでしょ』…そんなネガティブな言葉ばかりだった。
私が『身体動かなくても、今はいろんなかたちで意思表示して仕事できるんだよ』、『今は元気だって、誰しも事故や病気で障害を持っちゃうかわからないんだよ』とか『法律で、障害のある人の出入りを断っては行けないっていうのも出来てるんだよ』と言っても、『そうは言ってもねぇ』という答え。
みんなの認識は身体障害と、知的障害をごちゃまぜに見ているようなところも見受けられ、認知の低さに、暖簾に腕押しのような、無力感。(まあ言葉足らずな私の説明も悪いケド…)
『一般社会でなかなか受け入れられないなら、公共の施設から変わって行くのも悪く無いと思うけど。。。』と、言って見たものの、みんなの反応は薄く、障害者に対する偏見はこんなものなんだなと、実感し、悲しくなった。

世論で障害者を直接批判することは憚れるけれど、職場のこんな小さなコミュニティーでは、みんな言いたいこと言うなぁ。。。

人と違うことは悪いことじゃない。
人に支えてもらうことは、迷惑じゃない。

でも、そう思っていても、この世の中は、人と一緒じゃないことで悩み、人に助けを求められないことで苦しむ。


私も含めて、変わっていかない現実社会が、意識が、悲しい。。。

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何歳になっても希薄な我が身の存在意義。自身の存在を肯定出来ない虚しさ。

2019-07-12 00:11:53 | 日常生活
これまで、何度も同じようなことを書いているかも知れないと思いつつ。。。

私は、非常に疑り深いです。
人に頼りにしているとか言われても社交辞令にしか聞こえなかったり。
人に、あるいはこの場に、あまり必要とされていない、邪魔だと感じてしまって、仲間たちや友人と一緒に楽しい場にいるはずなのに、居心地が悪いと感じてしまったりします。旦那と一緒に参加している時は、自分は所詮旦那のオマケのような気になって、申し訳なく思ってしまったりします。
まあ仲間内で冗談めかしに『こんな私で申し訳ない』などと言うと『バカか!こんなに頼りにしてるのに!』と一蹴されてしまうんですが、何故かこの居心地の悪さは、消えてくれないのです。

旦那さんと二人で一緒にいてもそうは感じません。旦那さんは私を必要だとかけがえの無い存在だと思ってくれているのが肌で伝わるからです。
一緒にいる年月を重ねるほど、旦那さんは私の気持ち、思いを少しずつだけれど、理解してくれる人になっていってくれました。
だから、私はこの世でこんな稀有な人はいない、私にとって唯一無二の人だと今は思っています。
それでも、たまにだけれど、明るくて気の効くステキな奥さんや女性と接すると、こんな根が暗くて気の効かない人付き合いの苦手でブサイクな奥さんでごめんなさいって思っちゃう時もあります。

なんでこんなネガティブ思考なんだろう。

人に嫌われるほどではなくても、好かれている気もしない。仲が悪くなくても、良い気もしない。
面倒なことは誘われても、楽しいことには誘われない。
人手の必要な時に居てくれれば良くて、それ以外はいらない、都合のイイ存在のような。
人に顔を、存在を、覚えてもらえることもあまり無い。すぐに忘れられてしまう。そんな人。
それが私で。。。。

あぁ…どんどん落ち込む....







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