いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

CDの方

2012年05月31日 | ピアノ・音楽

 今日は3年~2年前ぐらいに弾いていたメンデルスゾーンの無言歌の先生のリサイタルに行く。CDを通じてであった方ですがどのような演奏を繰り広げられるだろうか?ちなみに今日の先生の無言歌のCD、はじめて聴いたとき、なんてすばらしい曲なのだろうと思った。「演奏」なのだろう、ではなくて「曲」なのだろう、だ。なぜなら「春の歌」以外は、彼女の演奏が私にとっての無言歌の最初の出会いだったから。ほかに比較するような演奏もなかったし、自分が比較できるような立場でもないと思っていたから。とにかく曲が素敵だったので、その中から一、二曲弾けるようになりたいと思った。初めて聴いたときは難しそうだと思っていた浮き雲とプレストアジタートを弾いた。そしてひとまず弾けるようになった。正確には音が出せるようになったかもしれない。弾けるようになった瞬間、その方そこまですごくないじゃんと思うようになっていた。非常におこがましくも、私でも弾こうと思ったら弾けるじゃん、と。そのときは彼女の演奏をほとんど聴かなくなっていた。(ちなみに彼女の演奏のCDはグリーグでも聴いており、高い技術を持っているというのも承知はしていたが。)しかし、本番直前になって、あらためて彼女の演奏を聴いて愕然とした。全然違うじゃん。私のお粗末な演奏とは大違いの美しく豊かな音色、切れのある動き、心を揺さぶる感覚、行間から読み取れる余裕。やっぱり彼女はすごい、プロはすごい、CDになるぐらいだから違うんだ、と思ったのだった。かといってCDで聴いた演奏をまねればいいかというとそれは違う。一番の先生は楽譜だと思う。

 今弾いている曲や関連している曲もCDで聴いているのだが、それぞれ個性が違っていて面白い。CDで最近聴いてすごいなと思っているのが、セルジオ・フィオレンティーノ。数枚組のCDの中にフランクもあり、その中にOp.18もあるのだが、ゆったりとした流れの中で曲のエキスを抽出したような演奏で心打たれるものだった。しかし今回は不幸なのか幸いなのか、彼の演奏は自分の演奏と違っていてすごいのでうらやましい、というような感覚にはあまりならない。楽譜の解釈もいろいろできそうな曲だし、他の方の演奏と彼の演奏が違っているというのもあるだろう。しかし、自分の演奏が自然な流れになっていないと思うと、まずいなあと思う。切れてはいけないところで切れたりしているとか(汗)彼の演奏にはそのような不自然なぶつぶつがなかった、となると、やっぱりうらやましいな。

 

 ピアノのCDのことを思い出してみようと思った。私がピアノを再開するきっかけのひとつとなったピアノ曲は幻想即興曲。やめてから1年後ぐらい、ニューミュージックにはまっていた中三のころ、カセットの中に入っていた遠藤郁子さんの演奏で聴いたものだった。そのときの印象は遠藤さんがすばらしい、という印象よりも、幻想即興曲とショパンはすごい、という印象の方が強かった。遠藤さんにはまことに失礼だったが、ピアニストはどうでもよかった。そしてかなりの年月がたち、大学受験直前にラジオから流れてきたショパンのバラードに衝撃を受けた。世の中にこんなに偉大な曲があったことに仰天した記憶がある。そのときも誰の演奏かはまったく分からずじまいだったし、分かる必要性も感じなかった。とにかくショパンの曲は感動的だ、と思った。それから私の関心はベートーヴェンとバッハへと向かった。演奏家のことが気になりだしたのは学生生活も終わりのころ生協でぼんやりと音楽のCDを眺めていたころ、同級生(年齢的には先輩でしたが)がお勧めのピアニストとしてルプーを教えてくれたことだった。なにがなんだか分からなかったがルプーという人の演奏はいいのだと思い、購入したブラームスのCDを何度も聴いた。よかった。おかげでルプーが好きになったというよりもブラームスが好きになったが(爆)なんだか心が冷たい鑑賞者だなあ。しかし今年CDの中の方だったルプーが来るというので浮き足立っている。

 そういう鑑賞者だったが、その後は演奏者にも興味が湧くようになり、演奏もその演奏者込みで聴くという傾向が出てきた。CDよりも生演奏を先に聴く、ということも出てきた。その人の演奏会を聴きに行くきっかけは、CDと口コミと最近はyoutubeと曲目とその場の雰囲気(ラ・フォル・ジュルネなんかそうですね)。コンクールもちゃんと観るようにしたら地に足の着いたきっかけが増えるかもしれない。それが、ついついさぼっちゃうんですね~。

 脱線した。とにかく今日はCDの方の演奏を聴きに行くのだった。楽しみです!


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