1.ハワードの田園都市構想
2.田園都市論の現代的意義
3.日本型田園都市構想
4.和歌山市都市計画と学園城郭都市
5.近代ニュータウンの系譜
-理想都市像の変遷-
6.世界遺産登録に向けた取り組み
7.街道と湖上交通と都市形成
7-2 湖上交通史
7-2-3 軍事利用
ここから、本書(第3章)では、軍事利用、祭祀、観光、
管理・支配別に項立て考察されるが、足早に注目する事柄
を記載する。
天智天皇が667年3月に造営した近江大津宮周辺の地形復元
によると、都の東にあったかつての琵琶湖の汀線は、現在
れ、穴太廃寺・南滋賀廃寺・崇福寺跡、園城寺前身寺院と
古代の寺院は防衛のための拠点にはなりえないとする反論
都(白村江の戦いの反動)だった。
大津営廃絶のきっかけとなった壬申の乱や藤原仲麻呂の乱
は、近江を主な舞台としてくり広げられているが、ほとん
ど湖上は利用されず、壬申の乱の際に大海皇子軍の進撃路
は琵琶湖まわりの陸上部を一周周している。唯一、藤原仲
麻呂が湖西を北上、愛発の関(敦賀市)か封鎖されたため、
海津から塩津にやむなく迂回して越前を目指しが三尾崎の
戦いに敗れ湖上に逃れた事例ぐらい。
実際に湖上を軍勢が移動したのは、平安時代おわりごろの
木曽義仲が小島で山田・矢僑から東坂本へ渡ったのと、そ
れを追討する平維盛が利用した事例(『源平盛衰記』)が
本格利用の最初である。建武三年(1336)、北畠顕家ら奥
州軍五千騎が志郎・山田・矢橋から坂本へ渡ったときも舟
七百全般を動員している(『太平記』)。これは、三日が
かりで移した(『梅桧論』)とか、一日で志那浜から坂本
へ渡った(『大平記』)ともいわれている。
① 湖上交通の最大利用と信長の野望
こうした中、琵琶湖において巨大船を建造したのが織田信
長である。元亀四年(1573.05.21)、彦根の佐和山におい
て大船建造命令を出し、わずか1カ月半後の7月5日、長
さ三十間、漕ぎ手2百人を必要とする舟を作らせた。いわ
ゆるルイス・フロイスのいう「ガレー船」(つい最近まで
の堅田の船大工が、漁師船を作るのに50日かかるといわ
れている)。
5月22日、佐和山へ御座を移され、多賀・山田山中の材
木をとらせ、佐和山麓松原へ勢利川通り引下し、国中鍛冶・
番匠・杣(そま)を召寄せ、御大工岡部叉右衛門棟梁にて、
舟の長さ三十聞・横七間、櫓を百挺立てさせ、艫舳(ろち
く)に矢蔵を上げ、丈夫に致すべきの旨仰聞かせられ、在
佐和山なされ、油断なく夜を日に継仕候間、程なく、7月
5日出来訖(できおわる)。事も生使敷大船上下耳目を驚
かす。案のごとく(『信長公記』巻六)。
ただし、これもたった一度だけ利用しただけで、大正四年
(1576)には、十二艘(ルイス・フロイス『日本史』)あ
るいは『信長公記』によると十艘の早舟に解体している。
先年佐和山にて作置かせられ候大船、一年公方様御謀叛の
砌(みぎり)、一度御用に立てられ、此上は大船人らず、
の由候て、猪飼野甚介に仰付けられ取りほどき、早舟十艘
に作りをかせられ、十一月四日御上洛(『信長公記』巻九)。
ここに信長の革新性と合理性を見ることができる。大船入
らず」を「不要」と読むか、港なり入り江に「入らない」
との解釈次第だが、琵琶湖では大船は必要ないと判断は利
用できないとみるとすぐさま方針転換してしまったのであ
ると述べ、続いて、
しかしながら信長は、再び海での大船を建造し、大正六年
(1578)に石山本願寺(大阪市)責めを成功させてい
る。そしてその結果が、信長に犬坂城築城を決意させ
たことは余り知られていない。いずれにしても、信長
は琵琶湖では入船が不必要だと判断したことこそが重
要である。
秀吉は、朝鮮出兵の特、近江の水夫百二十九人を徴用
している。文禄四年(1595)のことてある(『芦浦観
音寺文書』)。琵琶湖という内水面の水夫が、外洋で
どれほど役に立つたかはわからないが、その程度の数
の水夫の徴用がすぐにでも可能であった地域であった
とはいえるであろう。
「第3章 海上交通史の再整理」
と述べいるがごとく、信長の頭の中には、すでに、ポスト
天下統一(国内統治は織田信忠に禅譲)後の世界制覇(第
1段階、ポルトガルの様な海洋帝國の先方隊の大都督(総
大宰帥)として、大坂を拠点として、世界初の鉄船団の創
建を設定し、第2段階として陸路を取らず(一部内部に拠
点植民地を経営)、海路でローマはバチカンを目指し、信
長らしく貪欲に文化を吸収しまた、科学技術開発を行いな
がら、近代の蒸気汽船や現代のディーゼルエンジン汽船を
いち早く建造していく絵を描いても不思議でないと妄想さ
せる件である(より早く、より遠くまで支配する野望)。
さておき、その後、江戸時代後期、文化十一年(1814)の
彦根藩軍勢表を見ると、御舟奉行は配置されているものの
その配下は非常に少なく、いざというときに天皇を京から
脱出させる早小舟だけ用意し、それ以外は民間の舟を徴用
する体制を整えているだけであったという(『掌中秘録』)。
以上、琵琶湖の軍事利用の歴史をみると、最初に12世紀
後半(1183)の湖上の本格的軍事利用を画期としてあげる
ことができ、16世紀後半(1576)の、後にふれる信長に
よる城郭ネットワークにみる湖上の完全支配あるいは大船
解体にみる小形船の定着を第二の画期として評価できると
してこの項を結んでいる。
この項つづく
【エピソード】
【脚注及びリンク】
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- 古代の都支えた湖畔の製鉄炉 古きを歩けば(49)源
内峠遺跡 2013.03.12 NIKKE STYLE - 鉄鉱石の採掘地と製鉄遺跡の関係についての試論―
滋賀県の事例を中心に―」(大道和人 滋賀県文化財
保護協会紀要 No.9 2012.06.08 - 淡海文庫 「信長 船づくりの誤算―湖上交通史の再
検討」用田 政晴【著】1997.07.20 - 世界遺産の保全と住民生活-「白川郷」を事例とし
て-」才津祐美子、福岡工業大学、環境社会学研究
(12)、 23-40、2006-10-31) - NPO法人 彦根景観フォーラム 第4回世界遺産を目
指す彦根の課題 2008.02.29 - 世界遺産所在自治体の保全と観光活用に関する取組
事例集 国交省観光庁 2014.10.24 - 世界遺産登録による経済波及効果の分析 えひめ地
域政策研究センタ 2007.01.11 - 世界遺産登録と持続可能な観光地づくりに関する一
考察『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)
新井直樹 第11巻,第2号,2008年9月 - 世界遺産を活用した観光振興のあり方に関する研究
運輸政策研究所 第35回 研究報告会 小室充弘
2015.08.05 - 世界遺産登録に向けた取り組み(2014年度)彦根市
- 世界遺産に登録されるまで|世界遺産検定 NPO法
人 世界遺産アカデミー - 高句麗平壌城の都市形態と設計 閔徳植、 国際日本
文化研究センター学術リポジトリ - 松本市の都市計画 松本市
- ひこにゃんがいてもダメ? 彦根城はなぜ世界遺産
になれないのか 週刊朝日 2013年6月28日号 - 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
JAPAN インタビュー前編 2007.03.02 - 利用者が“便利”だと思えるパーク&ライド ECO
JAPAN インタビュー後編 2007.03.09 - 第1回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.05 - 第2回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.07 - 第3回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.19 - 第4回 ポストケインズ派経済学とは何か 佐々木
啓明 2011.10.26 - 第8次彦根市交通安全計画 2012,03.22
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- "The New Towns: There Problems and the Future”
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用の前史として― 佐々木孝文 2015.06.26 - 都市とは何か 都市計画なぜ必要か - 東北大学
奥村誠 2015.10.15 - 和歌山市都市計画マスタープラン 和歌山市
2017.01.12 - 和歌山市立地適正化計画 2016.12.22
- 日本型田園都市構想―イギリス田園都市と比較し
京田辺市を見直す―2001.12.11 西村利也 - 田園都市とエソテリシズム 吉村正和 2004.03.05
- 田園都市論の現代的意義 中井検裕 家とまちなみ
45、2003.7.8 - 住宅地計画論 1.ハワードの田園都市構想園都市
- 都市思想の二人の巨人、ジェイコブズとハワード:
宮﨑洋司市 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.06 28 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 26 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 26 - 近代ニュータウンの系譜―理想都市像の変遷-、
佐藤健正、2016.07 03 - 平成 28年度 主要事業 彦根市
- 都市づくりの基本方針(全体構想) 彦根市 橋梁長寿命
化修繕計画による対策橋梁について滋賀県 - 彦根市都市計画道路網見直し検討調査
- 「まちづくりはひとづくり」をめざし 市民主導の
まち創る-近世城下町彦根市本町地区の2例の場合
-(これからの都市づくりと都市計画制度全国市長
会) 中島一 2005.05.09 - 中国城郭都市社会史研究 川勝守 著 汲古書院
- 都市計画の世界史、日端康雄 講談社現代新書
- ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 続・ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 完・ドイツ流 街づくり読本 水島信
- 都市計画1 日本の都市計画制度の概要 大谷英一
- 都市計画2 都市の歴史と都市計画 大谷英一
- 都市計画の理論 系譜と課題 高見沢実編集
- 「道路をどうするのか 五十嵐敬喜・小川明雄 岩波
新書 - 日本の道路史 武部健一 中公新書
- 道のユニバーサルデザイン 鈴木敏 技報堂
- 道路が一番わかる 窪田陽一 技術評論社
- 「道路」についての国際比較 藤井聡 2010.3.14
- 彦根市都市計画道路網見直し指針
- 地域別のまちづくり方針(地域別構想)-彦根市
- 彦根市新市民体育センタ整備基本計画 2016.10.31
- 彦根市立図書館|簡易検索
- 中心市街地の活性化に関する法律 Wikipedia
- 富山市におけるコンパクトなまちづくりの進捗と展望
2014.11.26 - アウガ Wikipedia
- 富山市 人と環境に優しいまち 公式HP
- 青森市 都市計画マスタープラン 公式HP
- コンパクトシティはなぜ失敗 するのか 富山、青森から
見る居住の自由 2016.11.08, Yahoo!ニュース - <アウガ>2副市長辞任 青森市政混迷増す 河北
新聞 2016.01.28
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