ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

玄冬の門

2017-06-19 22:55:12 | 本のレビュー
<「玄冬の門」 五木寛之 KKベストセラーズ

五木寛之氏は、深く尊敬する作家の一人です。だから、そのエッセイもだいぶの数を読んでいると思うのですが、これはその中でも新しい2016年刊のもの。
つまり、去年出たやつですね。

そして、一読した後、深く心が満たされ、背中を押されるような気持に。こんな意味合いで、尊敬できる作家を持てるというのは、幸せなことであります。

さて、この本で五木氏は、これまでよりさらに、高みの次元に達してしまったかのよう。「孤独死のすすめ」と題して、高齢者の自立をうながしています。
すなわち、「玄冬」と呼ばれる、人生の最終章に達した人間は、これまで営々と築いてきたつながりを絶って、「孤独のなかに生きる」、「孤独の幸せを追求する」べきなのではないか、と。

「玄冬」は別の言葉で言えば「遊行期」にあたり、「子供の心に帰っていく」季節でもあると、五木氏は言っています。

最近、高齢になっても人とのコミュニケーションの必要ばかりを説き、(確かにそれは大切なことですが)、高齢者が若い人の中に混じって、一緒に何かやるのを持ち上げる風潮がありますが、それはちょっと違うんじゃないか、という思いは私にもあります。
「TVなんかでも、若い格好をして、若い人たちと一緒に何かやっているのを、良いことのようにいいますね。けれども、やっぱり高齢者は孤立すべきだと思います」と書かれているのには、我が意を得たり、と思ってしまいました。


そして、これが印象に残ったのですが、人間の生はエネルギー保存の法則に貫かれているのでは、ないかという言葉。
自分という存在がいなくなれば、無にはなるけれども、大いなる海の中に溶けこんでしまうというのです。そこでは、自分という人間を作っていた人格だとか個性はとうに消滅してしまっているのだけれど、その生命エネルギーから、また新しい命が生まれるのだ、と。


素晴らしい示唆に富んだ言葉が盛られた、ぜひ手もとに置きたい一冊! であります。
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三千院、鞍馬、貴船を訪ねて

2017-06-19 22:31:33 | 旅のこと
日帰りツアーで、京都へ行ってきました。何だか、最近京都づいているなあ~。

今回訪れたのは、三千院、鞍馬寺、貴船神社であります。そう、京都の奥座敷三点セットと言われている(ホント?)寺社めぐり。

京都へ何度も訪れているのですが、こうした奥まで行く機会はなかなかなく、三千院は十数年前、叔母に連れていってもらったものの、他の場所は初体験!

   

  横向きの写真になっちゃいましたが…

これらは言うまでもなく三千院――かつて行った時は、参道から寺院にいたるまで、観光客がぎっしりと鈴なりだったように思うのに、先週訪れた時は、ひっそりかんと静か。
参道のお店も閉まっているのがいくつもあり、「さびれているみたい」というのが正直な」ところでした。
この大原の地は、ガーデニングでも有名なベニシアさんもお住まいのところですが、京都の町中からはだいぶ離れた山の中であります。

京都というと、一年中観光客が目白押しという印象ですが、(私もそうであるように)みな、市内のにぎやかな場所をめぐるだけで満足してしまうのかな?


   
このおっきな天狗のお面は、何ともインパクトあり!  もちろん、鞍馬にあります。鞍馬もだいぶんの山の中。鞍馬駅は、古き時代の香り残る木造の建物で、待合室など映画に仕えそうなほど、レトロな雰囲気。こういうのは、好きだなあ。
    
 参道をいろどる灯篭も、日本の伝統色の朱が美しいです。
   
 鞍馬寺の門前にたたずむのも、狛犬というより、小さな獅子そのものの石像。台の石には、「大正2年……」とかの銘が打たれています。長い時を、こうして下界を睥睨しながら、
鞍馬のお山を守ってきたのでしょうね……。

 貴船神社も、「来てよかった!」という風情ある美しさでした。

 最近、「御朱印帳」なるものをはじめ、訪れたところで、書いて頂いているのですが、美しい毛筆の黒と印鑑の赤の組み合わせがなんとも、お洒落なのであります。
きっと、昔の人にも「ありがたいお札をもらう」という以外に、このモダンさが受けていたはず。 訪れた記念というか、ちょっとした達成感も味わえるのだ


  
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