ぐうたらかあさんのなげき

二人の息子は発達障害、家事は嫌いなダメ主婦、そんな母のぐうたらな、でも悩み多き日々・・・

職場の年下だけど先輩である彼女に思うこと(愚痴)

2024-09-23 03:25:25 | 日常生活
仕事は真面目で丁寧。とっても一生懸命。
礼儀正しい。人当たりが良い。
人の話に合わせて『そうしましょう』とか『いいですね』、『ありがとうございます』という言葉をよく聞く。
人に対してよく気が利く。
絶対というくらい、人の前を歩かない。

ある意味、無責任。勤続年数が一番長いが、仕事を仕切らない。
優柔不断。相談しても『どっちでもいいですよ』と言う。
質問すると答えてくれるが、最後に『分かんないんですけど』って言う。
人によって話す内容や接し方が変わる。
話が長いし、話をすることで手が止まる。そこでまた作業が遅くなる。人の話に自分の話を被せる、会話泥棒。自分や友達、身内の自慢話が多い。
息をするように、『ありがとうございます』をいう。ありがとうという言葉が適さないようなときでも。
これでは信頼できない。

やりたい仕事、やり慣れた仕事、上司に直接頼まれた仕事ばかり一人でやろうとする。
やりたくない仕事、上司から見えない仕事は、にこやかに人に振るか、人がやるのを待って、自分は手を出さない。
優先順位を考えずに仕事を始める。
無駄な作業を丁寧な仕事と思って、手間と時間と経費をかける。
仕事が遅い。さばける仕事量も少ないが、資材は人より多く使っている。
それを『人それぞれのやり方で良い』とか、『速く済ませれば良いわけではない』などと言う。

人の失敗や失念、意にそぐわないことが起こると、『こんなの初めて見たー』とか『どーしてこうなったんだろうー』とか『あえてそうしてると思いましたー』とか、遠回しの嫌味を言う。
言いたいことは業務連絡として直接『こんなふうになってたので、こうしてください』とか『これはやめてほしい』とか『忘れてましたよ』とかはっきり言えば良いのに、遠慮?気遣い?のつもりなのか?

目上の人に頼まれる仕事を一人で抱え込んで、手伝おうかって声をかけても『一人で大丈夫です』を繰り返し、こっちは暇して手持ち無沙汰。

勤続年数の一番長い人が、忙しそうにしてるから、パートはみんな忙しいんだと、職員の人達は気を使って、仕事を頼むのをためらっていたそうな。
暇で手が空いてることを知って、人手不足な職場だから、資格が無くても出来ること、やってほしいことがたくさんあったのに!!と驚かれたんですよ?

まだまだ言いたいことは山ほどある。

『仕事が遅い人は、考えながら仕事してるんで、悪いことではないんです』だと。
勤め始めて日が浅いならともかく、あなたはいったい何年ここに勤めてそんなこと言ってるんですか?
日々のルーティンのような作業を未だに考えながらしかできないあなたは、今まで何してたんですか?
私の倍以上の年月勤めているのに。
こなす仕事は半分以下じゃないですか?

私は、日々のルーティンを試行錯誤して、どうしたら速く仕事をさばけるか、自分なりのやり方を見つけて実行しているので、手順とそうする理由を口で説明できるし、今では考えなくとも手や身体が動くくらい、自分にその方法をなじませて仕事をこなしているんです!
闇雲に適当にやってるような言い方すんな!

それに所詮私たちは短時間勤務のパート。
正職員でもなく業績を残す仕事でもない。
とにかく効率よく仕事を片付けるのが責務だと、私は思います!!











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人に嫌われていると思うと、やっぱり凹む。毎日一生懸命生きているけど。

2023-09-30 02:37:56 | 日常生活
以前に一緒に仕事をしていた人と、数ヶ月だけど今また同じ仕事をしている。

お互い、この十数年間は、メールのやり取りや、数回会ってランチでお話するくらいの付き合いであった。
そういう感じで関わっていたときには、とても良い、素敵な人だと思っていた。

元いた職場でまた一緒に仕事を始めたのだし、
私は昔のことをよく覚えている方なので、
『昔、こうだったよね。』
と話をすると彼女は、
『無理無理。全然覚えてない!』とか、
『コワイコワイ。なんでそんなに覚えてるの。』とか言われ、ガッカリしたのと同時に、ちょっと傷付いた😢
無理とかコワイとか覚えてないとか否定を繰り返されると、何も話せなくなる。

世の中の人はそんなに昔のことをすっかり忘れてしまうものなの?
身近にあまりそんな人はいなかったもので。。。

そして、彼女は人の話をあまり聞いていない。
仕事は3人で行っていて、時々他愛のない会話をするのだけれど、興味がなくなると、突然天気の話や窓の外の鳥の話をを始めたり、自分が言いたいことが終わると、話題は続いているのに席を立って居なくなったりするのだった。

そして、自分なりのこだわりがあって、せっかちでおせっかい。
それはとても良い面だと思っていたが、一緒に仕事をしてみると、非常にやりにくい。

私より一回り年上の彼女。
昔はこうじゃなかったような気がする。
当時は仲良くしていたのだから。

人の話を半分くらい聞いて、やり始めて、それは違うというと不機嫌になる。
仕事は速いが、少々あわてんぼうで雑だけどこだわりもあって。。。扱いにくい。
ここ数日は、ほとんど会話もしなくなってしまった。

というのも、私はそんな驚かすつもりはなく、私の気配を感じないのか、仕事の話をしようと声をかけたらビックリされて怒られた。
1度目は後ろから声を掛けて。2度めは正面からだったけれど。。。
そんなことがあって、他にも色々あったのかもしれないけど、彼女は私と目を合わさなくなった。
彼女は一度嫌いだと思うと心を閉ざす人だ。
以前にも彼女の勘違いだったのに、嫌われてしまった方がいた😞

私だって普段そんなに他の人にビックリされたことはあまりない。
逆に声が小さくて、聞きかえされることは多い。。。
まあ、人に嫌われなくとも好かれもしないというのは自覚してる。悲しいけど。

今は非常に居心地が悪い。


私も仕事にこだわりはある。
私のこだわりは、いかに効率よく、良い加減で仕事を終わらせるか。
私の次の工程を担う人が少しでも仕事を進めやすくなるように工夫出来るか。
そして一番は、仕事が独りよがりの自己満足にならないようにすること。

でも、今一緒に仕事をしている二人は、私とはこだわるところが違うみたいで、それがものすごくストレスだ😣

『ありがとうございます』と『何だっけ』が口癖のお姉さんはものすごく丁寧に仕事をするけれど、二度手間三度手間を時間を掛けてやっている。だから仕事が遅い。
でも職員から直接頼まれた仕事を抱え込み、一人で忙しそうにしている。
忙しいアピールを、イヤミを交えてするので、一緒にやりますよと言っても、一人で大丈夫ですと返されるので、彼女からやってくださいと言われない限り、基本彼女の手伝いはしないことにした。
職員から直接頼まれる仕事・職員からよく見える場所での仕事はそれをしたがる彼女に任せて、自分の持ち場での毎日のルーティンの作業をとにかくこなすことに徹した。
だから手持ち無沙汰なときも多いんだけど。。。
職員から見たら、彼女は人当たりが良くて、一生懸命仕事してる良い人。
私は部屋に籠もってサボってるように見えるかもなぁ...と思いながらも、日々そうしている。

そしたら、短期雇用で来ている彼女が、お姉さんに『なにかありますか』『あれやっていいですか』と、とにかくじっとしていられない性格もあって、お姉さんの仕事に手を出す。
するとお姉さんは私とは違う返しを彼女にするではないか!!
私には『一人で大丈夫です』『今やらなくていいです』と言って手出しさせてくれなかったことを、彼女にはさせているのだった。

そして一番は、私に散々言っていたイヤミ、えっそれホント?っていうような嘘?みたいな話を、彼女には一切しない。
彼女もお姉さんの良い面しか見ていないので、私の言う事など信じていない。
私のことは、ただただ、お姉さんの悪口を言っている信用できない嫌な人にしか見えていないのだろうなぁ。

だから今、職場でお姉さんの裏の面を知っているのは、私しかいない。知っていた人は退職・転勤してしまった。
私の味方をしてくれる人はいないのだった。。。。。

そうなると、私のほうが、私の見えている世界が、人とは違っていて、私の行動が間違っているの?と、思えてくる。
器量も愛想も良くない私が何を訴えても、駄目なもので。
口は災いの元ということかな。
なんだか日々やる気が出ない。
気が重い。
働きたくない....











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転職(出戻り)、そして『ありがとうございます教』信者?で悲劇のヒロイン

2022-10-11 08:19:29 | 日常生活
長いこと、辞めたいと思っていた会社。
やっと辞められた。
以前勤めていた職場の人から声をかけられ、臨時職員という立場だったのが任用職員という形になり、待遇も少し改善され、規定が変わって当時2年しか勤められなかったのが、更新すれば何年でも働けるようになったと。
辞めたくて去った職場ではなかったので、これ幸い渡りに船だと思い、思い切って転職した。

そして、そこで一緒に仕事をすることになった方は、何にでも気を使い、譲り、感謝する人だった。
『どうぞどうぞ』『ありがとうございます』『私が悪いんです』『私がちゃんとしていれば』『どっちにしますか』等々。。。

いつでも人に譲って人の後ろを歩き、人が間違っても『私がちゃんと見ていてあげなかったから』と狼狽し、人が仕事を片付けると『やってくれてありがとうございます』とお礼を言う。
まだ仕事の手順が判っていない私が質問したら、いくつものやり方を提示してきて、『どうしますか、どれでも良いですよ』と、こちらに選択肢を委ねる。
仕事を一人でたくさん抱え込み、正職員からの理不尽な要求も拒否しなかったエピソードを聞かされ『私が我慢すればいいんです。〇〇さん(私)は、そんなことしないでくださいね』と。

気を使われ過ぎて、ハッキリいって疲れる。

ホントにそんなこと、人に言われる?!みたいな罵詈雑言エピソードもたくさん聞かされ、でもここに来て数ヶ月、そんな職員さんに出食わしたことはなく....?

昔話のシンデレラか、昔見たアニメ『小公女セーラ』か、悲劇のヒロインのようなそんな話のオンパレードで、最初はそんなパワハラ職場に変わってしまったのかな?と真に受けて聞いていたが、何か違うなぁ…????

良く思えば、自己犠牲で人に尽くす、とても良い人だけど、対応次第で、影でどんなふうに私は見られて言われているんだろうと思うと、うーん(゜-゜)?
 

特に『ありがとうございます』を口癖のように連呼されると、もうこっちは、ハイと返事するか、スルーするしか対応出来ず。
彼女は他の職員さんたちにもそうなので、この職場で『ありがとうございます』が自然に口から出ない私が無礼なのか?
もちろん、私だって何かしてもらえば『ありがとうございます』言うけど。
するべき仕事を片付けて『ありがとうございます』と言われても、捻くれてる私が悪いのか『貴方に雇われている訳では無いですよ〜』とつい思ってしまう…

だんだん判らなくなってきた。


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結婚して25周年

2021-09-26 12:22:52 | 日常生活
私は、記念日に何かして欲しいと強く思う方ではないので、思い出してくれるだけでも、いいんじゃないかと思ってた。
だって、私の誕生日なんて、家族で思い出してくれることはほとんどなく(苦笑)、仲間たちのネットの書き込みを見て「今日誕生日だったね」と、寝るちょっと前に言うくらいの感じだから、息子達は私の誕生日を知らないのではないかとも思う😅
もちろん母の日など皆無。

なので今まで、結婚記念日に何かをするということは無かった。
「結婚して○年も経ったね。」と、旦那が思い出したように、つぶやくくらいで。

それが今年は何ヶ月も前に突然、「結婚記念日に、休み取るから、旅行にでも」と旦那から言った事があった。
驚くとともに、素直に嬉しかった。
まあコロナ禍と、諸々の事情により、結婚記念日の旅行は実現しなかったけれど、そのうち連れて行ってくれる気はあるみたいなので、楽しみにしている😊

そんな感じで、私は気に留めていなかった結婚記念日。
一緒に仕事に行っている息子たちは帰ってきたのに、旦那は帰ってこなかったので、一人で残業しているか、会社で打ち合わせにでも行ったのだろうと思っていた。
普通にいつもの夕食を作り(豚肉と玉ねぎを特製ソースで炒めた豚丼のようなものと前の日の残り物のおかず)、息子達は先に食事を始めたころ、旦那が帰ってきた。

手には花のアレンジメントとスパークリングワイン、そしておつまみのチーズと生ハムとサラミ。
びっくりした。花なんて一度も買ってくれた事なんてないし。
なんか、すごく嬉しい!



ワインとおつまみは、会社で運営しているワインショップとレストランのもので、これは安くはないと思う。。。

この日は、夜にちょっと出かける用事があったので、時間は遅くなってしまったけれど、二人でゆっくりお酒を堪能しました。
25年目にして、夫婦でなかよく過ごせるのは幸せだなぁと感慨深い時間でした。
次の日の朝はふたりともちょっと二日酔い気味😳
日曜日だからまあいいかぁ。。。

この先の人生、こんな穏やかで平和な日々が続けばいいなと切に願っています。






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今日は仕事が休みで、家でゆっくりしようかなと思ったけど、

2021-08-27 14:04:38 | 日常生活
結局、クルマでドライブ。
温根湯の道の駅で、ひと休み。
家の近くのコンビニでカフェラテを買って、ゆっくりのんびりここまで。
というのも、今朝、突然、テレビの電源が入らなくなって。

引っ越しするタイミングで新調したテレビ。
まだ2年ちょっとしか経ってないよ。
最近溜め込みすぎた録画番組を、居眠りしながら、巻き戻しながら(苦笑)、ボチボチ消化するように見るのが休日の過ごし方だったのが、見られなくなってしまい、どうしようかと思ったら、お外はいい天気。
運転したい欲がムクムク湧き上がり、ちょっと出かけてしまいました。
ラジコのタイムフリーで、『星野源のオールナイトニッポン』を聴きながら、運転すること小一時間(星野源さんは好きなアーティストの一人で、ラジオよく聞きます)。
クルマから降りずに、スマホからこの文章を書いています。

テレビ、しばらく見られない。。。
修理の人がうちに来るのは週明けだって、旦那から連絡きた。
ブルーレイプレーヤーの録画はアプリから予約録画できるし、スマホで見れるケド、テレビに繋いでたハードディスクに録画してた番組は見られないし、予約している番組は、録画されない。。。CM飛ばさず見られるNHK系列の番組をハードディスクに予約録画していたので。。。残念だぁ。
(EテレとかBSでやってるドキュメントとかバラエティとか音楽番組、結構好き。)

さあ、おうちに帰るかぁ。
ちょうど2時。時計の塔の小人達が出てきた。
衣装、なんか、色あせちゃってる様に見えるのは気のせいかしら。


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職場のミーティング。埒が明かない。

2021-07-17 03:08:00 | 日常生活
月に一度のミーティング。
改善案といつも言われるが、意見を言ったところで、何も解決されない。
今回は、思わず、胸に溜めていた不満を直接上司にぶつけてしまったが。
子どものような、言い訳なような、上司の言いぐさ、反応に、余計にはらだだしい思いになり、同時に、以前旦那に『そういう正義感は自分のためにならないよ。』と言われたのを思い出して、自己嫌悪。
業務がスムーズに進まない一因は、この上司が当たり前の事をやっていないというのは火を見るより明らかだけど、それを放置して、売上の数値ばかりを気にして根本的な解決策を考えず、今以上に業務を増やそうとする本社の意向に、私達は疲弊している。
社員は自分の身の保身のためか、現場の状況は本社に伝えず、やれと言われたことに対してはいはいと安請け合いするので、どんどん業務が増えていく。社員は残業代が出ない。だからタイムカードを押す時間が遅いと、本社から社長直々になぜ遅いのかと指摘が来るらしい。でも朝早く社員が出勤するのは、文句を言わない。工場の加工業務を担っている主任の社員やパートの私達は業務をこなす為に、どんどん勤務時間が朝に増えている。(でも、現在部長である上司は、前任の部長が退職してから注意する人が居なくなり、出勤するべき時間に来なくなった。)
でも、パートの働く時間は1分でも減らせ。人件費かけ過ぎだとさ。
食品加工、宅配業務。
注文を増やすために品数を増やせ。
でも仕入れも潤沢に適切にしてくれない。在庫を増やすな。なんとか方法を考えて間に合わせようとするので、手間と時間が掛かる。
手間は増えるばかりだけど、人は増やさない。
注文を増やせというけれど、ものが無かったり、時間まで作りきれない、配達する人手が足りないと、注文を受けきれず、断ることも。物も人もなければ注文を増やそうにも増やせないよ。。。

今日使うメイン食材がない!と、24時間スーパーに早朝買いに走ったりすることも。もうこれだけで、私の朝一時間程度の時給が無駄。なんのために夜中2時3時に起床して、家の事を済ませてから早朝出勤しているのか。
業務が終って明日使う食材が入荷していないと、業務時間外で、買い物をしてくることも日常茶飯事。買い物は暗黙のうちに、サービス業務に。
今日使うはずだったものが、業務が終わった昼頃届いたり、必要な量に足りなくて、違う食材を「客にはわからないから」と使うのは、もはや詐欺行為で、それをさせられるのが、私はすごく嫌だ。。。「無いものは仕方ないだろ!」と上司に逆ギレされるのにも腹が立つ。上司がまともな仕事をしていたらこうならないのだから、本末転倒。仕方がないと言い張るその言い草はおかしいと思う。
毎日やっつけ仕事のような状態で、気持ちが擦り切れていく感覚。
必要なものをメモ書きして置いても、入荷するのは上司次第。資材も食材も毎日、今日は届くのかと心配する日々に飽き飽きしている。
他にも色々色々、不満、理不尽、辻褄が合わない問題山積み。

これらを解決しないで、売上は上がるのか?
心を殺して見てみないふりをして、言われた事をこなしていれば、それでいいの?

あぁ。腑に落ちない…



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納得のいかないこと

2021-05-14 01:05:11 | 日常生活
職場、深夜勤務がある。私は、日勤常勤だけれど、深夜の人手がいるときには、夜勤もする。
他に日勤で深夜に手伝う人はいない。
そして、深夜勤務と日勤を恒常的に掛け持ちしている方もいる。
その方は、もう、AROUND70になる。
その方は、とても人がよく、頼まれるとあまり嫌とは言わないので、そうなってしまった。
とある日の勤務状況。
1日目、朝6時勤務開始。13時半終了。
2日目、朝6時勤務開始。14時終了。
その後、20時、再出勤。深夜2時終了。

本当は二日目の日勤はしなくてよかったのに、人のよい性格で、日勤の人に「人がいなくて忙しい。」と言われると、つい「出ても良いよ。」と言ってしまうのだ。

私は、「大変だから、そこまでしなくても!」と再三本人にも、言ったし、部長にも会議で、深夜出た日に昼間も働くのはしんどいから辞めてほしいと言ったのに。
その方は、「大丈夫だから。」と、にっこり微笑み、他の日勤常勤の人たちは躊躇することもなく、「えぇー出てくれるのぉ」と、平気な顔で言う。日勤常勤の人たちは、深夜が大変でも手伝いに来てくれたことはない。
それどころか、朝6時出勤するはずの人が、そのAROUND70の方が出勤するというのに甘えて、「じゃあ私8時出勤(定刻)でいいのね。」と言っているのを聞いて、なんと思いやりのかけらもないのだろうと思った。

以前には、その方を深夜も昼間も働かせて、日勤しかしない(深夜に様子を見に来たこともない)上司が休暇を取っていたことがあって、ものすごく腹がたった。

深夜に身体を動かすのは、たとえ同じ時間数だとしても、昼間に動く以上に心身共にしんどい。
私はそれで、ホルモンバランスを崩し、婦人科系の疾患を患って、手術したのだ。

その方は、長年深夜勤務しているとはいえ、年齢的にも、辛いだろうし、家族のことで、色々大変なこともみんな知っているのに、その方の人の良さにおんぶに抱っこで、その方もしんどいはずなのに、いいよいいよと、私から見たら、安請け合いというか、優柔不断というか、そんなに人の言うことに流されなくてもと思って歯痒くなる。

会社の上司たちも、その方の言葉に乗っかるだけで、見て見ぬ振り。そこまでしなくていいと誰も言わない。

今日だって、私が上司に、「あまりに大変じゃないですか!」って言ったのに、結局何も変わらなかった。
みんな、「本人が大丈夫って言ってるんだからいいじゃん、こいつ何うるさいこといってんの」みたいな顔をして私を見るのだ。

その方は今日の帰り際、「心配してくれてありがとうね」と笑って帰って行ったけれど、私は腑に落ちない。

本当は、パートの私達が無理をして働くのではなくて、会社が人を増やすか仕事を減らすかそれ以外の方法を考えるかしなくてはいけないと思うのに。。。




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胃の検査の結果。そして、新たな疾患。寄る年波には勝てない、感じ。

2021-03-29 16:41:20 | 日常生活
前記事、
仕事休んで胃の検査。そして久々、自分で運転して遠出してみた。
での、胃の検査の結果。めでたくピロリ菌根絶。やったね。

数ヶ月たって、すっかり胃痛は無くなりました。ホント、もっと早く検査すれば良かった。
辛いラーメンや辛口カレーが大好きだったけれど、全然食べなくなり、生の野菜サラダも毎日食べるのを辞めました。
永く美味しく食事をしたいので、この先の人生、胃をいたわって生活したいと思います。

そして、最近の話。

ここ数ヶ月、朝起きると、右手の小指以外が痺れていることが頻繁にあって、起きて動けば治るのだけれど、変だなって思っていた。
そのうち右手にも頻度は少ないけれど、同じような痺れが起きるようになった。
また、指先で何かを掴みながら力を入れつつひねる動作(例えば、漬物や惣菜等の袋状のパッケージサイドの切れ込みから破ったりする動作とか)をすると、手首にピキーンと、電気と痛みが同時にはしる、スマホを継続して操作していると、手が痺れてくる等、違う痛みや痺れが起こってくるようになり、どんどん症状が悪化している気がしてきた。

自分で症状を検索してみると、ピッタリ一致する症例名を発見。ホルモンバランスが崩れる妊娠期や更年期の女性に多く発症し、症状が軽いからって放置しておくと、手術が必要になったり、歳をとっていくにつれ、物が掴めなくなる等、怖いことが書いてある。。。

意を決して、整形外科へ。
そしたら、自分で検索したのと同じ。やっぱりそうでした。
手根管症候群。
「頑張って働きすぎ、できるだけ手に負担をかけないように」、お医者さんにそう言われ、ビタミンB12を三週間分処方されました。
仕事柄、外用薬やサポーターなどは使えないので、なんとか内服薬で治ればいいなぁ。。。

これで様子を見て、また三週間後、受診です。

年々、身体のあちこちから今までの酷使や不摂生を放置してきたツケが出てきて、若い頃は大したことないって思ってたけど、寄る年波には勝てないなぁて、つくづく思います。
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仕事休んで胃の検査。そして久々、自分で運転して遠出してみた。

2020-12-18 12:52:18 | 日常生活
今日は有給休暇を取って仕事休んだ。
病院に行って検査を受けるため。

経緯を説明すると、夏に健康診断を受けた際、初めて受けたバリウム検査で胃に異変が見つかった。
以前から忙しかったり寝不足したりストレスがたまると、胃がキリキリすることがあり、精密検査受けようかなあと思ってダラダラしてる間に、また胃が痛み出し、いつも飲んでいる慢性胃炎用の胃薬も最近効き目が薄くなってきた気がしていたので、意を決して病院に行くことにした。
内視鏡検査をしたら、十二指腸潰瘍になったり治ったりを繰り返しているというのと、萎縮性胃炎(前がん状態)とのこと。
ピロリ菌の検査してみたら、陽性。
慢性的な胃痛の根本は、ピロリ菌で、それにストレスや、多用していた鎮痛剤(歯痛や頭痛、特に歯痛は歯医者に行くのが嫌で、痛くなると鎮痛剤に頼っていた時期が長くあった..)、眠気覚ましのカフェインの医薬飲料(睡眠障害で薬を飲んでいた時期もあったので、私にとって映画とかお芝居とか見るときには欠かせないアイテムだったし、深夜勤務もしているし。。。)、大好きな辛い系の食べ物のせいで胃や十二指腸が悲鳴をあげていたのだ。。。
ガンになる可能性を下げる為に、除菌の薬を処方された。そして8週間経過後。

本当に除菌されたかどうか確認する検査を今日受けに行ったのだった。

結果は来週。除菌しきれていなければ、二次除菌と言われている。2割くらいの人が除菌しきれないそう。

もっと早く病院にかかっていればと、ちょっと後悔。おじいちゃんが60歳で胃がんで亡くなっているのだ。今私、48歳。
痛みを堪えて放って置いたら、10年先どうなっていたかなぁと思うとゾッとする。

中学生くらいから、胃痛に悩まされてきたのは、ピロリ菌のせいだったんだなぁ。。。

朝9時から検査といわれ、仕事休んだけど、あっという間にに終わって病院を出たのが9時半(早っ)

検査のために朝ごはん食べてなかったので、スーパーでおにぎりとお菓子、飲み物を買って、ちょっと気分転換に出かけようと、やってきたのが道の駅あいおい。
名物クマヤキを堪能。





さあ、帰ったら、洗濯して、夕食作って、後片付けをしたら、お風呂に入って早く寝ないと(苦笑)
明日の起床は3時前くらい。家族の弁当を作って、出かける準備をしたら5時20分には家を出て、6時勤務始め。

明日も忙しい!








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小学一年生の時を思い出す〜苦しい記憶

2020-06-02 00:38:12 | 日常生活
私は変な子どもだったと思う。
先生からしてみれば、躾のなっていない育ちの悪い子どもだったのだろう。

給食、嫌いな物が出た時は辛かった。
私は、玉ねぎ、長ネギ、鶏の皮がどうしても嫌だった。
特に長ネギは死ぬほど嫌いだった。
給食の時間が終わっても、昼休みが終わっても、午後の授業が始まっても、食べ終わるまで、許して貰えなかった。残すことが出来なかった。
さすがに、ぶつ切りの長ネギを口に入れただけで、それまで食べたものまで吐いてしまった時は、食事が中断されたけれど。。。

母親の実家が牛を飼う酪農家であったせいなのか、母はたまに牛乳をご飯にかけて食べる事があった。
給食で私は、それを真似してみた。それを見た担任の先生が、「なんだその食べ方は!お前はブタか!」と、クラスじゅうに聞かせるように言い放ち、笑った。
私は、恥ずかしさと悲しさで、でも残すことは許されないので、泣きながら隠しながら食べた。

私は、だらしのない子どもだった。
それこそ、鼻水を垂らしているような子だった。
着ているものも親戚からのお下がりがほとんどだったし、時代遅れのものも多かった。それでイジメられることもあった。

一年生のとき、上靴の踵を踏んで履いて、三学期になる頃には靴がボロボロだった。でも母は二年生になるまで靴を買ってはくれない。
先生は踵を踏んで履いている状態を見て、「ちゃんと靴を履け!」と、私に言った。
ボロボロの踵を起こして履き直すと先生は、
「お前は靴も買ってもらえないのか!」と、またみんなの前で見下すように笑った。
先生に対する悲しさと、自分のだらしのないことの結果でもあるのだという自分に対する腹立ちと恥ずかしさと。情けなかった。

それからは、靴を買ってもらっても踵を踏んで履くことはなかったけれど、ボロボロになって、ワニの口のように指先が飛び出て走れなくなってしまうくらい壊れても、なかなか買ってもらえないということは、小学生のあいだ中続いた。
六年生のときの外靴に至っては、数カ月のあいだ、目の病気になって毎日、家から少し離れた市街地の眼科まで通う日々で、汽車に乗っても、駅の待合室で待つのも靴を見られている気がして恥ずかしくて、覚えたての裁縫で、自分で靴を繕ったりもしていた。

当時写っている集合写真などを見ると、背が小さくて一番前の列に座らされている私は、必死で靴のつま先を隠そうとする体制で写っている…

(そんなこともあって、小学六年生の秋から始めた新聞配達で得たお金の使い道は、服や靴を買うことも大きな目的だったと思う。父や母は私の好きなもの・欲しいと思っている気持ちを否定して、自分の都合、好きなものを子どもに押し付ける人達だったから、自分の欲しいものは親には言わず、自分で買うようになっていった。
勿論、親が買ってくれなかった学校の教材、部活等で使うものなども、自分で買うようになっていったし、高校の修学旅行も自分で積立をして旅費を貯めた。)

小学一年生の時のこと、思い出したから書き留めておこうと思ったら、どんどん記憶の範囲が広まってしまった(苦笑)

もう一つのエピソード。
小学一年生の時の教科書に『なかよし』という表題のものがあった。
それがなんの教科書だか知らなかった。
入学してすぐの授業。
先生に教科書を忘れた事をひどくとがめられた。
『なかよし』という教科書は、『社会』の教科書だった。
時間割に『なかよし』とは書かれていなかったので、私は何故怒られているか理解できず、みんなが『なかよし』の教科書を机の上に乗せているのも不思議だった。
先生に「時間割に『なかよし』なんて書いてなかった」と言うと、「『しゃかい』って書いてあっただろ!」と怒られた。
同級生たちは親と一緒に時間割を見てもらったのだね。。。私の親はそんなことはしてくれなかったし。。。

先生も、小学一年生の担任だっていうのに、子どもに寄り添ってくれる先生ではなかったね。
ア○ネト○オ先生。未だに名前も覚えている。

今、こんな古い記憶が未だに沸々と湧き出てきて、胸が苦しくなる。だから、私は、思い出したときに、こうやって書き留めておこうと思う。

昇華できますように。

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