いただきものの、「木なりの夏蜜柑」なるものを口に入れる。あっ、すっぱい。スゴークすっぱい。と思ったら、後からじわじわうまみが舌の上に広がってきて、一瞬、判断機能が停止してしまう。
この味を「美味しい!」と言っていいのか、「酸っぱすぎてだめ」というべきなのか・・・わからない。でも、そのまま、むしゃむしゃ食べてしまった。口に入れるたびに、唇をすぼめ、ぎゅっと目をつぶって。それでも、食べたのだから、まあ結局おいしかったんだな。
それにしても、柑橘類というものはくせものである。つやつやとした蜜柑のオレンジ色、レモンの清らかな黄色と色彩的にも申し分ない美人で、形もキュートなのに、ひとたび口に入れたら、思いもかけない伏兵が潜んでいる。なんて思うのは、私が酸っぱいものが苦手だからで、大半の人にはこの酸味が素晴らしい魅力なのかも。
ふいと夏の情景がよみがえる。まだ5歳かそこらの私の前にあるのは、砂糖をいっぱいにまぶしたグレープフルーツ。ガラスの皿に盛られたそれは、ぷちぷちと音がしそうなほどに、新鮮でおいしそうだ。とけかかった砂糖が果肉に溶け込んで、ゼリーみたいにぷるるんと輝いてる。
そうだ、あの頃は真っ二つに切ったグレープフルーツに砂糖をかけるのがはやってたんだ・・・でも、人からそんな話は聞いたことがないのだけど。 でも、ゴールデンイエローにつやつや輝く、みずみずしい果肉に、砂糖がしみこんで「水菓子」ってこういうことなのかも、と思わせられる美味しさだった(はず)。
あの頃の幼児の前に、この木なりの夏蜜柑を差しだしてみたい。そしたら、どう言うだろう?「こうすればいいんだよ」と、砂糖をデコレーションするかもしれないな。
昨日に続いて、本についてです。久保喬 作「少年の旅 ギリシアの星」です。これは、私が小学校の頃読んだ本で、もう三十年以上も前に出版されたもの。だから、古書店でも、あまり手に入らないかもしれません。(小学館 1980年)
十二歳の少年明は、ギリシアで事故死した彫刻家である父の足跡を追って、父の助手でもあった大学生の三木さんと一緒に、夏休み、ギリシアに旅立ちます。ギリシアの小さな島ーー父が滞在していた宿屋の娘エレニ(明と同い年)と心を通い合わせたりしながら、ギリシアの島々を巡ります。果たして、父は本当に事故死したのか? 父が残したスケッチブックはどこへ消えてしまったのか? そうした謎とは別に、ギリシアの自然や風物、古代の遺跡は美しく、また優しく明に語りかけてきます。そうして、明の前を通り過ぎてゆく、もう決して会うことはないだろう、けれど鮮烈な出会いの喜びをもたらしてくれた人たち・・・
この本を初めて読んだ時、私も同い年くらいであったせいか、明の旅に心から共感したもの。エレニというギリシアの少女にも、ぽっちゃりした白い肌に、金茶の髪をしてるにちがいない、とイメージがむくむく湧いてきたほど。今も、ロドス島に行ったら、お母さんの後を継いで、宿屋をやっているエレニの姿があるかもしれません。
そして、この本の魅力は挿絵。上の写真でも見る通り、青い線で描かれたスケッチ調の絵は、深みのある味わいをたたえていて、最近の児童文学書の挿絵にはない魅力があります(この頃のものは、コミック調の軽いものが多いですから)。ギリシアの空の青さや、異国の街角の風が感じられそうです。
古代ギリシアの神殿の壁画に描かれたイルカに合わせて踊るシーンや、エーゲ海を渡るときの、夜空を埋めつくす星・・・この本には、ギリシアという異国の魅力を立ち上らせる場面が幾つも登場し、私もすっかり「いつか、ギリシアへ行くんだ!」と決心してしまったほど(まだ、その願いは果たせていませんが)。
明とエレニに会いたくなったら、また読みたくなる本。
今日の話題は、あの名作「いやいやえん」です。この本を子供の時、読まれた方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか? 私も幼稚園の時、初めて読んで以来、大切な本となっています。 いたずらな男の子しげるを主人公に、幾つもの魅力的なお話がおさまった物語ですが、今思い出してみるだけでも、ライオン丸のようなおばあさんがいる「いやいやえん」や、遠足で行った山のそばにある「黒い山」であった鬼の男の子(この鬼はなんと、体にポケットがあって、そこから果物を好きなだけ取り出して、食べているのです)、野原で会ったしげるを食べようとするオオカミのお話など、愉快なものばかりですが、私が一番好きなのは、「くまのこぐちゃん」。
しげるの通う幼稚園に、突然やってきたこぐま。名前は、こぐちゃん。こぐちゃんは、先生からちゃんと手紙ももらっていて、赤い可愛いバケツもさげています。最初はこわがっていた子供たちも、こぐちゃんとすっかり仲良くなり、こぐちゃんのかく絵を感心して、見たりと楽しい一日を過ごします。赤いバケツには、お母さんグマ手作りの、お弁当が入っていることもわかるのですが、しげるたちがお昼寝している間に、こぐちゃんはおかあさんグマが迎えに来て、山へ帰ってしまいます。
このお話がとても好きで、何度も何度も読んでいるうちに、当時幼稚園児だった私は、「ああ、うちの幼稚園にもこぐちゃんが、遊びに来てくれないかなあ」と願ったもの。茶色い毛に真っ黒の目をした、こぐまが赤いバケツを持って、笑って立っていたら、どんなにいいかなあ、と。
おまけに、こぐちゃんが住んでいる山の町が「やまゆりまち」というのも、イメージをかきたてます。オレンジ色のやまゆりがたくさん咲いている、緑いぱいの山のまちには、ログハウスのような木造の家や、色とりどりのペンキを塗った可愛い家が並んでいて、そこにはクマが楽しく暮らしているんじゃないかって想像が湧いてくるのです。童話の世界って感じですけど。
「ぐりとぐら」ほど有名じゃないけど、くまのこぐちゃんもとても素敵なお話です。書店でこぐちゃんの絵が表紙になった赤い「いやいやえん」の本を見かけると、とてもうれしい。
有名な作品なので、ずっと観たいと思ってきた。でも、なかなか機会がなく、この間の衛星放送でようやく観賞が可能に。
舞台は、私の大好きな中世。そして、主演がピ-ター・オトゥールとキャサリン・ヘプバーンだというのがから、面白くない訳がない!と意気込んで観たものの「面白いか?」と言われると、ちょっと・・・という感じ。
この物語は史実をふまえたもので、1183年のクリスマスの一日を中心にして描かれる。歴史ものというから、壮大なスペクタルとか波乱万丈のストーリーかと思うのだけれど、「冬のライオン」はヘンリー2世と妻の王妃エレノアと息子たちという、家庭の確執と権謀を執拗に描いてみせるのでありました。
ピーター・オトゥールのヘンリー2世は、末息子ジョンを次の王位につけたく、エレノア(これが、キャサリン・ヘプバーン)は長男のリチャード(後の獅子心王リチャード)に王位をと願っている。そして、ヘンリー2世は王妃を塔に幽閉しており、クリスマスだからと、特別に出しているのだが、この夫婦のもつれあった感情が凄い。対して、息子3人は、皆チャームに欠け、おまけに両親への愛情はゼロに等しい。この家族に、アキテーヌ地方の覇権をめぐって対立するフランス王フィリップ(といっても、まだ19歳の少年。でも、策士)やフィリップの異母姉で、今はヘンリーの情婦になっているアリース王女がからむのだから、話はややこしい。
もともと舞台劇のストーリーというだけあって、シノン城を舞台に、セリフもすごく演劇的。それが、この映画がちょっと・・・という感じでなじめなかったのかも。人物造形も、典型的にパターン化されていて、固まってしまってるようだし。でも、そうして不満をものともさせないのが、ピーター・オトゥールとキャサリン・ヘプバーンの名演。この二人が対峙しあうと、そこらじゅうに火花が散っていると思わせるほどの、生き生きとしたドラマが生まれるのだ。
そして、中世好きの私に嬉しいことは、紋章のついた楯、中世時代の典雅な衣装が目を楽しませてくれる上、城の中を犬が放れたまま自由に歩きまわっているという驚くべき事実を知ることもできたこと。犬(猟犬のような、スレンダーな体型のワンコが多かった)が城の階段の上に寝ぞベっていたり、大広間の宴会のテーブルの下にいたりするなんて!
フランス王フィリップに、若き日のティモシー・ダルトンが扮していたのにも、びっくり。「007」で、ジェームズ・ボンドを演じた彼は、魔法のように輝く瞳が魅力で、昔ファンだったこともあるだけに、その瞳がきらめくのを見るのは、陰気くさいドラマの中で松明みたいに明るく輝いて見えました(これって、結構ひどい言い方かも・・・)。
上の写真にあるもの、何だかわかりますか? 小さな香水の瓶のセットです。左から順に1月から始まって、12月まで一年の月をイメージした香りが並んでいます。たとえば、7月だったら「ORIBE](これは、多分織部ですね)、8月は「IWASHIMZU](岩清水)というように、ネーミングも秀抜。
私は決して、香水を普段使いにするタイプではありませんが、夏の暑い時とか、どうしても使いたくなる時があります。これは、二年近く前買ったものですが、時に使うと香りって、こんなに素敵なものなんだと思わされます。
何となく、香水のイメージが好きになって、それを題材にした短編小説も書きました(ノエルの本棚所収の「香水」)。皆さんには、好きな香り、あるいは忘れられない香りってありますか?