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「玄冬の門」 五木寛之 KKベストセラーズ
五木寛之氏は、深く尊敬する作家の一人です。だから、そのエッセイもだいぶの数を読んでいると思うのですが、これはその中でも新しい2016年刊のもの。
つまり、去年出たやつですね。
そして、一読した後、深く心が満たされ、背中を押されるような気持に。こんな意味合いで、尊敬できる作家を持てるというのは、幸せなことであります。
さて、この本で五木氏は、これまでよりさらに、高みの次元に達してしまったかのよう。「孤独死のすすめ」と題して、高齢者の自立をうながしています。
すなわち、「玄冬」と呼ばれる、人生の最終章に達した人間は、これまで営々と築いてきたつながりを絶って、「孤独のなかに生きる」、「孤独の幸せを追求する」べきなのではないか、と。
「玄冬」は別の言葉で言えば「遊行期」にあたり、「子供の心に帰っていく」季節でもあると、五木氏は言っています。
最近、高齢になっても人とのコミュニケーションの必要ばかりを説き、(確かにそれは大切なことですが)、高齢者が若い人の中に混じって、一緒に何かやるのを持ち上げる風潮がありますが、それはちょっと違うんじゃないか、という思いは私にもあります。
「TVなんかでも、若い格好をして、若い人たちと一緒に何かやっているのを、良いことのようにいいますね。けれども、やっぱり高齢者は孤立すべきだと思います」と書かれているのには、我が意を得たり、と思ってしまいました。
そして、これが印象に残ったのですが、人間の生はエネルギー保存の法則に貫かれているのでは、ないかという言葉。
自分という存在がいなくなれば、無にはなるけれども、大いなる海の中に溶けこんでしまうというのです。そこでは、自分という人間を作っていた人格だとか個性はとうに消滅してしまっているのだけれど、その生命エネルギーから、また新しい命が生まれるのだ、と。
素晴らしい示唆に富んだ言葉が盛られた、ぜひ手もとに置きたい一冊! であります。
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五木寛之氏は、深く尊敬する作家の一人です。だから、そのエッセイもだいぶの数を読んでいると思うのですが、これはその中でも新しい2016年刊のもの。
つまり、去年出たやつですね。
そして、一読した後、深く心が満たされ、背中を押されるような気持に。こんな意味合いで、尊敬できる作家を持てるというのは、幸せなことであります。
さて、この本で五木氏は、これまでよりさらに、高みの次元に達してしまったかのよう。「孤独死のすすめ」と題して、高齢者の自立をうながしています。
すなわち、「玄冬」と呼ばれる、人生の最終章に達した人間は、これまで営々と築いてきたつながりを絶って、「孤独のなかに生きる」、「孤独の幸せを追求する」べきなのではないか、と。
「玄冬」は別の言葉で言えば「遊行期」にあたり、「子供の心に帰っていく」季節でもあると、五木氏は言っています。
最近、高齢になっても人とのコミュニケーションの必要ばかりを説き、(確かにそれは大切なことですが)、高齢者が若い人の中に混じって、一緒に何かやるのを持ち上げる風潮がありますが、それはちょっと違うんじゃないか、という思いは私にもあります。
「TVなんかでも、若い格好をして、若い人たちと一緒に何かやっているのを、良いことのようにいいますね。けれども、やっぱり高齢者は孤立すべきだと思います」と書かれているのには、我が意を得たり、と思ってしまいました。
そして、これが印象に残ったのですが、人間の生はエネルギー保存の法則に貫かれているのでは、ないかという言葉。
自分という存在がいなくなれば、無にはなるけれども、大いなる海の中に溶けこんでしまうというのです。そこでは、自分という人間を作っていた人格だとか個性はとうに消滅してしまっているのだけれど、その生命エネルギーから、また新しい命が生まれるのだ、と。
素晴らしい示唆に富んだ言葉が盛られた、ぜひ手もとに置きたい一冊! であります。