先日の発表会以来、アンサンブルのように誰かと一緒に音楽をやることの楽しさを味わいたくなっています。確かに一年に一回、レッスン関係でプロの方とのトリオのアンサンブルをする機会はあり、それ自体非常にありがたい機会なのだけれども、私以外は共演者の方たちも含めみなさん先生、わいわいと試行錯誤しながらという状態ではありません。それが、先日の発表会で、趣味仲間とわいわい言いながら、ピアノや歌やリコーダーを合わせるというのをやって以来、もっとやりたくなってしまったようなのです。ピアノは一人でも楽しめる楽器なので、自分だけで空想にふけったり世界を作り上げたりできていました。今までそれが気楽、そして幸せを感じていたし、今もそう感じることも多いのですが、このごろどうも、そちらとは反対方向にも気持ちが向かっています。
アンサンブルと言えば先日、友人と行った演奏会での演奏にも心打たれました。プーランクのクラリネットソナタ第1番でのクラリネットとピアノ。生島繁氏のクラリネットの演奏の音色が多彩なこと、ピアニシモからフォルテまでの表情が見事に出ていてここまで表情が出せる楽器なのだと驚くあまり。繊細なピアニシモの音色を一音たりとも聴き逃すまいという気持ちになりましたが、そのクラリネットと見事に溶け合う演奏をされていたのが、ピアニストのパトリック・ジグマノフスキー氏でした。ちょっとひねりのある、哀愁あふれた旋律にうっとりしました。 そして彼、ジグマノフスキー氏と奥さんの池田珠代さんの連弾を数曲聴くことができたのですが、息がぴったりあった素晴らしい演奏でした。特に印象に残ったのはドヴォルザークのスラブ舞曲Op.72-2とスメタナのモルダウ。どちらの曲もオーケストラのイメージが強くピアノ連弾とは結びついておらず、どのような演奏なのか大変気になっていたのですが、どちらの曲もオーケストラにまったくひけをとらない自然で響きの美しい演奏でした。実はこの二曲、何を隠そう、どちらも作曲者自身による連弾版なのでした。しかもドヴォルザークのスラブ舞曲はブラームスのハンガリー舞曲と同じくピアノ連弾版の方が管弦楽版よりも先に出版されたのですね、驚きでした。ブラームスはドヴォルザークの音楽に心酔しており、友人で楽譜出版社の経営者であるジムロックにドヴォルザークを紹介したところ、ジムロックはドヴォルザークにブラームスのハンガリー舞曲と同じような曲を書いてくれないかと依頼しました。そして出来上がった曲がスラブ舞曲で、第1巻に8曲、第2巻にも8曲。もともとはブラームスのハンガリー舞曲と同じくピアノ連弾版が先で、後にドヴォルザーク本人によって管弦楽版に編曲されたそうです。そしてドヴォルザークのスラブ舞曲のOp.72-2をいつか音にしたいという願望が。他のスラブ舞曲も聴いてみたくなりました。モルダウのピアノ連弾版は本人による編曲で一曲にまとまっていたのですが水しぶきのあがってきそうなドラマチックでストーリーが感じられる演奏でした。その後演奏された豪華絢爛なラ・ヴァルスでさらに興奮。その後も素晴らしい演奏に楽しい演出を十分に堪能することができました。
そして指揮者アバドによる絵本「アバドのたのしい音楽会」を紹介します。
なんとあの指揮者アバドが本を書いていたのですね。twitterの友人の紹介だったのですが、音楽とはなにかという問いかけ、彼が指揮者になるいきさつ、オーケストラの楽器について、演奏の形態、指揮者としての在り方、音楽を演奏したり聴いたりするうえで大切だと思うことについて彼の言葉で丁寧に書かれています。音楽一家に生まれ育ったアバド氏は幼少期から音楽に囲まれた生活を送っていたのですね。特に印象に残った部分をあげます。
「パパはぼくに、伴奏をしてみないかと言った。(略)そしてパパはとても厳しかった。大声で、もっと速くと言い、いつまでもやめさせてくれなかった。その後、ぼくがずっとまともに弾けるようになってからも、パパはいつもそうだった。音楽に関してはものすごく気難し屋で、ひとが変わったように厳しくなるのだ。そのときパパに教わった秘訣はこうだ―誰かといっしょに音楽をやるときには、自分がうまく弾けるとか、よい耳を持っているかということはそれほど重要ではない。音楽的”対話”のある伴奏とは、その会話を感じとり、受け入れ、その神秘的な意味の端々まで完全に理解することなのだ。音楽においても日常生活においても、ほかのひとの言うことに耳を傾けることが最も大切なのだ―」
自分がうまく弾けるとか、というのは分かるにしても、よい耳をもっているかということがもっとも重要なのではない、という見解にはかなり衝撃を受けました。主にアンサンブルについての見解だとは思うものの、日常生活の大切さを語っているところでは身につまされました。
他に指揮者は楽譜を徹底的に勉強するという話のくだりにも教えられました。楽譜は本と同じく、何度読んでもつきない、新しさと神秘の泉なのだということ。かわいらしい絵のたくさん入った楽しい絵本です。